5.ジャスミンの灯
ジャスミンティーが好きになったなんて言ったら、おしゃれが過ぎると笑われるだろうか。女の飲み物だと、馬鹿にされるのだろうか。でも、あの
実際は違うのだろう。ニュアンスの問題だ。確かに私はジャスミンティーが好きになった。でも、それはジャスミンティーをいただくその時間が好きだから。その時間を
彼女との時間をより、長く楽しみたかったからだ。
リエと出会ってから、数年経っているけれども、実際に時をともにしたのはわずかな時間でしかなかった。学生時代、過ちのごとく、一夜をともにして以来、一切の
「貴方のことを忘れようとした夜は、
それは、私も同じだとは言えなかった。私は彼女のことなどすっかりと忘れていた。それがとてもショックだった。自分はいつの間にか
蓋をすることすら、
それからしばらく、私は誘われるがまま彼女の部屋、駅近くの七階建てのマンションの三階、エレベーターから出て三つ先の部屋に、度々
仕事の都合上、リエの元に着くのは夜遅くであり、ともに夕飯を、という時間でもなく、彼女には先に食べてもらい、私も腹に入れてから訪れるようにしていた。そうして、彼女の部屋に入ると、ふわりと食後のジャスミンティーの香りが、疲れた私の頭を癒やしてくれるのだ。
私の分だと、彼女はパックのジャスミンティーを
そうして、
すっかりジャスミンの香りと味わいに
私は人助けが好きだった。
周りからは人たらしだの、モテようと必死だの、馬鹿にされてはいた。だが、そういったレッテルが
時経ち、成長していく中でどんどんと、面倒ごとが増えていった。大学生にもなると、持ち前のお人好しはただの遊び人でしかなくなり、南で
リエとの出会いも、結局はそういった遊びの中だった。あの頃は、彼女の良さを知らず、素敵だとも思わず。ただ、人助けのため、人を助ける
社会人となればいよいよ、そのお人好しの出る幕はなくなった。お人好しが出れば出るほど、いいように使われるだけ。面白くなくなったのだ。
だから、表には出さないようにしている。便利な時代だと言わざる終えない。私は、SNSを使って、嘆く人々に、言葉を贈り自己の欲求を満たすようになっていたのだ。
ネットでは、現実よりも深く悲しむ人々が多い。私のような現実では、たらしだの、必死だの、馬鹿にされるような言葉をあえて待ち望んでいる、そういった言葉に
さて、そんなSNSの中で最近やけに
今までは、子供の幼い悩み事にちょっかいを出す程度だったが、なんとその案件。一人のうら若き女性が一人の男に恋をしたが、既に男は既婚者だったという内容。
彼女は毎日のように、ポエムのような詩のような。
「
私は、そのどこまでも真っ直ぐで燃え上がった思いに巻き込まれた。自分から突っ込んで巻き込まれたと言ってもいい。彼女の燃える魂に、薪を入れ。あたかも、彼女の言論が正しいかのように吹き込んだ。
日々、彼女は研ぎ澄まされていき、イキイキとしている。それを見ると、まるで自分もイキイキとした気持ちになるのだ。彼女の革命に自分も参加しているかのような。かの昔の時代、学生達は革命を掲げ大いに青春を謳歌した。革命とは、人の心に潤いを与える水なのだ、変えることができる期待は、人生において甘い蜜となりうる。
今日も彼女は、言葉を綴っていた。
『革命の日は近いのです。恋は戦争のようだと、どこかの国の
『か弱き女性に
リエの家を出て、電車に乗って帰宅しているさなか、私は一人そういったやりとりの中で心を燃やしていた。
『ありがとうございます。私が今、こうして心を強く持てるのも貴方の意見や応援のおかげと思います。見ず知らずの、そして
彼女の返事に、さらに、満たされる思いが
電車から降りて、アパートに戻る最中。ふと、私の方を
言えば。私とリエの関係は
そして、そんな中でリエと再会してしまったのだからいよいよ、運命的な気分になってしまったのだ。妻とは違って落ち着いて、私を
SNSで、女性を
数日間、リエは用事があると家を空けていた。
しかし、彼女が帰ってくるとすぐに会いたくなった。いよいよ、私も救えないニンゲンになってきたのだろう。
今日もジャスミンの香りが広がっていた。私は席についてリエと向かい合ってお茶をする。静かな始まりだった。重たい雰囲気を感じるが、ジャスミンの香りに惑わされてイマイチつかみ所がわからない。どう切り出したものか。
「奥さんに会ってきたの」
リエの一言で、ゆっくりと飲もうとしていたジャスミンティーが一気に気管支まで入り、むせてしまった。こんな、おちゃらけた取り乱し方をしてしまう自分が馬鹿馬鹿しく思いながらも、リエの真っ直ぐな
「奥さん、貴方以外にも仲のいい男性がいらっしゃるのね。
今まで癒やしだったジャスミンの香りが急に変化していくような気がした、強いそのにおいはやはり異質なものであり、いつの間にか
「わざわざ、そんなことをしなくても良かったのに」
妻に、男がいることは知っていた。近所で噂になっているのだってずいぶん前からだ。そう、私が出張に行く前から彼女はあいつを家に入れていいた。
順番に説明していこう。まず、妻には一人。好きな男がいたのだ。その男と彼女の世界に私というニンゲンは存在しなかった。ある日、男は別の女性と結婚して彼女の恋は
心を
いや、手の届かないところギリギリに行くことで、また彼の気を引こうとしたのかも知れない。まるで、逃げ口を塞ぐように彼女は
……申し訳ない。嘘をついた。私は結婚に乗り気だった。彼女が好きだった。彼女が私を使って男の気を引こうとしているのはわかっておきながら、私は彼女の魅力に甘んじて、それを受けいれ続けた。
しかし、問題が出た。効果があったのだ。彼女の計画には。
彼女の
どうなるかの想像はたやすい。私はとてつもなく惨めな気持ちになった、私は彼女を抱くことができなくなっていた。その気になっても、体は反応しない。ついつい、自信をなくしてしまう。そうして、月日が流れて子供はできず、彼女は堂々と男を引き入れるようになった。
SNSの革命の子には「今の時代強き女に男は魅かれる」などといったが、全てが全てそうではないのだろう。強すぎると、惨めさが募る。
まぁ、そういうことだ。その場面をリエは見てしまったのだ。言わぬが良いかと、ここでは妻の話はしないことにしていたが、あえてその
「ジャスミンはお好きになられましたか?」
話題を変えるようにスッとリエは、一口飲んでそういった。言葉の
「あぁ、クセが強いが。慣れれば癒やされる」
「じゃあ、ジャスミンの花言葉はご存じ?」
「いやぁ、花言葉なんて。バラぐらいしかな……」
「そうですか。どの花もそうですが、色によって異なります。白は優しさ、黄色は
「なるほど。
「でしょう」と彼女は、手のひらを
確かにこのひとときは、優しく優雅なものだ。しかし、他になにかある気がしてならなかった。普通すぎると、その強い香り、口内を一瞬で
「実はですね。とある、歴史の出来事。ですが、ほんの数年前の話。アラブの方で革命があり、『ジャスミン革命』なんて言いましてね。そうして、この花には『革命』の言葉も含まれていたりするんですよ」
「革命……ですか?」
たった一言。たった『革命』の一言だけで私は大きく
重なった。
あぁ。あの、革命家は彼女だったのだろう。
「もう一度お聞きしてよろしいでしょうか」
「ジャスミンはお好きになられましたか?」
あぁ。結局私という男は、真に誰かの
道化のごとく、
自分の惨めならない境遇を再び考える。
妻も私も浮気をしている。リエは私の事を本気で愛してくれている。このSNS上の言葉を見れば、それは一目
物思いにふける帰り道。ふと、またどこからか視線のようなものを感じた。いよいよ、この視線も何かしら不穏なものではないかと、今日という今日は目をこらして辺りをみわたした。誰かと目が合った。名も知らぬ男。
それなのに、彼は慌てるように逃げ出した。とおもったら、足を止め振り返ると下品な笑みを浮かべて近づいてくる。
「なんだお前は?」
「探偵ですよ、旦那」
そうやって差し出された名刺には確かに探偵事務所の名前が書かれていた。
「理由はおわかりいただけますね? 既に、貴方が他の女性の家に入る瞬間を
ゆっくりと
私は元々遊び人だったし、欲求不満であることは彼女も承知していた。出張に行った私が浮気をするという確信があったのだろうか。現場を収めることで、私達は
しかし、見事に妻の予想が的中したのも恐ろしい。はやり、あの人の隣にいると、とても惨めな気持ちになってしまう。
「いいです、妻に直接その写真を送ってください。わざわざ、こんな時間まで。ご苦労をおかけしました」
なにか言おうとしている探偵を無視して私は駅の方に戻っていった。電車に乗り、リエに今晩は泊まりたいと連絡を入れる。
反応を探ろうかと、SNSのアカウントにチェックを入れる。すると、彼女は。
『私は自由になりました。私を
その言葉に
メッセージを送らず、そのままリエの家まで行った。すでに、片付けられていたが、部屋にはジャスミンの香りが未だ強く残っている。
私はリエに探偵の事を話した。そして、自分の思いを伝えた。
「こんな男でも、愛してくれるなら。ツラい道になるが、ついてきてくれるなら。私は、あの日のことを
彼女は涙ながらその言葉に
「そうですか、私たちも。革命を、起こすのですね」
「……どういことだ? 私たちも?」
「えぇ、と、いいましても。革命なんて言葉。ただの受け売りの
彼女はそっと
「どこからの受け売りだ?」
恐る恐る聞くと。彼女は言いずらそうに、視線をそらした。ならば言わぬが良かったのに、しかし、それほどまでに革命という言葉に彼女も踊らされたのだろう。私と同じように。
「貴方の奥さんです。奥さんの姿を一目見たくて、貴方の家まで行きました。そしたら、丁度男を家に招いている場面でして思わず、声を掛けてしまったのです。そうして、話を聞いている中で。彼女は、しきりに革命と言っていたのです。
ジャスミンの花言葉も、私からその香りがするといって笑顔で教えてくださりました。貴方は、あの人とともに革命を歩む運命にあるでしょうと。私は、そのとき彼女に認められたのだと。喜び、今日は大胆なお話しをしてしまったのです」
「早くそれを言えばよかっただろうに……」
「だって、奥さんに認められておそばにいるより、やっぱり貴方に認められておそばにいたいではありませんか」
結局私は妻に最後までいいようにされたのだろう。
探偵があの日、私に話を持ちかけてきたのは、彼女がリエと出会い、私の現状を理解したことで探偵への依頼を中断したのだろう。より稼ぎたかった探偵はわざわざ私の目の前まで来て利益を高めようとした。
そうなると、はなから彼女は浮気の
されど、出張から帰り、彼女の影一つなくなった我が家を見て驚き、ほんの少し
そして、空っぽになってしまった空間を満たすように、爽やかなジャスミンの香りが部屋に
「これから、どうしましょうかね」
「どうもしないさ」
淹れられたジャスミンティーをスーッと飲む。口に爽やかな味わいが広がり、脳がリフレッシュされるようだ。あぁ、やはり私はジャスミンティーが好きだ。
「死ぬまで。私達の自由さ」
【短編集】ひと世の戯れ Vol.2 岩咲ゼゼ @sinsibou-r
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