第5話 天霧らす神なれば

 大岩の脇を回り、先ほど私が追われてきた道を辿っていくと、さして離れていないところでけもの国人くにびとを見つけることができた。


 逃げているうちに散り散りになってしまったのか、たった一人で獣と向かい合う外つ国人は、今まさに獣に襲いかかられようとしている。


 外つ国人は手に持った木槌きづちを構え反抗する意思を見せてはいるものの、圧倒的に体格でまさる獣を前にして、彼は泣きべそをかいているようだった。

 無理もないだろう。


 そんな光景を前にすると、先の行いはあるにせよ、この哀れな外つ国人をなんとか救ってやれぬものだろうかという心持ちになってくるから不思議なものだ。


 古来、日の本の神は困難にあって泣き悲しむ者に寄り添い救いの手を差し伸べてきたとされる。

 

 荒ぶる大蛇おろちに娘を次々に喰われ、ついに最後の末娘すら喰われてしまうと嘆き悲しむ夫婦のもとに、天を追放された荒ぶる武神は現れて、見事大蛇を退治したという。


 また、偉大なる国造りの神は若き時、彼を妬んだ兄弟神たちによって殺害された。それを知り、泣いて助けを求めた彼の母のもとに、根源神の一柱ひとはしらである産霊むすひの神は二柱の貝の女神を遣わし、国造りの神を蘇らせた。


 日の本、葦原あしはらを知ろしめす天孫てんそん御子おこ、海の漁が得意なウミサチヒコと山の猟が得意なヤマサチヒコの話でも、兄の大事な漁具つりばりを海でなくしてしまった弟が困り果て泣いているときに、潮流を司る塩椎神しおつちのかみが現れて、彼に「海神わたつみが力になってくれるだろう」との助言を与えた。

 これにより海神の助けを得て、ついには大海にてなくした兄の釣針を見つけることができたのだ。


 もちろん神が皆そのような在り方をしているという訳ではない。

 当然、猛々たけだけしい荒振神あらぶるかみのように人や事の如何いかんに関わりなく顕現し暴れまわる神もいる。


 なれど私という神は人にこいねがわれれば、その者の力になってやりたいと思うのだ。

 別に外つ国人が私に助けを求めたわけでない。

 しかし、彼の一見すると怪物じみた顔が、泣く幼子おさなごのようになっているさまを前にして見捨てるほど私は冷酷ではない。



 古き歌詠うたよみ人は言う。

 

 天霧之あまぎらし 雪毛零奴可ゆきもふらぬか 灼然いちしろく 此五柴尓このいつしばに 零巻乎将見ふらまくをみむ 


――全天かき曇って雪でも降ってこないだろうか。この柴の林に一面真っ白に降り積もるのを見てみたいものだ―― 

   

 

 人の世にてあまねくを照らし、大いに信心を集める天照あまてらす大神にはあらねども、私もまた希われて小山おやま古社ふるやしろに鎮座する神の一柱なれば。


 天霧あまぎらす神――この天之狭霧神あめのさぎりのかみ御霊みたまが一つ、獣から人の子を救うをなすことなど容易たやすく済ませてみせようとも。


 輝く空に浮かぶ雲は、風に流れてそらを舞う。

 時には、一つに留まって大入道おおにゅうどうと呼ばれる巨人の姿になったり、渦を巻き上へと昇り、大蛇、たつの姿をとって人々あるいは神すらもおそれさせてきた。


 獣など一飲みにしてしまう巨大な竜に化生した私は、今まさに獲物に向かって喰らい付こうする獣の前へ、躍り出るようにして現れた。


 さとい獣は、突然現れた未知の存在に対して、己の身を発条ばねのように弾かせて、一目散に去っていく。

 生存本能に忠実な獣のことだ。

 獲物に集中して無防備なところに、巨大な怪物の乱入があれば、まずは身の安全のため兎にも角にも逃げの一手を打つだろうとの考えは当たっていたようで安心する。


 ――助かった。

 

 実は偉そうなことを言ったものの、この竜の身は浮雲うきくものようなもの。

 仮に獣と乱闘になっても負けはしないが、獣に打ち勝つというのは難しく、泥沼になること必至である。

 狂暴そうな竜の見かけをしていても、実はまったく恐ろしくもない漂う雲だったわけで最初にどれだけ獣を驚かせられるかが肝心だったのだ。


「よかった。あの、ご無事ですか? ……あっ」 


 獣が戻ってくる様子もないことを確認した私は、残された外つ国人へと声をかける。しかし、獣が脱兎のごとく逃げ去る恐ろしい姿の私を、当然ながら外つ国人も目にするわけで……。


 命は助けたといえ、彼を気絶するほど恐ろしい目にわせてしまったようだ。


 力なく倒れ伏している外つ国人を私は仕方なくやしろへと連れ帰り介抱することにした。


 本来ならば人の立ち入れぬ神の社にて外つ国人を寝かせてやり、目覚めたとき腹がすいていないかと友のために準備した山芋のムカゴをいくつか塩茹でにしていた。


 途中、芋を茹でる匂いで外つ国人は目覚めたが、弱っているのかこちらに敵意がないと判断したのか、あるいは芋に興味があったのか、暴れたりするようなことはなく、私は塩茹でしたムカゴを彼へと食べさせた。


 今思えば、介抱するにも別に友のための芋までくれてやる義理はなかったのではないかと思う。 

 芋にせよ水にせよ小山で得たものを私が大切に保管していたのだ。この見知らぬ荒地では貴重なものだろう。


 ――それを変な親切心を出したばかりに。


「……まだ食べるのですか?」


 味わうこともなく、手掴みですぐさま椀の中の芋を平らげた外つ国人は無言で、椀をこちらへと突き出した。

 もうこれで何度目のおかわりだろう。外つ国人には遠慮という概念がないのだろうか。


「あの……もうそろそろ……あっ!! ちょっと急に何を、あ、こら! 駄目です。勝手に荒らさないで!!」



  

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