第89話 ホットワイン完成

 ミナトは自身の店を目指して屋根伝いに夜の王都をひた走る。王都の夏は昼間に暑く夜は過ごしやすいという理想的な夏である。東京の日中と熱帯夜を経験しているミナトにとってはエアコンもなく快適に過ごせる王都は本当に住みやすい街であった。


『身体強化をかけて屋根伝いだとそこまで時間はかからないんだな…』


 そんなことを考えているうちに店の屋根へと到着する。


 ミナトのBarは繁華街の端の路地に位置している。工房が連なる職人街、大店として店を構える商会が多く集まる商業地区、各種の研究所や教育施設が集中する学生街などから等しく近い立地であり、先ほどミナトが後にしてきたスラムに接した商業地区の外れからもさほど遠いとは言えない距離だった。


『ん?』


 店先から絶対霊体化インビジブルレイスを解いて堂々と帰宅する予定だったミナトであるが、やや距離を取って店を窺う者に気付いた。絶対霊体化インビジブルレイスを発動したまま路地へと降り立ち姿を見せぬまま堂々とその者に近づくと…、


『斥候だな…。さっきのバルテレミー商会にいた連中がおれ達に辿り着くにはまだ早い…、ってことはウッドヴィル家の人だよね…?おれ達が信用できるのか調べているのかな…?』


 ミナトはそうあたりを付けると店の屋根へと戻り【転移魔法】転移テレポを発動する。こんなところに転移陣を置いても意味がないのだがミナト以外は使えない魔法だから気にしない。ミナトはその転移陣を使って店舗の二階にある転移陣へと転移し絶対霊体化インビジブルレイスを解く。


 途端に店内の二つの気配が反応したのがミナトにも分かった。二人とも店舗スペースにいるらしい。


「ミナト!おかえりなさい!」

「マスター、無事で何よりだ!」


 店舗スペースへ移動するとシャーロットとデボラがとびっきりの笑顔で迎えてくれた。


「ただいまー。外にいた人が店の様子を見ていたから転移テレポで戻ってきたよ」


 そんなミナトの言葉に、


「そうなのよ。あの黒装束との戦闘の後、私たち大通りに出たのね。そうしたらついてきたのよ…」

「うむ。時々様子を見に来るものがいたのだがそのものの服に白獅子の紋章がついていたぞ」


 と二人が返す。


「…ということはやっぱりウッドヴィル家の人か…」


 予想通りだったと思うミナト。


「ということでしょうね。私たちが信頼に値するかを探っているということかしらね…」


 シャーロットの予想はミナトと同じものであった。


「おれもシャーロットと同じ考えだよ。とりあえずは放っておこうか…。お店に来てくれたらお酒を飲んでもらうのだけどねー」


「マスター、ということは様子見だな?」


 デボラの言葉をミナトは肯定した。


「ところで、待っていてくれてありがとう。休んでいてくれてもよかったのに…」


「ふふ…、ミナトの追跡がどうなったのかも気になったのだけど…、せっかくこれを貰ってきたからミナトと一緒に飲みたくて…」


 シャーロットはそう言いながらマジックバッグから赤白二つのワインボトルとソムリエナイフ、そしてクレーム・ド・カシスのボトルを取り出して見せた。ウッドヴィル公爵家から土産として頂いたものである。


「そして我とシャーロット様でこのようなものを用意していたのだ」


 デボラが持ってきたのは様々なチーズを盛りつけたプレート。この王都のマルシェでは様々なチーズが手に入る。それにレッドドラゴンの里で作られた特製のドライフルーツが添えられておりとても美味しそうである。


「夏だけど夜は涼しいから赤ワインで温かいカクテルを作ろう!そのチーズとかによく合うと思う」


 そう言うとミナトはシャーロットから赤ワインのボトルを受け取るとカンター内へと向かう。


「ミナト!赤ワインでもカクテルが作れるの?」

「おお!キールとは違うのか?」


 極めて美人である二人がその目を輝かせる。


「ああ。ホットワインとかグリューワインって呼ばれる温かいカクテルだよ」


「ホットは分かるけど…、グ?グリュー、ワイン?」

「初めて聞く名だが…?」


 可愛らしく首を傾げるシャーロットと戸惑いの表情を浮かべるデボラ。


「ホットワインはおれのいた世界の英語って言葉で、グリューワインはドイツ語って言葉になるのかな…。あ、でもちゃんとしたドイツ語だと…、グリューヴァインかな…?グリューの小さいは確かの口でって発音するはず……、あ、ごめん…、気にしないで!えっと…、ホ、ホットワインってことにしよう!」


 何故かドイツ語について語ってしまったミナトだが、美女二人の頭上には大きなクエスチョンマークが輝いていたのでここはホットワインということにするミナト。


 先ずソムリエナイフで赤ワインを抜栓。修行した銀座の店ではワインも取り扱っていたのでこういった所作もしっかりと絵になるミナト。それをグラスに注ぐことなくボトルを持って奥の調理場へと移動する。以前の店ではホットカクテルを作っているところはスペースの関係でお客に見せることはしなかったが、二人は調理場までついてきた。


 三つのマグカップと小鍋を用意する。ワインをマグカップ三杯分小鍋へと注ぎ、蜂蜜を少量入れて火にかける。今日は酒飲みしかいないのでアルコールを飛ばす気はない。温まる間にスライスオレンジ三枚、マグカップよりも背の高い長めのシナモンスティック三本とクローブ六粒を用意する。オレンジはレッドドラゴンの里でとれた特級品。シナモンとクローブはマルシェで手に入れた。こういったスパイスを簡単に入手できる王都をミナトはとても気に入っている。


 そんな姿を興味深そうに眺める絶世の美女二人。嬉しいけどちょっと落ち着かないミナトである。


 今回は煮込むのではなく香りづけ程度にしようと考えてミナトは温まったワインをそれぞれのマグカップへと注ぐと、クローブ二粒、スライスしたオレンジ一枚、シナモンスティック一本をカップ内へと添えた。


 温められたワインの香りにクローブ、オレンジ、シナモンの香りが重なりハーモニーを響かせる。


「いい香りね!美味しそう!」

「うむ。これは素晴らしい香りだ!」


 二人の笑顔がよりいっそう輝く。ミナトがトレーに三つのマグカップを載せて店舗スペースに移動するとついてきた二人は素早くカウンターへと着席した。


「追跡の結果を報告する前に…、どうぞ!ホットワインというカクテルです。チーズ、ドライフルーツと一緒に食べてみて!」


 笑顔でマグカップとチーズプレートを差し出すミナト。待ちきれないといった様子でシャーロットとデボラは素敵な香りと湯気を放つ温かいマグカップを手に取るのであった。

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