第79話 もう一杯のカクテルを

 固まってしまった先代公爵とその孫娘であるが、しばらくして我に返ると、


「美味い…。ブラックカラント酒と白ワインがこれほどまでよい相性であったとは…」

「美味しいですわ…。甘みがとっても素敵で好みです!」


 二人そろってそんなことを呟いた。


「なかなかに簡単なカクテルなので是非公爵家の皆様で楽しんでみてください」


 気軽にそう言うミナト。


「ミナト殿?これは貴殿が秘匿とすべき技術ではないのか?当家に教えてしまってよいものなのか?」


 モーリアンが驚いた表情で問いかける。


「ええ。構いません。カクテルに権利など存在しませんからね。このキールも私の故郷に伝わる飲み方をご紹介したまでです。私はまだ経験がないのですが、もし私が新しいカクテルを創造したとしてそのカクテルや私の名前が残れば名誉なことですが、それも些細なことでしかありません」


 それこそがバーテンダーの矜持だと考えるミナトである。


「当家が秘伝とするブラックカラント酒に新たな可能性が…」


 モーリアンがそう呟くと同時に、料理長が立ち上がる。


「大旦那様!このキールを作る役目、私に命じてください。現状、ミナト様には全く至らない私ですが、いつの日か必ずやどこに出しても恥じることのないものとして完成させます!」


「キールはブラックカラント酒と白ワインを混ぜるだけだからね。そんなに難しくはないですよ。もちろん道具や所作をかっこよくって考えると難しくなってくるけど、作成の工程だけ見るととてもシンプルなんだ。だけど料理長さんには好みの味を探してもらいたいかな?」


「好みの味ですか?」


 ミナトに言われて料理長が問い返す。


「そう。今回のキールはクレー…、違った、ブラックカラント酒と白ワインが一対四。一般的って言われている比率だけど、カクテルにそれが絶対なんてルールは存在しない。比率は何対何でもいいんですよ。甘いのが苦手な人なら一対九も構わないし、もっと甘くしたければそう調節すればいい。料理長さんには公爵家の皆様それぞれが本当に楽しむことができるオリジナルの比率を探して頂ければいいかなって思いました」


「なるほど…。カクテルとは自由なものなのですな…」


 感心する料理長。


「そうそう。あ、でも一つだけ助言があるとすれば…」


 ミナトが思いついたようにそう言ってくる。


「何でしょう?」


 料理長は真剣だ。


「冷たさは大事にしてください」


「冷たさですか?」


「はい。ブラックカラント酒も白ワインも冷やし過ぎると凍ると思うからやり過ぎは禁物なのだけど…。これは私が常に心掛けていることで…」


「拝聴します!」


っと言われています。カクテルを作るときは心に留めておいてください」


「貴重な教えに感謝申し上げます!このクレイル…、公爵家の厨房の一端を預かる者としてその言葉決して忘れません!」


『クレイルさんっていうのか…』


 料理長の名前が分かったことに注意が行ってしまうミナトである。できればこの人クレイルさんの作る料理を食べてみたいものだと改めて思うのだった。


「ではもう一つカクテルを作りましょうか!」


 明るい声で言ったミナトは厨房の食在庫へ歩き始める。といっても季節は夏、ミナトが目当てとする食材は公爵家であれば当然のごとく取り揃えているであろうものである。


「ミナト殿…、よ、よいのか?」


 モーリアンが言ってくるが、


「よいも何もブラックカラント酒と出会えてうれしいのは私ですからね。是非ともこの酒の他の飲み方を楽しんでほしいです…」


「あれ程のものを…、さらに別のものを使って…。かたじけない…。このようにカクテルを当家へ教えて頂いたことに関しては必ず何かの形で返させて頂くことにするのでお願いする」


 そこまで気にしなくても後でクレーム・ド・カシスを一定量仕入れる段取りさえ付けさせてもらえればと思っていたミナトであった。そうしてミナトが厨房の食材へ視線を送る。


「あった…。今度はこれを使わせて頂きます」


 そうしてミナトが手に取ったもの…、というか複数を抱えてやってくる。


「ミナト殿…。今度はそれを使って…?」

「どのように使うのでしょう?」


 先代公爵のモーリアンとその孫娘のミリムの顔に疑問符が浮かぶ。この世界でいうブラックカラント酒ことクレーム・ド・カシスは甘く、主に食材の一つとして使用されることが多いようだ。そしてこれで完成とされてしまうことから何かで割るという考えがなかなか浮かばないらしい。料理長であるクレイルさんが水割りやロックを考えたことが驚きなのだ。


 とはいえ、これで割るというところまでは考えられなかったようだ。


「そ、それを使うのですか?」


 馴染みあるその食材を前にして料理長のクレイルが驚きの表情を見せる。


『なるほど…、そんなこともできるので…、面白いわ!』

『これもまた興味深い組み合わせだ…、里のを使用すればさらに美味いものになるやもしれぬ…』


 シャーロットとデボラからそんな念話も飛んでくる。


 そうした彼らの視線を一身に集めるミナトは鮮やかに色づいた複数のオレンジを抱えていたのであった。

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