第43話 ロシュア・ビークベルの憂鬱
ロシュア・ビークベルはただの伯爵家の嫡男だった。
伯爵家といってもいいとこ中堅止まりの、ぱっとしない家柄だ。幸い平和な国の貴族に生まれたのだ。将来はのんびり領地経営をしようとのほほんと描いていた未来予想図ががらりと変わったのは妹のルティアのせいだ。
身内びいきで兄の目から見れば可愛いが、誰もが振り向く美少女ではない。中堅どころの伯爵家ではがつがつと上を目指すつもりも必要もなく、のんびりほやほやと育てられた妹は貴族令嬢としてはちょっと大らかすぎる成長を遂げてしまったが、将来は男爵家や子爵家の次男や三男に嫁げばいいよねーぐらいの感覚で見守られていた。
その妹が初めて参加したお茶会で王太子のズボンを引きずり下ろしてしまうだなんて、誰も予想していなかった。
国王陛下は寛容な御方だが、王太子殿下は生まれたときからぴくりとも笑わず、常に不機嫌な顔をして辺りの人間を威圧している峻厳な人間だと噂だった。
ルティアを守るために爵位を返上することになるかもしれない、と、ロシュアに詫びる父を励まして妹とともに謝罪に向かう姿を見送った日のことをよく覚えている。
父は送り出した時より青い顔で帰ってきた。妹が王太子の頬をひっぱたいたのだと聞かされて、ロシュアも青ざめた。
いつ王家から呼び出しが来るかと戦々恐々とした日々を過ごし、王妃からルティアに茶会の招待が来た日には一家で震え上がったものだ。
ロシュアは妹を領地に匿うべきだと主張したが、父は首を横に振った。この茶会には伯爵以上の令嬢は全員招待されている、行かなかったら王妃の顔に泥を塗ることになってしまう。行かないという選択肢はないのだと。
そうして、その日の茶会をきっかけに、何故か王太子はルティアに執着するようになった。
茶会でもパーティーでも舞踏会でも、王太子は会場に現れるやルティアを探し、二人でなんだかよくわからない勝負を繰り広げていた。
自分の娘を王太子に無視された貴族達はビークベル家をよく思わず、ちくちくと攻撃してきた。繰り返される嫌がらせに辟易していると、見かねた国王がルティアを領地へ連れて行くようにと命令してきた。特別裕福でも由緒正しい訳でもない伯爵家の娘を王太子妃にする訳にはいかないという想いもあったのだろう。もちろん、ビークベル家に否やはなかった。
ビークベル家にも、ルティアを王太子妃にしようなんて身の程知らずな考えはなかったのだ。
しかし、二ヶ月も経った頃、領地でのんびり過ごしているビークベル家に王家の使者が駆け込んできて「すぐに戻ってくるように」と言い渡された。
おそるおそる帰ってきてみれば、国王と高位貴族達は手のひらを返したようにビークベル家を迎え入れた。
もはやルティアを王太子から引き離そうとする者はおらず、むしろ頻繁に城に招かれて王妃や国王にも目通りするようになった妹に、ロシュアは別の意味で青くなった。
ルティアが王太子妃候補扱いされていることが明らかだったからだ。
そして、それはロシュアの環境をがらりと変える原因であった。
これまではただの伯爵家の嫡男だったロシュアは、「将来の王太子妃の兄」という立場になってしまったのだ。万一、ルティアが王妃になれば、実家のビークベル家は爵位が引き上げられる可能性もある。ルティアがたくさん子供を産めば、公爵家が創設されることもある。そうなった場合、ロシュアは公爵の伯父という立場になる。
気楽な中堅どころの伯爵家ではいられなくなる。
その証拠に、これまではビークベル家など見向きもしなかった貴族達から声をかけられることも多くなったしサロンへの誘いも引きも切らなかった。縁談も降るようにやってきた。
幸い、ロシュアは優秀だった。侯爵家や公爵家の令息達に混ぜられても渡り合うことが出来た。だが、ロシュアが何かしくじればルティアの傷になる。いかに王太子の寵を得ているとはいえ、妹の足を引っ張るわけにはいかないとロシュアは必死に勉強に励んだ。
結果、宰相に気に入られて、最近ではその補佐のような仕事をしている。
思わぬ事態になりはしたが、ロシュアは現状に不満はない。忙しい日々ではあるが充実しているし、王太子と妹は「犬猿の仲」と呼ばれるぐらい日々激しい勝負を繰り返しているが、王太子はルティアにまっしぐらだしルティアも王太子に勝つための努力を怠らない。周りからもすっかり認められ、いずれルティアが王太子妃になるのは決まっていた。
ガルヴィードが十八になったら正式に婚約させ、ルティアが十八になったら結婚させようと王家とビークベル家でも話がまとまっていた。
その矢先に、英雄の夢をみたわけだ。
時期が早まっただけで元々結婚はさせるつもりだったのだ。問題などない。
だから、城から帰ってきた妹に「お兄様!殿方が触られたりくっつかれたら思わず逃げたくなる体の部分ってどこですか!?」と尋ねられた時も、動揺などしなかった。決して。王太子に若干の殺意は抱いたが。
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