第78話 料理長が受けた衝撃
キールで満たされた五つのワイングラスが厨房内のテーブルへと並べられた。
「先ずは私が頂きます」
そう言いだしたのは料理長だ。全て同じ材料で作られていることは明らかなので、どうやら毒味を兼ねるらしい。料理長が名乗り出たのであろう。そこは貴族、仕方がないと思うミナトであるが…、
「ミナト!頂くわね!」
「頂戴するぞ!マスター!」
こちらの二人はそんな周囲の状況にはお構いなしでグラスを持つと、その美しい唇へと優雅にグラスを運んでいる。
「こ、これは…?」
料理長はそんな呟きと共に固まっているが、
「んん~ん!これは美味しいわ!甘くて飲みやすくてとても好きな味よ!」
「おお!これは見事だ!果物の甘みと香り…、しかし甘すぎずワインの酸味もしっかり感じる。見事な調和だ。二つの酒を混ぜただけなのにこれほど豊かな味を作り出すとは…。流石はマスターというところか!」
とても素敵な笑顔でそんなことを言ってくれる。
「気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」
クレーム・ド・カシスと白ワインに出会えたミナトは二人の会心の笑みに満足したかのようにそう答える。
「ミナト!このお酒が食前酒になるの?」
「ああ、おれの故郷では有名な食前酒の一つだよ」
『元居た世界のフランスって国はとても料理にこだわりがある国として有名だけど、その国の食前酒で有名なカクテルの一つがキールって言ってもいいかな?』
話す言葉の裏側に念話をこめて説明する。
『前にミナトが作ってくれた料理の国…、確かアメリカだったかしら…?その国とはまた別の国なのね?それと同じようにミナトはフランスの料理は作れるの?』
『おお!それは素晴らしいぞ!このキールを食前酒にしてフランスという国の料理を食してみたいものだ!』
シャーロットとデボラが乗ってくる。
『本格的なのは難しいけど、簡単なものなら作れると思う。夏の食材だと難しいかもしれないけど、もう少し秋が近づいたら手に入る食材で何か作れると思うから挑戦してみよう!』
『それは楽しみね!』
『待ち遠しいぞ!』
念話でそんな話をしている間、公爵家の先代当主であるモーリアンとその孫であるミリムは固まった料理長に話しかけている。
「どうしたのだ?美味いのか、そうではないのか、はっきりせぬか!」
「そうですよ。お二人ばかり楽しんでいるのを見続けるのは苦しいです!」
「失礼します」
執事のガラトナが素早く手刀を料理長の肩口に入れた。目にも止まらぬ早業で、それを確実に認識したのはミナト達三人とモーリアンの他に何人いただろうか。至近距離にいたはずのミリムは気づかなかったかもしれない。それほどの早業であった。
「はっ!も、申し訳ありません。この酒の味ですよね…。そ、それが…、あ、あの…」
彼は途中で言葉を詰まらせる。そうして目頭を押さえて俯いてしまう。どうやら泣いているらしい。
「大旦那様…。わ、私は…、私は恥ずかしい…。ブラックカラント酒は当家の秘伝をもとに作られた酒でミルドガルム領アクアパレスの特産品です。私がウッドヴィル家にお仕えして三十年。料理の技術を培う機会を大旦那様から賜り私は研鑽に努めてブラックカラント酒の扱いに関してはルガリア王国一…、この大陸でも屈指と己惚れておりました…。ブラックカラント酒はそのまま料理に使用する。飲むのであれば、水で薄めるか、高級品としては氷を投入して冷やして飲む。それしか思いつきませんでした…。ブラックカラント酒はそれ自体が美味な酒ですから…、まさか…、まさか他の酒と…、それもとても身近な白ワインと合わせることでこれほどのものに変わるとは…。私は…、私には思い至りませんでした…」
大旦那様ことモーリアンが彼の肩を叩いて慰めている。聞いていたミナトはちょっと悪いことをした気になってしまう。彼は料理人でミナトはバーテンダー。それも異世界の日本で生まれ、バーの本場である銀座で二十年の修行歴がある。酒に関してその腕と知識の差は大きいが、ミナトは彼の言葉にひそかな驚きを覚えていた。
『この人はクレーム・ド・カシスの水割りとロックに辿り着いていた…。きっとすごい料理人だと思うよ』
水割りに加え、ロックも思いつくとはこの料理長が確かな感性を持っていると言えた。ちなみにこの世界で氷は貴重品で高価な魔道具か魔法を使えるもの以外から入手は難しい。
『キールを食前酒にしてこの人の料理を食べてみたいな…』
『ミナトがそこまで言う料理人なら期待しちゃうわ!』
『それは興味深いことだ!』
落ち込む料理長を励ますモーリアンとミリムを視線の先にとらえながら、そんなことを呑気に話し合うミナト、シャーロット、デボラの三人。
そうして料理長が落ち着いたのを確認したモーリアンとミリムもやっとのことでカクテルを口にすることになる。
「頂こう…」
「頂戴します…」
二人がゆっくりとキールを口に含む…。すると料理長と同じく二人は石造のように固まってしまうのであった。
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