第234話 青い火球と小瓶のお酒

 グランヴェスタ共和国の首都ヴェスタニアにあるダンジョン『カエルの大穴』その最下層。既にがなされているため魔物一匹見ることができないその空間に放たれた一本の矢。それは十分な速度を保ちつつ重水の扉の前で俯きながら佇んでいたデボラへと飛来する。


『この距離を人族の矢が届く……。やはり何らかのスキルであろうな……』


 矢に背中を向けたまま心の中でそう呟くデボラ。


『だが、我には関係がない……』


 次の瞬間、飛んでいた矢が燃え上がって消滅する。


「な……?ミスリルの矢が……?燃えた……?」


「おい!何があった?矢はどうなったんだ?」


 ミスリル製の矢が燃えたことに呆然とする弓使いと状況を飲み込めていない斥候の会話がデボラの耳に届いてくる。


『マスターの言葉を慈悲と受け取れぬ愚か者が……』


 デボラはゆっくりと振り向く。ドラゴン……、その中でも遥かに高位の存在である火皇竜カイザーレッドドラゴンの目は二人の冒険者を決して見逃さない。二人の冒険者がこのタイミングで全力で逃げていたらデボラの対応はまた違っていたかもしれない。しかし弓使いは第二の矢をその弓へとつがえようとする。


「うむ。我に矢を放ったことの意味を知れ……、炎槍フレイムスピア……」


 デボラがそう唱えたと同時に弓使いは足元へ何かが落ちる音を聞いた。


「え……?」


 思わず確認する己の足元。そこにあったのは弓と矢をその手にした自分の二つの腕。その事実に気付くと同時に襲ってきた激痛に声を出す間も与えられず地面に倒れ伏しのた打ち回る弓使い。熱線で焼き切られたその切り口から一滴の血液も流れていない。目の前で起こったあまりの光景に斥候は自身の役割すら忘れて硬直している。


「ゆくぞ……」


 デボラは視界に弓使いと斥候を捉えつつそう呟く。索敵範囲のギリギリにゴウバルと他の冒険者の気配は依然として感じていた。


「生き残ったのなら……、運がよいと言ってやろう……、火球ファイア・ボール!」


 直径二メートルはあろうかという青白く輝く二つの火球が現れた。その凄まじい熱量が周囲のものを焦がし始めるがその至近距離にいるデボラは涼しい顔だ。火球ファイア・ボールは着弾すると爆散して範囲攻撃を行うことができる魔法である。これほどの火球が爆散した場合、どれほどの周囲にどれほどの影響を与えるのものか……。


 ふとデボラの魔力が揺らぐ、と同時に凄まじい速度で二つの火球が打ち出された。一つは弓使いと斥候の下へ、もう一つはゴウバル達がいると思われる方へ。デボラは火球の行方を確認することなく踵を返すと重水の部屋への扉をくぐる。


 デボラの姿が消えた瞬間、ダンジョン『カエルの大穴』の最下層に圧倒的な熱量をまき散らす大爆発が起こるのだった。



「ねえ、ミナト?この小瓶ってこんな色だったかしら?」


 とりあえずミオが張った結界内のブルー・フロッグを殲滅して集めた大量の魔石と一つの小瓶。魔石の方は特殊個体のものが混ざっていないかをアイリスが絶賛鑑定中である。デボラを待つことを決めたミナトはとりあえずドロップ品である小瓶を確認することにしたのだが、その小瓶を拾い上げたシャーロットがそんなことを言ってきた。


 アイリスの話ではブルー・フロッグが稀にこのような小瓶を落とすという。その中身はまさかのウンダーベルグであり思わぬ出会いにミナトは喚起した。そんなことがあってこの重水の部屋で数十匹のブルー・フロッグを殲滅し一つ目の小瓶を手に入れたミナトなのだがどうやら何かが違うらしい。ミナトはシャーロットの手から小瓶を受け取って注視する。


「ウンダーベルグって琥珀色じゃなかったかしら?」


 シャーロットの言う通りウンダーベルグは琥珀色のお酒である。だがその小瓶に入っている液体はどう見ても、


「赤いね……」


「そうよね?」


「ん。赤!」


 そう、ウンダーベルグとは似ても似つかない鮮やかな赤い液体で満たされていた。それはバーテンダーであれば絶対に忘れることが許されないお酒の色によく似ていて……、


「まさか……」


 そう呟きながら味見をしようとするとシャーロットに止められ小瓶を奪われる。


「ダメよ!危ないじゃない?私とミオがいるからどんな毒でも浄化できると思うけど、ミナトの身体は普通の人族と同じ耐久性なんだから気をつけないと!こういうのは私に任せなさい!」


『私に毒は効かないわ!』そう言って片目を瞑る絶世の美女エルフ。ミナトが『キレイだ……』などと心で呟いている間に小瓶から赤い液体を一滴、手の甲に落としてみせた。その可憐な唇を手の甲へとつけて味見する。ミナトもカクテルを作成する際に行う行為だが、シャーロットがやるとなかなかに破壊力がヤバい。


「うーん?毒はないわ。そしてやっぱりお酒ね……。苦みがあるけどウンダーベルグよりも苦みも酒精も穏やかに感じるわ。ほろ苦いっていうのかしらそれと薬草の香りがして結構好きな味よ?」


 シャーロットの言葉はミナトの頭にあったお酒の味わいそのもので……、


「シャーロット。飲んでもいい?」


「いいわよ?はい!」


 ミナトは小瓶をシャーロットから受け取ると一息にあおった。そうこの色、この苦みとこの香り。どんなバーにも必ず置いてある有名なあのお酒……、


「これはカンパリだ!とうとう出会ったぞ!ネグローニにスプモーニ!カンパリ・ソーダにカンパリ・オレンジ!そのバリエーションは無限大!」


 そこまで叫んで気付いてしまう……、


「くっ……、ジンとベルモットはあるからネグローニは造れるけどトニックウォーターがないからスプモーニが……。あ、ライ・ウィスキーもよく分からないから正式なオールド・パルも造れない……」


 先ほどの歓喜はどこへやら、悔しげに表情を歪めるミナト。ミナトの中でトニックウォーターとライ・ウィスキーの優先度が跳ね上がる。


「ミナト!これってカクテルに使えるお酒なのね?」


「ん!楽しみ!」


 シャーロットとミオがそんなことを言ってきたとき……、


「すまぬ。待たせてしまったか?」


 デボラがその姿を重水の部屋へと現すのであった。

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