第八章:そこにある夢

第一話:事実は小説より奇なり

「……ポチっちゃった……」


 香純かすみ日向ひなた達と、Two Rougeのライブをテレビで鑑賞した日の夜。


 諒が隣の部屋で色々と調べ事をしていたのと同じ頃。

 香純かすみはパジャマ姿のまま、ベッドの上でスマートフォン上のブラウザに表示された『結果の発表まで、暫くお待ち下さい』の文字を、呆けたように眺めていた。


 彼女が注文したのは、今日のライブで発表された企画と合わせ、Two Rouge公式ショップで限定販売された、MARRY愛用のショルダーキーボードと同型のキーボード。

 これが期間限定、かつ抽選による限定十台のみ生産販売される為、その抽選に応募したのだ。


 彼女の憧れ、MARRYと同型のショルダーキーボード。

 それは香純かすみを喜ばせたかと言えば……その表情には色濃く不安が浮かんでいた。


 『Two Rougeなりきりフェスタ』。

 今日のライブイベントで発表されたその企画に、日向ひなた香純かすみは本気で参加したいと思っていたし、やるなら本気で挑みたいと思っていた。


 だからこそ、彼女も一念発起してこの抽選に参加したのだ。

 抽選受付は今日いっぱい。しかも抽選結果が出るのは何と明日の昼。

 それはまだいいだろう。

 外れたらそれはそれ。日向ひなたも言っていた通り、レンタルでショルダーキーボードを用意すればよいのだから。


 どちらかといえば、問題は抽選が


「……お父さんだったら、協力してくれるかな……」


 そう独りごちりながら、ベッドに横になると天井をぼんやりと眺める。

 彼女の不安。それは勿論そのだ。


 元々ショルダーキーボードの価格は、他の楽器同様にピンキリではある。

 安い物なら三万円前後。高い物だと十万を超えるわけだが。残念ながら、今回の物は後者である。

 そしてその価格、流石に中学生の香純かすみでは簡単にどうこうできるようなものでもない。


「……まあ、当たるかも分からないもんね」


 ため息をきながらも、そんな理由を盾に気持ちを誤魔化す。

 当たって欲しい気持ちもあるが、その金額に対する後ろめたさから、何処か外れたほうが割り切れる自分もいる。

 だからこそ、心で下手な期待をしないようにしていたのだが……事実は小説より奇なりとは、よく言ったものである。


* * * * *


 翌日。

 諒は未だゴールデンウィークなのを利用し、午前中から一人街に出て、ちょっとした買い物を済ませると、お昼過ぎに家に戻ってきた。


「ただいま──」


 玄関を開けた瞬間。


「お母さんなんて大っ嫌い!」


 思わず彼が唖然とするほどの強い叫び声がしたかと思うと、誰かがバタバタと勢いよく駆け上がる音がした。


  ──今の香純かすみ、だよな?


 靴を脱ぎ家に上がった彼は、そのまま居間に入ると、


「まったく。あの子ってば……」


 エプロン姿の母、静江が両腕を組んで呆れ顔をし、


「まあまあ。あいつだって色々やりたい年頃なんだろ」


 と、ソファーに座り相変わらず楽観的な笑みを浮かべる父、来人らいとの姿があった。


「何があったの?」


 諒が思わず首を傾げると、静江はひとつ大きなため息をく。


香純かすみが急に、キーボードが欲しいって言い出したの」

「キーボードって、PCの?」

「そんな安い奴ならわざわざ俺達に話なんてしないさ」


 諒が来人らいとの脇に座ると、父はテーブルの上で立てていたタブレットをすっと見せてくる。

 そこに映っていたもの。それは昨日香純かすみが見ていた、MARRY愛用のショルダーキーボードだった。


「何か抽選に当たったらしくてな。何でも千分の一の抽選に通ったらしい」


 その画面を見ている内に、流石の諒も少し目を丸くする。


「は? 十五万!?」

「そうなのよ。中学生がこんな物欲しいなんて言い出すもんだから、私も流石に呆れちゃって。はい」

「あ、うん。ありがとう」


 未だに不満を色濃く見せる静江が、諒の前にコップに入れた甘そうな白いコーヒーを置くと、諒はそれを一口軽く飲む。


「俺は若い内にやりたいことやらせたいし、構わないんだけどな」

「お父さんはあの子に甘すぎです! 大体香純かすみは今年受験なんですよ!?」

「別にちゃんと合格して何処か高校行ってくれればいいじゃないか」

「それはそうですけど、にしたって、こんな時期にこんな高い物買うなんて……」

「あいつならやる時は本気で取り組むだろ。投げ出したりはしないよ」

「ですけど、十五万ですよ?」


 諒は二人の温度差をはっきりと感じると同時に、互いに香純かすみのことを考えてくれていることも理解する。


  ──まあ、確かに母さんが驚くのも無理ないよな。俺だって三万位のかって思ってたし……。


 そんな気持ちがあると同時に。


  ──だけど、あいつ相当Two Rouge好きだし。本気でやりたいんだろうな……。


 昨日のあおいとの電話で聞いた内容から、ある意味こうなったのも理解する。


「それに、最後に合格すれば良いって言いますけど、受験勉強だってそろそろ本格的にしなきゃいけないでしょ?」

「なーに。俺だって高校受験なんて二学期から何とかした位だ。大丈夫だろ?」

「何が大丈夫なもんですか! そういう所が甘いんですよ!」


 両親の会話を聞く限り、会話は何処か堂々巡りしそうな雰囲気しかない。

 母親の不満も、父親の楽観視も。

 残念ながら根本的な一番の問題に触れていないのだから。


 ──ったく。ほんと、手が掛かるんだから。


 ふっと少しだけ笑った諒は、すぐに表情に真剣さを見せると、


「父さん、母さん。ちょっと話があるんだけど」


 と、言い争いに発展しそうな二人に割って入った。

 二人の視線を受けながら、諒は彼なりのアイデアについて話をする。

 それを聞き、母親は戸惑いの、父親は何処か嬉しそうな顔をした。


「諒。本気で言ってるの?」

「うん。母さん、ダメかな?」

「俺は大賛成だぞ」

「お父さんは黙ってて頂戴」


 賛同する意見にあっさりと釘を刺され、思わず呆れた笑みを見せる来人らいとに対し、静江は少しの間諒に真面目な視線を向ける。


  ──ほんと、この子も香純かすみに甘過ぎよ。


 内心そう思ってはいる。

 だが、


  ──でも、お兄ちゃんとしてそこまでしてあげたいって言うなら……。


 父より具体的な話をしてきた息子のしっかりとした考えに、何処か同情も芽生える。

 暫し顎に手をやり考えていた彼女は、はぁっとひとつため息を漏らす。

 その顔には呆れた笑み。


「……仕方ないわね。その代わり、さっき言った事は有言実行なさい。いいわね?」

「うん。ありがとう、母さん」


 嬉しそうに笑う諒を見て、両親は互いに顔を見合わせると、同じ気持ちで笑い返す。

 そこにあるのは、優しい息子を持ったという、そんな嬉しさだった。

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