4.金に育てられた惨め

 人生ぜにがあれば幾分いくぶんかの夢が見れると言うが、それでも底辺の人間もいる。


 例えば、二十も超える時を親の金の力だけで生き抜いてきた人間。いくら金を持てども、何もできないそいつは、夢を持つことすらおこがましいほどのクズに成り果ててしまった。


 俺は、親の金以外の物が自分にはなかったことにやっと気づいた。両親は二人とも俺より仕事が好きで、仕事に使う金は慎重しんちょうで子供への金は雑だった。


 いい教育も受けず、俺は金で遊ぶばかりのガキだった。周囲の子供が塾や習い事に通っても俺は行かなかった。結果的にできあがったのが、おつむのゆるいクソガキだ。


 同じような頭の悪い奴らが通う中学に行き、金の力だけを借りて輪に入れてもらう。高校でもまた同じように金の力で生きてきた。


 周りの奴らはほとんどが高卒での就職だったが俺は金があるから大学に入った。もうその時期には自立も考え、このままじゃダメだと薄く考えもあった。


 周囲の人間関係が変わった。一人暮らしの生活が始まった。物の考え方を学んだ。でも、やっぱりその全てが親の金で満たされているような気がしてならなかった。いや、実際にそうだった。


 結局大学生活の中でバイトも、サークルも、勉強も何一つまともにやらなかった。就活が始まり『大学生活の中で一番頑張ったことはなに?』と聞かれた瞬間。自分の人生の中身のなさに絶望した。


 そうして、今もまだ親のすねかじって生きていた。ニートになり一年間。気がつけば一年もたっていた。


 両親はそれでも何も言わなかった。言ってくれない。責めず、叱らず。


 申し訳なさは貯まりに貯まっていった。ある日、俺からついに話を持ち出してしまった。


「働かなくてごめん」


 食事中にそう呟いた瞬間。笑われた。まるで冗談じょうだんを言われたみたいにみたいに鼻で。


 両親になにか言われる前に俺はキレて逃げるようにその場から立ち去った。それ以上なにか言われたらもはや自分が人間ではないように思えてしまいそうだった。


 でも、その出来事のおかげで俺はやっと外に出れた。


 はじめはそのつもりはなかった。この家から出て行きたいという思い出一杯で、高校時代の友人に頼った。


 そして、その場所を紹介してもらった。


 立地の最悪なボロいアパート。商店街の中から路地に入り真っ直ぐ行くというルートでしか入れないその不憫ふびん極まる場所は、なぜか今までの生活とは真逆の世界に見えて魅力的に感じてしまった。


 親元から逃げ出し、俺はそのアパートに入居した。入居してすぐに、紹介してくれた友人が遊びにきてくれて、お礼と言って金を差しだそうとしたら想像以上に叱られた。


「そんな金捨てちまえ」


 親から逃げてきたのにまだ、お前はその金に頼るのかと本気で怒られた。そして、なぜかその流れでバイト先を紹介してもらった。断ることもできずに結局面接だけ行ってみることに。


 そうして、いつの間にか俺は自立し始めていた。金は天下の回りものとも言うが、巡り巡ってまさかの一文無しからのスタートになるとら。


 もちろん、友人から叱られても金は捨てられない。親からの金は手元にある。自分でかせげるようになるまでは使っていくしかないのだ。


 でも、この金を使うことにすらみじめさを感じるようになってしまっていた。毎回なにかを買うごとに胸を締め付けられた。





 帰り道。居酒屋とカラオケくらいしか機能していないすたれた薄暗い夜の商店街を歩く。


 体には疲労が貯まっている。面接を受けるために、紹介してもらったバイト先に行った帰りだ。


 なぜか即採用で、すぐに仕事をもらった。話によると一週間程度は皿洗いをさせられるみたいだった。熱湯の中に手を突っ込み洗い、いまだ手のひらは真っ赤にれている。


 まかないが出るのは救いだった。親の金でめしを一食分買わなくてすむ。自分の仕事で初めて食った飯はちゃんと美味しくて感動した。


 商店街の中から不気味な細い路地に曲がる。通るたびに疑問に思う。一体どういう経緯でこんなことになったのだろうと。


 その狭い路地の両脇には家々が並んでいる。でも、人が住んでいる気配は全くない。伸びきった玄関の植物。さびび付いた自転車、室外機。自転車ですらこの散らかった道は通れないだろう。だからこそ、この道の奥にあるアパートは格安だ。


 ほんとに隠れ家のような場所だ。こんな道通る人もいないだろうし、不気味すぎて入ることすらためらってしまう。しかも長い。結構な距離の一本道になっている。


 死んだような道だと最初思った。晴れた午前の日に初めてこの道を通った。今ならなんとなくわかる。ここだけではない。この町の中にはこの場所のように死んでしまった土地がいくつもある。


 それがなぜかとても落ち着いた。


 そんな静かな道を進んで数分。伸びきった植物のカーテンをくぐってさらに路地の奥へと向かっていると、死んだ路地の中では異色のショッキングピンクの明かりが見えた。


 脇に並ぶ家の中の一つ。ガラス戸のその家の中からピンクのライトが漏れ出している。そして、そのライトに照らされた戸の奥に立つ一つの髪の長い女性らしき陰。


 遊郭ゆうかく的な情緒じょうちょ。夜に生きる世界に迷い込んでしまった錯覚さっかくを覚える。曲がる道を間違えたのではと思うが、家を出るときにいも後ろの植物カーテンを潜ったのを覚えている。


 つまり、この先に俺の住んでいるアパートがある。


 恐れながらもその店の前を通り過ぎようとする。真っ暗な路地の中。派手に光るのはその家だけだ。一体この場所はなんだと思いながら、恐ろしさも覚えてあえて前だけを見て真っ直ぐ進んだ。


 そして、その家を通り過ぎようとした時、背後で立て付けの悪い戸がゆっくりと開く音が聞こえた。


「よっていくかい?」


 扇情せんじょう的な女性の声だった。


 もろい心を逆撫さかなでするような、誘いの声色。そんな声で「よっていくかい」とはかなげにもか細く言われた。静かな夜の中その声は優しく響いて俺の足を止めてしまった。


「いや・・・・・・いいです」


 うわずった声でそう言ってしまう己が不甲斐ふがいなかった。でも、今手元には親の金しかない。こんな場所で金を使ったならいよいよおしまいだと思った。どんなお店かなんてわからないけど。俺が想像しているような代物しろものなのは確かだろう。


 ただでさえ、今親の金を使いたくないのに。こんな場所で使えるわけもない。


 そんな悩みを俺は抱いていたのだが、女の言葉で全てが崩れた。


「・・・・・・大丈夫。無料体験とかもあったりするんだけど」


 あるんだ。無料体験。


 思わず困惑してしまったが、すぐに気持ちは冷めてしまった。


 この女は今俺を値踏ねぶみして、金のない男だと値をつけた。そう思うととてもめた気持ちになると同時に惨めな思いで一杯になった。もはや、少しでも期待を持ってしまった自分が馬鹿みたいだ。


 言葉を返さず、先を進んだ。後ろでつややかなため息の後。戸の閉まる音が聞こえた。


 惨めさがつのる。自分という人間がこれほどまでに惨めに思えたことはなかった。


 結局、自分は親の金がなければその程度の人間なのだ。こんな死んだような路地で怪しげなことをやっている女から足下を見られるほどの人間なのだ。


 そして、一瞬でも期待し足を止めてしまった己のみにくさ。女が無料という言葉を持ち出した瞬間。その醜さがどれほど惨めに思えたか。


 その夜はこの出来事と、バイトでの苦労も合わさりなかなか寝付けなかった。





 生活は困窮とは言いがたい。未だに俺は束縛されている。


 お金なんてどれも違いなく等しい価値のはず。等しく保証されるから皆使っているはずなのに。なぜ俺はここまで『誰の金』というものに苦しめられるんだろうか。


 俺の金が欲しい。


 金がなければ夢が見れない。なぜ親の金がたくさんあっても俺には夢が持てなかったかが今はわかる。俺の金は一切ないからだ。


 バイト生活を続けても未だ一文いちもん無し。月初めに仕事を始め、二十日に入金される。まだ一週間もたってない。その入金された金で俺は一旦はこの窮屈きゅうくつさから解放されるのだろうか。


 コンビニの中でATMを開きながらそっとため息をはいた。仕方がないと思いつつ万札を下ろす。


 おとといの話だ。流石に親に気づかれて、「連絡をよこさないと金は入れない」という連絡が着ていた。どうやら、通帳の金を全部抜かれたみたいだった。財布の中の金は少なかった。でも、それならそれでいいやと思う自分もいた。


 結局連絡は返した、向こうに迷惑はかけれないという思いもあった。っ気《》けない返事と金はいらないというメッセージを送ったが。次に来たのは「入金しといたよ」だった。


 そして、俺は今日もその金に生かされる。意地でも手をつけないなんてことはできなかった。生まれてこの方我慢ができない。腹が減ったらこの金を使ってしまう。呪いだな、なんて思いたいけどただ自分が卑しいだけだ。


 金のことになるとすぐに惨めな気分になってしまう。 


 どうしようもなく。普通に飯を買う。節約なんて考えず食いたい物をかごに入れ、飲みたいものを買う。こんなんで給料が入った後、自分の金だけで生きていけるとは到底思えなかった。仕事も全く慣れず、来月までは半日分のシフトしか入れてもらえない。


 昼飯だけで千円を超えた。こんな生活じゃダメなのに。レジに移された金額に憂鬱ゆううつな気持ちを抱えてしまう。そんな俺とは裏腹にレジに立つ店員は不気味なほどニコニコしていた。


 自分を殺して仕事をしているのだろうか。それとも、笑顔が得意でこの仕事は彼女の天職なのだろうか。どちらにせよ、ここまでやってもこの店員は他の店員と同じ額しか金はもらえないだろう。


 世知辛せちがらい。


「おはしはお付けしますか?」


「お願いします」


 高めの声で聞かれてなにかに引っかかった。


 どこかで聞いた声?


 料金を支払いレジを後にしても引っかかりはとれず、なにかは判明しない。しかし、店内を出るときに後ろで響いた「ありがとうございましたー」を聞いた瞬間。思わず俺は振り返ってしまった。


 目が合った。未だ崩れないにこやかな彼女の目と。女性はは動じずゆっくりと一礼した。俺も、礼を返して急いで帰宅した。


 下劣な興奮が冷めなかった。


 彼女の顔を見てしまった。


 あの日の後もあのピンクのガラス戸の家は毎回変わらずにバイト帰りの帰路でに異彩を放っていた。しかし、通るときに声を掛けられることはなくなっていた。ガラス戸は開くが俺だと確認すると声を掛けずに静かに閉まる。


 そのたびにいっそこの親の金で買ってやろうかと思ってしまう。しかし、そんな勇気もなく惨めさだけを無料で買ってしまうのだ。


 一度もその顔を見たことはなかった。でも、今日見てしまった。


 あの作り物のような和やかな表情であの日俺を誘ったのだ。あのガラス戸の奥には卑猥ひわいな色に照らされたあの笑顔があるのだそう思うと、無性に欲情よくじょうが湧き出てくるのだ。自分の醜悪しゅうあくさがにじみ出てくるのだ。耐え難き性であった。


 金のころもがした裸の王様であれど男は男なのだ。それがどれほどまでに醜く恥ずかしく惨めなものだろうか。そして、俺は我慢ができない。


 その夜。バイトのない日だというのに、俺は店の前を通った。しかし、何もせずにきびすをかえし逃げるように走って家に戻った。怖くなったのではない、目を醒ました訳でもない。ただ、そのピンクに照らされた窓の奥に陰が二つ見えたのだった。


「あぁ、惨めだ。俺はどうしようもないクズだ。助けてくれ、金はやる。あげるから」


 たすけてくれ。




 いくら、つもりにもりゆく感情に押しつぶされそうになっても。今を生きてゆく。親の元にはもう帰れない。未だにあの日の鼻で笑われた情景じょうけい脳裏のうりによぎる。


 日々バイトをやって窮屈な道を辿ってボロいアパートに帰る。何をするわけもなく、酒をあおって眠りについて。またバイトに行く。


 なんなんだろうか。この生活は。


 親の元を離れたって一向にいい気分になれない。むしろ、あの生活がいかに守られていたかに気づく。金は人を守るのだ。だからこそ夢を見る余裕が生まれる。他人の金だからこそ、守られていることにすら気づけなかったのか。


 バイトでは一週間経ち、皿洗い以外の仕事を任されるようになっていた。今度は帰った客の皿を下げるだけの仕事だ。下げて一定量集まったら一気に洗い。洗浄機に入れて。乾いた物を食器棚に並べる。


 皿洗いの前後の行程が増えただけだが、体は満身創痍まんしんそういになっていた。それなのに、なぜ俺のの手元には未だ一文も金が入ってきていない。


 今日もピンクのライトはガラスを照らす。一つの陰が戸の奥でゆらりゆらりと遊んでいる。 


 もはや気に掛けるほどの余裕もなかった。身体ともに限界だ。


 そして、今日も声を掛けられることなく前を通り過ぎる。そうなるはずだったのに。 


「よっていくかい?」


 まさかの声に振り返ってしまった。そう、後ろを見てしまった。彼女を見てしまった。


 あの笑顔のまんまだった。作られた微笑み。荒れた髪の毛。少し開いたガラス戸からひょっこりと顔出してこちらを見ていた。


 思わず、言葉が口に出る。惨めな男らしい言葉が。


「・・・・・・すみません。手持ちがないので」

「無料体験もあるよ」


 あの日と同じことを彼女はいった。でも、俺のとらえ方は異なった。あの日と違い。すんなりと心にみこんだ。


 そっか。


 俺は、惨めな男なのだから。何を気にし、恐れる必要があるんだろうか。


「じゃあ」


 進路を翻し、俺は彼女の手招く方に向かった。


「それで」

「はい」


 死んだような静かな夜の路地にピシャリとガラス戸が閉まる音が響いた。


 内装は普通の建築のように見えた。


 奥に続く廊下ろうかの部分には仕切しきりのカーテンで先を隠されて見えない。右手には二階に続く階段があってそっち隠されていない。自然と、二階がそういう部屋なんだろうなと思った。


 彼女は、サンダルを脱がずに玄関に腰掛こしかけた。その隣をトントンと叩き従うように俺は少し離れて彼女の横に座った。


「無料体験はお話だけ。貴方は私を知って、私は貴方を知る」


 小首をかしげてそう話す彼女の笑みはいまえない。徐々じょじょに本当に楽しんでいるんじゃないかと錯覚さっかくすら覚えてくる。


 名前はマツリと彼女は名乗った。それから、ただ淡々と俺はマツリとたりさわりのない話を続けた。ピンクの光に肌を当てた彼女の姿はやはり官能かんのう的で、仕種の一つ一つが扇情せんじょう的に感じた。


 彼女の話の殆どはお涙頂戴ちょうだい的な悲しい話ばかりだった。両親はいない、誰も私を愛してくれない、お金がなくて仕方なくこんなことをしている。


 対して俺は、何も言えなかった。緊張していたわけじゃなく。やっぱり俺という人間は親の金以外に何もない人間だからだ。


 こんな年をして最近バイトを初めてしんどいんだなんて恥ずかしくて言えるはずもない。結局そうなると、話すことなんてない。


「貴方は私を救ってくれますか?」


 一通り彼女が自分の悲しい身の上話を語った後、笑顔を崩さず静かにそう一言放った。


「無理だよ、俺にはお金がないんだ」


 守りたい、救いたい。思うに決まっている。でも、そっと出た言葉がそれだった。俺にはお金がないんだ。


 君を救えるほどの金。親の金なら今すぐに用意はできるかもしれない。でも、ダメなんだ。俺は救えない。


 もっと、ガキだった頃に君に出会えていたら。何も考えず、救えたかもしれない。


 あぁ、こんなことが大人になるってことなのか?


「そうですか」


 悲しげに言ってもマツリは笑顔を崩さない。貼り付けたような笑みのまま、立ち上がった。どうやら体験も終わりのようだ。


 ともに外に出て手を振る彼女を背にアパートまでの道を行く。ガラス戸の閉まる音を聞き、立ち止まるとゆっくりと振り返りピンクのライトに照らされた路地を見つめた。


 俺が君を救えないように、君も俺を救えないんだろう。


 冷たい風が物音を立てながら吹きさっていく。


 救えないと言ったことに惨めさは感じなっかった。寧ろ、どこか誇らしさすら覚えている。一円もないはずなのに、自分の銭に少しだけれた気がした。そしてそれが空なことがただただつらい。


 追い返すように吹く向かい風に従い、振り返りアパートまでの帰路を辿った。


 この瞬間は、ただの自分でいれた。そんな気がする。




 その後も変わらぬ日々が続いた。親からの電話を無視し続けると、決まって金が抜かれ。返事をすると数万足されてまた入金された。バイトもそれなりに慣れてきた。


 そして、バイトの帰り。俺は毎日のようにあの店に入った。必ず彼女が誘ってくれて、俺はそれに従う。


 一度や二度聞かされたような話をもくもくと聞くだけだった。でも何度か合うたびに俺の話も小出しにしてしまうせいで、今となっては親の金のことも、アパート暮らしのことをバイトのことも彼女は知っている。何もない惨めな俺をいつの間にか彼女にさらしてしまっていた。


 そして、俺も。彼女の姿を知ってしまっていた。


「笑顔じゃないと、捨てられる。そういう生活だったの。本当に捨てられてしまった今でも、笑顔じゃないと怖くなる。私も、こんなに笑っているのに。中身はなにもないんだ」


 確かに彼女はずっと笑顔だった。だからといって楽しそうに話すわけではない。その笑顔にはうれいと自虐じぎゃくで満たされているのだ。


 どこ俺らは似ていた。僕らの人生はこの路地のように死んで、真っ直ぐで。なにかと交わることなく終点に向かうものだったのだ。でも、交わることはなくとも、同じ道を進む君がいた。


「貴方は、私を救ってくれました」


「まだ、俺は一円も払っていない」


 彼女は首を振った。


「だからです。貴方はただただ、私の話を聞いてくれる。私に話してくれた」


「・・・・・・そっか」


 その夜。僕は彼女と一夜をともにした。彼女の隣に座っているとき、いつも押さえつけていた獣性じゅうせいを向きだしにした。もっとも、自分らしい自分。ままで、我慢を知らず、なにものでもない。ただただ惨めな男。


 そんな、男でも。彼女は包んでくれた。


「君も俺を救ってくれた」





 初の給料が入った。二十日働いて入ったのは六万だった。丸一日シフトに入れるようになったのは最近だった。多くも安くも感じなかった。ただ、ただ気分は晴れやかであった。


 バイト帰り、コンビニで自分の金で酒を買って燃えるゴミに、親の通帳のキャッシュカードを捨てた。悪用されてもいい、どうせ俺の金じゃない。


 路地に入り、奥へと進むと真っ暗な一軒家の前にひざを抱えて座る女性がいた。


「待っていた」


 中に入らず、ともに玄関先に座って酒を開けた。乾杯をして、二人グイッと喉を鳴らしてあおった。隣でマツリが「おいし」と呟いく声がした。その細い一言は、本当においしいだろうと思えるほど楽しげだった。


 確かに美味い。


 狭い路地から夜空を見上げる。どこまでも広いその夜空を見ながら力を抜かすようにため息を吐いた。


 あぁ、金がない。どうしようもないほどお金がない。


 最高だ。


「いつかは、ここを出て。もっと親より離れた場所で暮らしたい」


「私、海の近くに住みたいな。静かな場所もいいけど。遠くから波の音が聞こえるのもいいなって」


「夢が広がるなぁー」


 たった六万の手持ちではただの叶わぬ夢。


 でもその叶わぬ夢が、今の俺の大きな『誇り』だ。

 

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