第88話 帰り際の攻防

『ここから出るとしますか…』


 撤退を決めたミナトは入ってきた道と同じ経路での脱出を試みるため窓からバルコニーへと出る。外は既に夜の帳が下り、夏の明るい月と星々が王都の街並みを照らしていた。


『今日はここまでだ…。では、皆さん…、ごきげんよう…』


 そんな心の呟きを残して身体強化を己にかけてバルコニーから屋根へと飛び移ろうとしたとき、


「ニャーン!」


「え!?」


 広いバルコニーへ一匹の猫が飛び込んできた。それに驚き動きを止めてしまうミナト。絶対霊体化インビジブルレイスは未だ発動中でミナトの気配は一切関知できないはずだ。完全に偶然の産物だとミナトが考え再度移動しようとしたその瞬間、


「侵入者ですか~?」


 口調はゆったりだが瞬間的に跳ね上がる魔力の反応を感じてミナトは全力で屋根へと飛び上がろうとする。背後から魔力を纏った無数の石礫のようなものが窓ガラスや建物の石壁を何の抵抗も感じさせることなく突き破って飛んできた。そしてその一つが飛び上がったミナトの足を掠める。ミナトは無傷だが、不運な猫は既に息絶えていた。


石礫ストーンバレット的なやつ?それにしては貫通力がエグい…、っと石に魔力が込められていた魔法攻撃だから絶対霊体化インビジブルレイスが…』


【闇魔法】絶対霊体化インビジブルレイス

 全ての音や生命反応を感知不能にする透明化に加えて霊体レイス化を施せる究極の隠蔽魔法。対象は発動者と発動者に触れておりかつ発動者が指定した存在。発動と解除は任意、ただし魔法攻撃の直撃でも解除される。追加効果として【物理攻撃無効】付き。ま、あると便利でしょ…。


 その説明文の通りにミナトにかかっていた絶対霊体化インビジブルレイスが解け、ミナトの姿が実体化する。


再発動インビジブルレイス!」


 ミナトの詠唱とも言えない短い言葉で再び絶対霊体化インビジブルレイスが発動する。屋根に飛び乗ろうとするその下でバルコニーに何者かが出てくる気配を感じた。恐らくモーリアンを襲おうとした者達の隊長である。


『あの猫には可哀そうなことをしたけど、攻撃された以上は反撃だ…』


 ミナトの心の呟きと同時に屋根の上にいるミナトの足元から男性の叫び声が聞こえてきた。そのすぐ後で夜の王都に凄まじい轟音が響き渡る。屋根に飛び移る直前、悪夢の監獄ナイトメアジェイルを発動したミナトはバルコニーを支えていた柱と梁を全て切断し、その建物で一番豪華に造られたバルコニーを外に出てきた男ごと中庭に叩き落したのである。ただ落下したのではない。闇魔法 Lv.MAXの強大な能力で発現した漆黒の鎖がしっかりと掴んで投げ下ろしたそれは想像を絶する衝撃を生んでいた。


 既にミナトは商会の正門へと移動している。


『えっと…、バルテレミー商会か…、覚えましたっと…』


 商会名を確認したミナトは夜の王都へとその身を躍らせ帰宅を急ぐのであった。


 一方、商会長の執務室では…、


「な…、なにが起こったのですか?」


 商会長は気味の悪い笑みを浮かべた男が放った魔法の威力に驚愕しそう呟くのが精一杯だ。


「ん~?猫がいたのは間違いないのですが~、ほんの一瞬~、その後で人の気配がしたような~?ああ~、すみませんでしたね~、壁と窓とバルコニーの修繕費はこちらで用意しますよ~。しかしですね~?」


「ま、まだ何か…?」


 バルコニーは落ちたはずでそれに追いかけていた部下の男も落下している…、にもかかわらずそれらを歯牙にもかけていない男により一層の不気味さを覚える。もともとまともではないと感じていたがここまで狂った相手に協力しなくてはいけないとは…。商会長は今後の展開に強烈な不安を覚えるが既に彼に引き返す道は残されてはいない。


「んん~、私の~、先ほどの攻撃程度で~、あのバルコニーって落ちるものなのでしょうか~?」


 男は気味の悪い笑顔のまま首を傾げている。


「?」


 商会長には押し黙ったまま、唯々その驚愕で引き攣った表情に疑問符を浮かべることしかできない。彼に魔法のことなど分かるわけがないのだ。


「ま~、いいでしょう~、それよりも新たな冒険者崩れを用意する件~、お願いしますね~」


 不気味にかつにこやかにそう話す男。商会長は必死の形相で同意の意思を示すのが今日の彼の限界だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る