第7話 二つの温もり
日曜日の夜、私の部屋に来た暁さんがマフラーを外しながら呟くように言った。
「真輝が妊娠したってさ。尊から連絡きたよ」
どういう顔すればいいのか、正直わからない。すごく嬉しい知らせだけど、暁さんはどう感じたんだろう?
暁さんの腕をとって、そっとベッドに座らせた。隣にちょこんと座り、その手を握る。
何も言わない。だけど、暁さんが私の考えを見透かしたのか、ふっと笑って手を握りかえしてくれた。
「琥珀亭は大変になるな」
天井を見上げながら、彼が言う。
「尊一人じゃキツいかもなぁ」
そういえば、初めて琥珀亭に行ったときも、真輝さんが一人で大変そうだったっけ。
「......ねぇ、もし尊さんが良かったらの話だけど」
「うん?」
「琥珀亭に手伝いに行ってもいいかな?」
暁さんの目が見開いた。
「なんでお前が? うちの店はどうするの?」
「行くよ。レンタルショップのシフトを減らしてもらう」
「なんでそこまで......」
私は拳を握りしめた。
「バーテンダーとして行きたいの」
小首をかしげる暁さんを、私はじっと見つめる。
「腕を上げたいの。うちの店だとカクテルのオーダーってそんなにないじゃない?」
「うん」
「だけど、手抜きしたくないの。でも、うちの店では作れるカクテルも数が少ないから、琥珀亭で経験積みたいの」
興味をひかれたらしく、暁さんが唸った。
「うん、まぁ......仕事に燃えてくれるのはオーナーとしては嬉しいけど」
しばらく考え込んでいた彼が、ニッと白い歯を見せた。
「よし、行って来い!」
「うん」
「だけど、レンタルショップのシフトは減らさなくていいよ。うちの店のシフトを全部琥珀亭に変えればいい」
「え?」
「迷惑かけられないだろ。多分、尊もそう言うから」
でも......それじゃ暁さんと会う時間が減るなぁ。それが顔に出たのかわからないけど、暁さんが噴き出した。
「だから、そんな顔するなってのに。無防備に火をつけるんだから」
「前から訊きたかったけど、そんな顔ってどんな顔?」
彼は眉を下げて笑う。頬にそっと口づけされてドキッとした。
「......そういう顔」
顔が赤くなる。私が太刀打ちできないのは、真輝さんだけじゃないらしい。
「日曜以外もここに来るから。それでいいだろ?」
「うん!」
明るくなった私の顔に、彼は声を上げて笑った。ちょっと嬉しそうだったのが、私にはちょっとどころじゃなく嬉しかった。
彼はすぐに携帯電話を取り出し、尊さんに話をつけてくれた。尊さんは驚いたようだったけど、快諾してくれた。
私はぎゅっと唇を噛み締めた。咄嗟に思ったの。暁さんの隣に相応しい女になるだけでなく、バーテンダーとしてもそうありたいって。少しでも、暁さんと一緒に歩いていくだけの人だねって誰もが認めてくれるように。さすがは暁さんの右腕だって言われたい。
恋する女はびっくりだ。だって、数年前はバーテンダーになるなんて思いもしなかったのにね。
琥珀亭でいざ働いてみると、自分が暁さんから甘やかされてたんだなぁってつくづく思い知った。カクテルの技術だけでなく、フードの準備にも戸惑う。立ち位置一つにしても、意識することを教わった。お客様の雰囲気や会話だって『エル ドミンゴ』とは違う。
今までカウンターの外から見ていた景色がやたら遠くに感じた。内側から見えるもの。そこに求められているもの。全てが私を翻弄する。
暁さんはここで修行したんだなぁって思うと、なんだか頭が下がった。頑張ってるつもりでも、まだまだ甘いなぁ。自分で自分に呆れながらも、ここに来て良かったと思った。だって、バーテンダーの仕事がもっと好きになったから。
今までもお酒を知るのが楽しかったけど、ここではそれだけじゃない。人と人の繋がりっていうのかな? ご縁とか人情とか、郷愁みたいなものが溢れている。お凛さんなんか見ると、本当に思うんだ。人はいろんな物を背負ってる。バーでは誰もが主役になれる。お酒ってライトがその人の人生を映し出して、輝くの。
この仕事に出逢って良かった。そう思った。暁さんともし終わってしまっても、きっと私はバーテンダーを辞めない。そう思える自分が心地よかった。
暁さんにそう話すと、彼は目を細めて頭を撫でてくれた。
......ねぇ、伝わってる? 私、あなたに出逢えて良かった。相変わらず朝までいてくれないし、暁さんのアパートに連れて行ってくれないけど。真輝さんの話をするとき、ちょっと影を帯びるけど。苦しくて、虚しくなるときもあるけど。それでも、良かったよ。だって、特別な人ができたんだから。
私はぼんやり思う。きっと、この先、誰と恋しても暁さんはこの心の特別なところを占めるんだ。私が火の粉を散らすことを教えてくれたのは、彼だから。誰に真っ赤な火の粉を飛ばしたとしても、きっと彼の姿がちらつく。この火をつけたのは、彼だから。
ある日のことだ。
「なぁ、お前、大丈夫なの?」
返却DVDを腕にずらっと何個も乗せる職人芸をしながら、信吾が訝しげな顔をしている。心配そうな信吾に、私はギクリとした。
「なんで?」
「だってなんとか亭ってバーで慣れないことしてるんだろ? お前、なんだか疲れてるぞ」
「そうかな?」
さすがは信吾。結構鋭いんだよね。ここのところ、琥珀亭でのプレッシャーであまり眠れてない。なんかテンション上がり過ぎて、寝付きが悪かった。それを見た暁さんの言葉が、更に私を眠れなくさせた。
「しばらく体を休めることに専念しろ」
彼は少しでも私が休めるように、アパートに来なくなった。
......嘘つき。日曜日以外でも会ってくれるって言ったのに日曜日すら来ないなんて。
思い出して、私は目を伏せた。今頃、どうしてるんだろう? メールしても他愛もない返事ばっかり。少なくとも、私が寂しがってるよりは寂しがっていないよね。
「しょうがねぇな。飯でもおごってやるから元気出せよ。お前んちの近所のファミレスで新メニュー出たよな。行こうぜ」
「......そうだね。たまには息抜きもいいか」
「そうしろ。お前、無理してるだろ」
「なんでわかるの?」
「そりゃ、わかるさ」
彼が笑う。その目が懐かしむようだった。
信吾の目の前で暁さんとキスした翌日、彼は私にこう言った。
『頑張れよ。でも、少しでも暗い顔してたらアイツをぶん殴りに行くからな』
私は泣いた。信吾の優しさが沁み入ったんだ。この人と友達で本当に良かったと思った。
「......俺たち、今はいい友達だろ?」
「......今も、よ」
本当だよ。あんたは自慢の友達だよ。タイミングが合わなかっただけ。だけど、その代わり私たちのこういう労り合いは生涯続くんじゃないかな。そう思った。
アパートのすぐ近くにあるファミレスは客の入りも少なく、穏やかなBGMに包まれていた。
「お決まりですかぁ?」
能天気なウェイターがオーダーを訊きに来た。
「私、生姜焼き定食とティラミスとアイスティー。砂糖とミルクなしで」
「お前、新メニュー食べに来たんじゃないのかよ?」
「いいのよ、これが私の定番なの」
「じゃあ、俺はクラブハウスサンドと白玉ぜんざいと、コーヒー」
ウェイターがオーダーを繰り返し、踵を返した。
「あんたこそ、定番メニューじゃない」
「いいじゃん。やっぱりコレが一番なんだから」
私たちは肩を震わせて笑った。なんだかほっとする。気持ちが楽になった感じ。
「......やっと笑った」
笑顔のまま、信吾がほっとしたように言った。
「え?」
「最近、お前笑ってないの気づいてる?」
「気づいてない......」
彼は肩をすくめて、私をじっと見た。
「あのさ、お前とあのバーテンダーって本当に付き合ってるの?」
「......だと思うけど」
「思うって何だよ。大体さ、あの男と付き合い出してから目を腫らしてきたことって何度あるか数えたことあんの?」
そんなの、いちいち数えてないよ。押し黙ると、信吾は呆れたようにため息を漏らし、煙草を取り出した。暁さんと同じアメリカン・スピリットの匂いに、胸がズキリとした。
「お前がさ、すんごいハッピーなオーラ出してたり、穏やかだったら俺は何も言わないの」
信吾が煙を吐き出しながら、またため息をついた。
「ねぇ、俺にできることってないの?」
私はぎこちなく笑う。
「こうしているだけで充分」
「......そう」
信吾が切なく笑った。
「俺さ、まだお前のこと好きだよ。多分、ずっと好きだ。特別だから。出逢ってくれてありがとうって思うよ」
口を開きかけた私を制するように、信吾が矢継ぎ早に言う。
「それくらい言わせてよ。俺はお前が幸せならいいよ」
そう言うと、彼がくくくと笑う。
「なんかさ、映画とか漫画でよくそういう台詞あるじゃん。今までは『馬鹿じゃねぇの。んなわけないでしょ』って思ってた。もしかしたら、お前がアイツと結婚して子どもも生まれて幸せそうにしてるのを見たとき、胸が苦しいかもしれない。だけど、志帆が哀しい顔をしているよりはずっとマシだってことくらいはわかるんだ。最初は俺が幸せにしたくてしょうがなかった。だけど、違うんだよな。ただただ大事なんだ」
じんわり、涙が溢れた。
「結論から言うと、後悔したとしても、お前が幸せならそれでいいんだ。誰もいないなら、俺が駆けつけるけど。お前が選んだ人がいるなら、そいつに思いっきり志帆を幸せにしてくれって頼みたいよ」
「お待たせしましたぁ」
空気を読まないウェイターが料理を運んで来る。湯気が上がる生姜焼き定食やらアイスティーが並べられている間、私たちは黙りこくっていた。ウェイターが去ると、信吾が照れ笑いをする。
「......ほら、食べようよ。ちゃんと食べて、明日も頑張ろうぜ」
頷いた拍子に、涙がスカートに染みを作った。温かい。それは暁さんの抱きしめる温もりとはちょっと違う。だけど、嬉しかった。
「......美味しいね」
涙声で笑うと、信吾が白い歯を見せて笑っていた。ティラミスを食べながら、信吾を見て思う。暁さんも、真輝さんに対してそうなのかな? だから、心に真輝さんがいても私を抱けるのかな? ぼんやりとだけど、そんな気がした。
朝まで一緒にいるのは特別な人だと、彼は言った。
ねぇ、私って特別じゃないのかな? まだ今までの女の人と同じ? どうしたら特別になれる? このままじゃ『朝日のあたる家』になっちゃうよ。
「信吾はさ、『朝日のあたる家』って歌、知ってる?」
「うん。あれ、カッコいいよな」
「カッコいい?」
「そうじゃん。吠えるみたいに歌ってさ。魂の叫びって感じ。自分のようになるなって」
「自分のように?」
「そう。だから、あの歌を聴く人の胸に響くんだろ」
ふぅんと頷く。
暁さんが今までどんな女と付き合って来たか知らない。心に真輝さんがいても構わない位好きだったのか。それとも、単に暁さんと遊びたいだけだったのか。
私は拳を握る。そうだね。同じにはならないって願うよ。私は違う結末を見たい。会ったこともない彼女たちに嫉妬したこともあるけど、今は違う。
受けて立とうじゃない。貴方たちが引き出せなかった暁さんの素の自分を見るまでは、私の朝日は昇らないんだ。そう、昇らないんだよ。
「そういえばさ」
ふと、信吾が私を見つめているのに気づいた。まるで観察するかのように。
「あのバーテンダーって、お前に『ツマラナイ顔してる』って言ったよな」
「......うん」
「お前、今まさにそんな顔してるってわかってる?」
「嘘?」
「本当。『何かが足りない』って顔」
信吾が背もたれに体を預け、私を見透かすような顔をした。
「ときどき、お前はそういう顔してるんだよ。だから多趣味なのかなって思ってた。何かを探して手当たり次第飛び込んでるように見えたよ」
「そうかな?」
「そうだよ。俺といるときにそんな顔されたらさ、どっかで『俺じゃ埋めてやれない』って怖じ気づいてた。そんで、他の子に走ったけど、結局お前を目で追ってたわけ」
彼は眉を下げて笑った。けど、すぐに切ない顔になる。
「......だけどさ」
ぽつんと呟くような声が響いた。
「付き合ってるのに、どうしてまだそんな顔してるの?」
ぐっと言葉に詰まる。
「そんな顔してないで、さっさと幸せになってさ、俺を解放してよ」
「......うん。頑張るよ」
私は何度も頷いて、そう呟いた。
「私も信吾と出逢えて良かった」
私たちはふっと笑みを浮かべて見つめ合った。ありがとう。心からそう思った。
そのうち、信吾は思い切ったようにこう言い出した。
「あのさ、志帆には一番先に言おうと思ってたんだけど」
「何?」
「俺、就職しようと思って」
ちょっと驚いた。こいつも私と同じで、大学卒業してもバイトばっかりだったから。
「どうかしたの?」
「うん、まぁ、そろそろ正社員の仕事探さないとなって」
信吾がニカっと笑う。
「でないと、志帆が捨てられたときに養えないだろ?」
「縁起でもないこと言わないでよ」
ストローの袋を投げつけてやると、信吾が声を上げて笑った。
「いや、それは冗談だけど、うちの親父が体調悪くてさ」
「え? 大丈夫なの?」
「うん。今のところはたいしたことないけど。でも、いつまでもフラフラしてられないじゃん? 俺、曲がりなりにも長男だし」
「そうか。頑張ってね」
「おうよ。仕事決まったらメールするわ」
「うん」
なんだか、しんみりした。それぞれが歩き出すんだなぁ。そう思ったときだった。
「......志帆」
信吾が困った顔をして、私を呼んだ。
「へ?」
「外見てみろよ」
窓に目を移して、私の口があんぐり開いた。暁さんがもの凄く不機嫌そうな顔をして立っていたから。
「......なんで?」
「お前、彼氏と約束してたんじゃないの?」
「えぇ? してないよ! しばらく会わない予定だったもん」
慌てて携帯電話を見ても、何の着信もない。暁さんが焦れたように窓ガラスをコンコンと突いた。
「行ってこい。チキンな俺は二度と修羅場なんて御免だ」
「はぁい」
「......お前ね、このヤバい状況で嬉しそうな顔してんじゃないよ」
「え? 私、笑ってた?」
信吾は呆れるように笑う。
「健闘を祈る」
「任せてよ」
私たちは握った拳をガッとぶつけ合った。
走って店を出ると、暁さんの車が歩道に寄せられてる。運転席に戻っている彼が仏頂面だった。
......どうしよう。怖い。けれど、嬉しい。顔を見るの、久しぶり。
会いに来てくれた? 妬いてくれた? 心臓が狂ったように跳ねていた。助手席に乗り込むと、暁さんは何も言わずに車を走らせた。てっきり私のアパートに向かうんだと思いきや、全然違う方向へ車を走らせている。
「......あの」
「何?」
低い声で不機嫌そのものって響きだった。
思わず黙りこくってしまう。私は窓の景色を見た。夜の外灯が流れるように移りゆく。こんなに黙ったまま車に乗っているのも初めてだった。
暁さんが怒っているらしいことを除けば、なんだか悪くない気がした。なんていうのかな。言葉なんてなくても、同じ空間にいて違和感がない。私だけかも知れないけどね。そんなことを思ってるうち、車がスピードを落とす。
たどり着いたのは一軒のマンションだった。
「降りて」
やっと、暁さんがそれだけ言った。私は黙って車を降りる。暁さんがマンションのオートロックを解除する。
胸が高鳴る。ここ、暁さんの......。
ぼんやりしていると、彼が振り向いて、閉まろうとする扉を手で押さえていた。
「置いてくよ」
「あ、はい!」
私は駆け出した。
彼の部屋は二階だった。階段を上がり、彼が部屋の鍵を開ける。黙ったまま、私に入るように手招きした。
「......お邪魔します」
暁さんのアパートは殺風景だった。白い壁と焦げ茶色の床で最低限の家具しかないって感じ。奥に扉が見えた。2LDKってところかな?
きょろきょろしていると、彼が二人掛けの革張りのソファにドカッと腰を下ろす。どうしていいかわからないで立ち尽くしていると、また手招きされた。
「......なんで怒ってるの?」
すぐ傍でやっとそう言うと、彼の手が私の腕を引いた。私は彼の開いた脚の間に座らされる。後ろから手が伸びて、抱きしめられた。
「......お前ねぇ」
ため息が耳をくすぐる。緊張して目が回りそう。
「なんで、そんなに無防備なの」
「へ?」
「あの男と何を話してた?」
「あ、仕事の話。就職するんだって」
前半の話題を隠して、そう説明する。うん、嘘は言ってない。
「なら、いいけど」
暁さんが後ろから私を抱きしめながら、首筋に顔を埋める。
「......あの、もしかして、会いに来てくれた?」
「うん。そしたら男といてカッとなった」
「もしかして......妬いてくれた?」
「......お前、なんで嬉しそうなの」
「初めて妬いてくれたのかなって思って」
「初めてじゃないだろ。本当、鈍いな」
「え?」
暁さんがまた大きなため息をついて、私から離れた。
「おいで」
振り返ると、彼がむすっとしたまま自分の隣をポンポンと叩いた。私は黙って、そこに座った。暁さんが私に体を向け、顔を覗き込んでくる。
「あのね、どうして志帆はそうなの?」
「だから、何が?」
「吉田といい、アイツといい......火の粉散らすなら俺だけにしときなさい」
口がぽかんと開いた。この人、本当に妬いてるんだ。信じられない気分だった。
「暁さん、もしかして私のこと好き?」
「だから、いつもそう言ってるでしょ」
「目が離せない?」
「離せない。もう、どこで何やってんだか、ハラハラする」
涙が溢れて、彼の顔がぼやける。ただ、彼がやっと笑ったことだけはわかった。
それが、ますます涙を誘う。
「志帆には参ったよ。俺がどんな思いで会わずにいたかわかってないだろ?」
彼が拗ねるように言う。
「俺が寂しがってるほど、寂しくなかったんじゃない?」
......なんだか、私が思ってたことと同じ。
「俺、お前が他の男といるの嫌だよ」
「だって、真輝さんは? 忘れられるの?」
一瞬、彼がきょとんとして、それから眉を下げた。私の涙を拭い、そっと静かに話し出す。
「俺ね、真輝の前の旦那が死んだときも、彼女をなんとかしたくて必死だった。それは本当。だけどさ、尊が初めてうちの店に来たときに思ったんだ。あぁ、こいつなら真輝を幸せにしてくれるって」
指についた私の涙を擦り、彼が遠くを見た。
「あのとき、思ったんだよ。俺は真輝に笑って欲しくて意地になってたんだなって。どこかでもうとっくに、俺の手じゃ駄目なんだって気づいてたのに。そんで、危なっかしいお前に振り回されて、思った」
「......なんて?」
「こいつはこの手でしっかり掴んでないと、糸が切れた風船みたいにどっかに行っちまうって」
「私......どこにも行かないよ」
「うん。でも、一生懸命なお前に甘えてたら、誰かにかっさらわれちまう気がして、焦った」
彼は真面目な顔で言う。
「さっき、男といるのを見て、本当にそう思ったんだ」
しゃくり上げて泣く私を、彼が抱きしめる。
「俺のこの手は、真輝のためにあったんじゃない。気づくのが遅かったけど。俺の手は、こうするためだったんだよなぁ」
「もしかして......私のこと愛してる?」
声が震える。けど、どうしても訊きたかった。
「愛してるって言ってよ。お願い......」
暁さんがそっと体を離す。真面目な顔で私をじっと見据えた。眼差しだけが笑っている。
「愛してるよ。とっくに」
飛びつくように抱きついた。声を上げて泣く私がいた。彼は髪を撫でて何度も呟いた。
「待たせてごめん」
何度も、何度も繰り返し。
「気づいたらさ、胸が熱いんだよ。朝日に焼かれてるみたいにさ」
彼は静かにそう言ってくれた。私が泣き止んだ頃、彼は「黙ってて」と唇に指を当てた。じっとしていると、彼が携帯電話を取り出した。
「......もしもし。お疲れ様です。明日の予定なんですけど、日にちずらせます? はい、はい......じゃあ、その日に。すみません」
呆気にとられていると、彼がにやりとして携帯電話をソファに投げた。
「朝までと言わず、明日は夜まで一緒にいよう」
彼が私の手をとる。慈しむように握ってくれるだけなのに、体の芯が痺れるようだった。
「お前、特別だよ。俺に朝日をくれたから。眩しくって仕方ないよ」
そう言って、彼は笑う。
「ありがとう、志帆」
また泣きそうな私に、彼は唇を重ねた。暁さんの首に腕を回しながら、目眩を感じてた。
初めて抱かれたときも思ったけど、暁さんこそ朝日みたい。熱くて、眩しくて、じりじりと胸を焦がす。でも、それだけじゃない。朝日を見たときみたいに、希望が見える。尊さんと真輝さんのように、微笑み合って光を浴びてる私たちの姿が、容易に想像できた。今までどんなに想像したくてもできなかったのに、こんなに簡単に。ヴァンパイアみたいに、朝日を浴びて灰になっても構わない。本気でそう思った。
二人で迎える初めての朝になった。部屋が真っ白に染まっている。カーテンを開けると、朝日が昇るところだった。
朝日の中、私は暁さんの寝顔を見てた。目の前のそれは、本当に無防備で可愛かった。男の人に可愛いなんて言うのも変だけど。
暁さんの素の自分がそこにある。後にも先にも、この顔を見れるのは私だけでありますように。私は祈るような気持ちで朝日を見た。
肌の温もりが、穏やかだった。これが、私の欲しかった温もりなんだ。だって、こんなにも愛おしい。
覚悟してよね。私は彼の寝顔に向かって心の中で呟いた。私の火花はクセになるんだから。チカチカして、私以外、目に入らないんだから。一瞬だけど、絶え間ないんだから。
ちょっと鼻をつまむと、暁さんが「うぅん」と声を上げる。上を向いた彼にそっとキスをした。彼が目を開けて、キスを返してくる。二人で笑って、じゃれるように抱き合った。緋色の朝日の中で。
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