第91話




 ユーリは自室で寝転がりながら杖を眺めていた。

 一昨日、綺麗な女の人があんぐりと口を開けて杖を凝視していたが、彼女は誰だったのだろう。

 どうも、魔法協会は自分にすべてを教えるつもりはなさそうだとユーリは思う。

 気になるのは「魔王」がどうとかいう話だ。魔王と戦うとかなんとか、物騒な情報の欠片が聞こえてくるのだが、誰に聞いても詳しくは教えてくれない。カークに聞いたら何か言おうとするように口を開ける動作を何回も繰り返しては黙り込むものだから、明らかに下っ端が勝手に話してはいけない情報なんだな、と理解して聞くのを諦めた。

 問いつめるなら、大魔法使いだ。明日は彼から「魔王」について聞き出してやるとユーリは決意し直した。

 その時ちょうど扉がノックされたので、ユーリは杖を壁に立てかけて扉に歩み寄った。

 ユーリの部屋に訪ねてくるのなんて、カークか幹部連中のお呼びだしかのどちらかなので、警戒もせずに扉を開けた。

 だが、そこに立っていた少年を見て、ユーリは僅かに眉をしかめて困惑の表情を浮かべた。

「よぉ」

 マーベル子爵家の三男と、その後ろに二人の少年が立っていた。

「……何か?」

 ユーリは硬い声で尋ねた。マーベル家の三男——確かカークがアンソニー・マーベルという名だと言っていた——は侮蔑を隠しもせずに「ふん!」と鼻で笑った。

 カークからは「何を言われても相手にするな」と忠告されているし、商人の息子としては大国の貴族から睨まれたくはない。穏便に立ち去ってもらいたいのだが、と願ったものの、態度を見るにそれは難しそうだ。

「どうした?顔色が悪いぞ。いつもクヴァンツの後ろに隠れているから、一人じゃ不安なのか?」

 マーベル家の三男アンソニーは尊大な態度でユーリを見下ろす。ユーリは溜め息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。カークと同じか一、二は年上だろうに、八歳児に本気で絡んでこないでほしい。絡んできたのはカークも同じだが、カークにはユーリへの敵意はなかった。だから、ユーリも軽口を叩けたのだ。

 こうして敵意を向けられると、貴族相手にユーリが出来ることはない。いかに魔法協会の中では身分は関係なく平等とうたわれていても、実際には貴族と平民の間には明確な隔たりがある。貴族は貴族で固まっているし、平民は平民で固まっている。文句を言いつつもユーリが近寄ってくるのを容認しているカークが単に寛大なだけなのだ。自覚はないかもしれないが。

「なんで、答えない?蛮族ごときが俺を無視できると思っているのか?」

 ユーリが黙っていると、アンソニーは足を踏み出して迫ってきた。思わず後ずさると、アンソニーが部屋の中に足を踏み入れてくる。

「……何かご用ですか?」

「ふん。お前に用などない。用があるのはその杖だ」

 ユーリは咄嗟に壁に立てかけてあった杖を手に取って背中に隠した。それを見てアンソニーが顔を歪める。

「どうやって取り入ったのか知らないが、魔石の杖など蛮族が持つには過ぎたものだ。寄越せ」

 ユーリが魔石を創ることが出来るというのは機密であり、口止めされている。故に、この杖は大魔法使いからユーリに与えられたということにされていた。ユーリの魔力が膨大すぎて、通常の杖では負荷に耐えられないからという理由で。

 だが、どうやらユーリが強力な魔法を使えるのは杖のおかげだと考える連中もいるらしく、嫉妬の目で見てくる者がいることにはユーリも気づいていた。

「無理です。お引き取りください」

「貴様!蛮族の癖に逆らう気か!」

 アンソニーが掴みかかってきたため、ユーリは彼の横を走り抜けて逃げようとした。だが、取り巻きの二人に前を塞がれてしまう。

「大人しく寄越せ!」

 アンソニーが手を伸ばして、ユーリの杖に手を触れた。

 途端、アンソニーが触れた部分が、ぐにゃりと溶けるように崩れた。

「えっ?」

 驚くユーリの目の前で、ぐにゃぐにゃと崩れた杖がアンソニーの手のひらに染み込むように消えていく。カークが魔石を拾った時と同じだ。

「……あ、……あ」

 アンソニーがガクガクと震え出した。

「あ……な、あ……あは……はぁっ、はふ……はっ……」

 目を見開き、息が荒くなり、膝が前後に大きく揺れる。杖に触れたアンソニーの手が、手のひらを中心に白くなっていく。

「!?」

 何か異常なことが起きていると察して、ユーリは咄嗟に杖を消した。杖が消えると、アンソニーの体は力を失ってその場に倒れた。

「おいっ!?」

 仰向けに倒れたアンソニーは、短い呻きを繰り返しながら、びく、びく、と痙攣している。見開いた目は何も映しておらず、口の端からは涎が垂れている。

「ひっ」

「ひ、人殺し!」

「えっ……?」

 取り巻きの二人が悲鳴をあげ、怯えた眼差しを向けて走り出ていく。

 ユーリは取り残されたアンソニーの傍らに立って、呆然としていた。

 やがて、ばたばたと足音がして、数人の大人達が駆け込んできて、倒れたアンソニーを見て何か怒鳴っていた。

 アンソニーは彼らに運ばれていき、ユーリはその場にへたり込んだ。恐怖が今頃体を震わせた。

 何が起きたのかわからないが、自分が創った杖に触れた途端、アンソニーは様子がおかしくなった。間違いなく、杖が原因だ。

——僕は、何を創ったんだ……?

 ここに来て初めて、ユーリは自分の力に対して恐れを抱いたのだった。



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