第3話 鬼が出る蛇が出る

「……これでよし」


 注連縄しめなわ用の、丈夫で細長い縄を引っ張り出してきた私は、それをやしろの柱に巻いてしっかりと縛り付ける。その後自分の手首も縄で縛れば簡単な命綱の完成だ。


 これで遠出しても縄を辿ってここへと戻ることができるだろう。

 迷って社に帰ってこれなくなるという最悪の事態は避けねばならない。



 かくして事の次第を把握するため、少しずつ周囲の探索を始めた私は、程なくしてこの地の住人らしきものを発見した。どうも数人の集団で行動しているようで私はとっさに大きな岩へと身を隠す。


 岩の陰からこっそりと彼らの様子を窺うことにしたのだ。


 その住人というのは、私の半分程度の身の丈にして、小さな角が生えた浅黒い皮膚をしていた。まるで小鬼のようで、住人というには些かばかり怪物じみている気もするが、服も着ているし――ぼろ雑巾のようなものだが――手には狩猟道具らしきものも持っている――武器のように見えないこともないが――から、まるっきりの獣というわけでもないのだから会話くらいはできるのではなかろうか。

 

 と、私はなるべく好意的に解釈することにした。


 容姿が多少怪物のようであろうが何だろうが、この未知の場所で初めて出会った知的生物――たぶん――である。

 せめてここがどこなのかくらいの情報は得たい。

 

 深呼吸をする。

 そうして、私は出来るだけ相手を刺激しないようにゆっくり岩陰から身を現すと、努めて穏やかな声で彼らに話しかけた。


「――こんにちは。少し道をお尋ねしたいのでしゅが……むぐ」


 …………。

 表情は微笑みを浮かべたまま、体全体がピシリと音を立てて固まった気がした。

 日頃の隠遁生活の弊害がこんなところで現れようとは、想像できるはずもない。

 次の句を出そうにも、ヒュッと変な吐息が口から漏れるばかりで、熱くもないのに汗が止まらない。


 こんなに人見知りだったかしら。


「■□〇▽▽▲×□!!」


 住人が、人の言葉とも獣の鳴き声ともつかぬ叫びをあげた。

 背負う矢を素早く取り出すと、手にする小型の弓の弦に矢筈をかける。


「!?」


 警告もなくこちらに飛んできた矢を、紙一重でかわした私に、相手方は一層警戒を強めたようでこちらへとにじり寄ってきた。

 彼らは言葉らしき鳴き声でお互いやりとりをしているのだが、日の本の言葉ではなさそうだ。もしかすると外つ国人の類かもしれない。

 外つ国の言葉が獣のうめきのようなものとは知らなかったが、広い世の中そういうこともあるだろう。

 

 外つ国人は、小山おやまの麓の寺院にて祀られていた蕃神のように、日の本とは異なる神を拝むという。

 であれば、いかに私が貴人の姿をとろうと、彼らからすれば怪物と変わらぬように感じるのだろう。

 それだけ彼らと私の姿には違いがあった。

 異なる種族同士の意思の疎通はいつの世も難しいもの。山の中で大熊や大蛇おろちがいかに和やかに話しかけてきたとしても、人間は恐怖で逃げ出してしまうのと同じだ。


「お、落ち着いて、ください。私は……」


 身振り手振りで敵対する意思はないと伝えようとするものの、彼らの興奮はますます強まるばかり。

 息を荒げ、憤怒の表情を浮かべる姿からは殺気しか感じない。

 これでは、とても友好的な雰囲気など生まれようはずもなく……。


「▲×□!!」


 雄叫びを合図に、彼らはこちらへと飛び掛かってきた。

 それは、子供が親を見つけて無邪気に走り寄ってくる様なものではない。獲物を見つけて逃がすまいと追いかけてくる獣のさまだ。


 ――三十六計逃げるに如かず。


 私は来た道へと踵を返して走り出した。 



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