一年後

慈悲

 憂宇子ゆうこが夢に出てくる、と白野寿朗しろのとしろうは言った。憂宇子とは、昨年亡くなった寿朗の妻の名である。自死であった、と相談を受ける相澤鳴海あいざわなるみは記憶していた。

「すみません、こんな話。仕事に全然関係ない話……」

 相澤は、寿朗が社長を務めるデザイン会社の顧問弁護士である。寿朗の会社は相澤がこれまで関わってきたどの会社よりもホワイトで、真っ当な企業だった。あまりにも問題が起きないので安くない金を払って弁護士を抱える必要はないのではと尋ねたこともあったが、いつか何かが起きた時にまったく知らない人間を頼ることはできない、いつかが来るまでに互いをきちんと知ることができる弁護士を雇いたい、と真っ直ぐに目を見て答えられ、それではということで相澤は寿朗に雇われた。今年で5年目になる。

「仕事に関係ない話を聞くのも、まあ、業務みたいなもんやし……どうぞ。憂宇子さんが夢に出てくる?」

「そうなんです」

 遺書もなく自ら命を絶った配偶者と、夢の中という曖昧な場所ではあるが再会をする。その奇跡的な出会いを、寿朗は喜んでいるようには見えなかった。だが、憂宇子に対してネガティブな感情を抱いている様子もない。彼は、どうやら、

「……もしかして寿朗さん、今ほかにどなたかいらっしゃる?」

「!」

 相澤の問いに、寿朗は哀れなほど露骨に反応した。なるほど、と合点する。妻が自死して一年。寿朗には既にほかに愛する相手がいる。一年を長いと取るか、短いと解するかは人それぞれだと相澤は考える。寿朗にとっては短かったのかもしれない。だから、憂宇子が恨みに思って夢枕に立っているのだと、そんな風に思っているのかもしれない。

「そう……そうなんです。私が、浮気をしたから、憂宇子が……」

「落ち着いてください寿朗さん。憂宇子さんは、もう亡くなられていますし、寿朗さんは別に浮気をしているわけではない。冷静になって」

 相澤が幼馴染で同じ地元の友人でもある市岡稟市いちおかりんいちとともに開いている弁護士事務所の応接室のソファで、白野寿朗は涙目になって頭を抱えた。もともと細面で痩せぎすの男だったが、憂宇子が亡くなってからは更に病的に窶れた。肌の色も白いを通り越して血管が透けて見えるようになり、黒かった髪は今や褪せた鳶色に近い。艶のない髪を肩口で無造作に縛った寿朗は、席を立って彼の肩に触れる相澤に縋るような視線を向けた。

「相澤さん。誰にも言わないでもらえますか」

「……そう、約束したいところではあります。せやけど」

 顧問弁護士ならば約束をすべきなのだろう。仕事上の話なら。だが、もしかしたらこれは、この世のものではない何かが関わっている案件かもしれない。だとしたら、どんなに詳しく話を聞いても相澤の手には負えない。相澤はただの弁護士なのだ。

「もしも、何か……怪異とか、おばけとか、そういうもんが絡んでるとしたら、私の共同経営者だけには伝えてもええですか」

「市岡……さん、でしたっけ」

「ええ。市岡稟市です。彼も弁護士ですが、同時にお祓いとか、そういうことができます。あなたを困らせているのが仮に憂宇子さんではなく憂宇子さんの姿を借りて悪さを企む何かだとしたら」

 わかりました、と寿朗は呻いた。そうして、続けて言った。

「助けてください、相澤先生」


「つまり、新しい恋人と寝るとその晩の夢に必ず憂宇子さんが現れると」

「せや。どういうことやと思う? 市岡センセ」

「情報が足りねえよ。その新しい恋人が何者なのかも分かんねえし、憂宇子さんがどういう顔してるのかが俺に見えるわけでもないし」

宮原亜純みやはらあずみ

「は?」

「せやから、新しい恋人の名前」

「……?」

「あの」

 外出から戻った市岡稟市を捕まえ、ひと通りの話を聞かせたところで相澤鳴海は大きく首を縦に振った。煙草に火をつけた稟市は、宮原亜純……とその名を噛み締めるように繰り返している。

 相澤、稟市両名と面識がある男だった。稟市の弟であるヒサシの昔のバイト仲間であり、亡くなった白野憂宇子の『友達』。それでいて、彼女の自殺を幇助した存在だった。

「宮原と白野寿朗さんが、今交際してるの?」

「そ」

「なんで? ……ていうのもおかしいか。でも、なんで?」

「俺かて聞きたかったわ。でもその、馴れ初めに踏み込んでも仕方ないやろ。ただ、稟ちゃん覚えとる? 俺らが宮原に最後に会った時」

 一年前の話だ。白野憂宇子の葬儀から僅か二日後、宮原亜純は弁護士ふたりを相手に自分と憂宇子の関係を赤裸々に語り上げた。宮原は憂宇子を愛していた。女性として、人間として。そして、彼女の望みに従い自死に手を貸した。それから。

「幾つか頼まれごとをしてるとか言ってたな……白野寿朗さんの仕事を手伝うから、転職するとか」

「それや。宮原は今寿朗さんのとこの正社員やねん」

「……」

 天井に向けて紫煙を吹き上げた稟市は、

「憂宇子さんは、どんな感じで夢に出てくんのかな」

 と、ぽつりと呟いた。

「表情だけでも分かれば突破口になりそうなもんだけど」

「わろてるらしいで」

「は?」

「何回『は?』言うねん。わろてんねんて。憂宇子さん」

 応接室のテーブルの上に置かれた稟市のハイライトを一本抜き取りながら、相澤は繰り返した。

「良く聞き出せて……いや、なに、笑ってる?」

「せや。せやから相談に来たんやって、怖くて」

「怖くて……」

「そらま怖いやろな。死んだパートナーに惚れとった男と付き合い始めたら、夢にそのパートナーが出てきてにこにこしとるって。俺かてビビるわ」

 自前のオイルライターをカチリと鳴らし、相澤は深々と溜息を吐いた。

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