第29話 職人が好む酒
明るく透き通った緑色の液体が入った小瓶を手にミナトは会心の笑みを浮かべている。
「ミナト!そのアブーがカクテルに使えるの?」
シャーロットが不思議そうな表情でそう言ってくる。このアブーはドワーフにとっても癖のある味だとアルカンは言っていた。そんなドワーフに伝わる滋養の薬を酒として飲むなんて発想は流石のシャーロットも気付かなかったのだろう。
「ああ。ちょっと癖があるけどいろいろと使い道がある…。今夜にでもカクテルを作ってみるよ。味見をしてみ…」
「モチロンよ!!頂くわ!!」
食い気味にそう答えながらずいっと美しい顔をミナトの側まで持ってくるシャーロット。相変わらず美しい。そんなシャーロットとタジタジとなるミナトを見て笑うアルカン。
「はっはっは。仲のいいことよ。儂もアブーを使ったカクテルに興味があるが今日のところは弟にお主らを紹介することにしようかの。ついてくるがいい」
そう言ってアルカンはミナトとシャーロットを伴って店の外へと出る。既に街は薄暗く魔法具による街頭に明かりが灯り出している。山の端から僅かばかりの西日が差し込んではいるが夜の帳が下りるまであと僅かといったところだろう。職人街周辺の飲食店や屋台、軽食屋が出店しているマルシェからだろうか、夜の喧騒が聞こえてきていた。
「ここじゃ!」
そう言ってアルカンが指し示したのはアルカンの工房と同じくらいの建物だった。掲げられた看板には『バルカン工房』とある。
「バルカン?」
「弟の名前じゃよ」
ミナトの呟きにそう返しながらアルカンが工房の扉を開き店内へと入る。
「おーい。バルカン!アブーを持ってきたぞ!それとお客じゃ!!二人とも入るがよい。遠慮などせんでよいわ!」
そう促されて二人も店内へと入った。既に今日の営業は終えたのだろう。薄暗い店内を見渡すミナト。アルカンの工房と同様にこちらも入ってすぐは商品が展示されているらしい。だがミナトの目に飛び込んできたのは食器とは似ても似つかない前衛的な金属製オブジェの数々だった。
「こ、これは…?」
「なかなかにアートな世界よね…」
そんなことを呟くミナトとシャーロット。
「い、いや…、あいつも普通の物を作ることはできるのだが…、な、なんというか…、自由にやらせると…、こ、こうなるのじゃ…。じゃ、じゃが、腕は確かじゃぞ!」
額に汗を浮かべながらアルカンが言い訳がましく弁明するアルカン。そう言われてミナトは注意深くその…、ちょっと芸術性の理解に困難を伴うオブジェを観察する。確かに切断面や結合部分には見事な仕事が施されており、細部まで磨き上げられたそれは職人の腕の確かさを証明しているように感じた。しかし…、
『この職人さんに注文か…?アブサンスプーンとかなら喜んでやってくれそうだけど、シンプルなスプーンやフォークはどうだろう…?メジャーカップ、バースプーン、シェイカーにストレーナー…。興味を持ってくれるかな…』
心に一抹の不安を覚えるミナトである。その時、奥の扉が開かれる。姿を現したのは当然の如くドワーフ。その外見はアルカンそっくりである。強いて言えばアルカンの方がやや背が高いだろうか…。
「わざわざすまん。手間をかけさせたな…。有難く使わせてもらうとしよう…。…ん?兄者?その二人は?」
「お客じゃよバルカン。儂の紹介じゃ!」
「ついこの間まで引退するとおおっぴらに宣言していた兄者がお客の紹介じゃと?どういう風の吹き回しじゃ?」
「引退に関しては撤回じゃ!!このミナトの注文に応えたいと思ったのよ!そして金属を加工できる職人も探しているということだったので、アブーを渡す次いでで悪かったのじゃが、お主に紹介するためここに来てもらったのじゃ!」
そう聞いてやや驚いたような表情を浮かべたバルカンがミナトを見る。
「兄者の引退を撤回させるとは…。面白いの…。じゃが生憎と本日の作業は終わっていて既に飲んでしまっている」
そう言って透明な酒の入ったグラスを見せるバルカン。右手に持っていたロックグラスから透明な…、…おそらく酒だろう…、を口へと運ぶ。
「なのでいま話を聞いてもいいのじゃが、きっと明日以降また訪ねてもらうことになるがよいかの?」
「それで構いませ…」
「なんじゃバルカン!お主、まだそんな酒を飲んどるのか?」
バルカンの言葉に答えようとしたミナトを遮るようにアルカンが非難めいた声を上げる。
「お主もドワーフならば酒と言えば燻り酒じゃろうが!!」
そんなアルカンの言葉にバルカンは静かに首を横へと振った。
「兄者よ…。儂もドワーフの端くれじゃ。燻り酒が美味いことは儂にも分かる…。じゃが…、儂のこの芸術には…、この作品たちには燻り酒ではだめなのだ。透明感…、氷のような静けさと冷徹さと気品…。儂の作品は繊細じゃ。小心じゃ。その理想は玲瓏にしていささかの陰影も留めざるような存在を表現することにある。そのためには…。この酒…、ウオトカじゃよ…」
ミナトの目がきらりと光った。ウオトカ…。この世界ではかつてミナトのいた世界でウォッカと呼ばれていたものをそのように呼んでいる。正直、店頭に並ぶ前衛的なオブジェが氷のような静けさと冷徹さと気品を併せ持っているかはよく分からなかったし、確かにゴッホやピカソも酒好きだったが酒で芸術が形になるかには疑問の残るミナトであるが、バルカンが目指していると言う作品のイメージとウォッカの持つイメージには共通点があった。
とにもかくにもバルカンはウォッカ好き…。その事実だけでミナトには十分である。傍らにシャーロットがいて手元にはアブサンもある。バルカンの説得に道筋がついたような気がしてミナトは思わず安堵し、今日何度目かの笑みを浮かべるのだった。
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