第四話:子の心、親知らず?

「え? あ、その。眼鏡の女の子、ですか?」


 質問の意図が分からず、思わずきょとんとした諒に、萌絵の母親も思わず苦笑してしまう。


「そんな顔にもなるわよね。ごめんなさい。実は萌絵が、コンタクト切らしてるのに最後のひとつを割っちゃったみたいなの。それで本日どうしても眼鏡でご一緒しないといけないのだけれど。それを凄い気にしているのよ」


 「まったく」と言葉が続きそうな程の呆れ顔をした後。視線を逸らし、立ったまま顎に頬杖のように手を当て、誰に向けるでもなくため息を吐く彼女。


  ──あ、この顔……。


 ふっとそこに重なったのは、萌絵が日向ひなたに呆れる時の顔。

 そこにある血の繋がりを感じ、思わず微笑ましくなった諒は、自然に笑みを浮かべた。


「あの、萌絵さんに伝えてください。眼鏡でもコンタクトでも萌絵さんは萌絵さんだから、気にしないで欲しいって」


 彼の素直な言葉を聞いた萌絵の母親は、釣られるように同じ笑みを浮かべると。


「ですってよ。もうこそこそしないで腹を括りなさい。これ以上彼を待たせたら悪いでしょ?」


 今度は廊下に向け呆れ笑いを見せた。


 思わず「え?」と小さく驚きを見せた諒が同じく視線を廊下に向けると。

 壁からおずおずと身を乗り出し、萌絵が自信なさげに姿を現した。


 薄いベージュ色の、ひらひらとしたフリルの付いたシャツに、スカートは膝下ほどの丈の、白、ブラウン、黒を組み合わせたチェック柄。

 そんな清楚な服装は普段どおりの萌絵らしさがあるのだが、その顔には丸みを帯びた、半透明のフレームの眼鏡を掛けている。


 普段以上にどこか自信なさげにもじもじとしている彼女は、遊園地で見た眼鏡姿の椿が感じさせた大人びた印象とは違う、同い年らしさがありながら、どこか知的な雰囲気を醸し出していた。


「あ、あの……。待たせて、ごめんね」


 申し訳無さそうに頭を下げる萌絵に、諒は首を振る。


「全然。でも眼鏡も自然に似合うの、やっぱり萌絵さんって凄いよね」

「え?」

「凄く知的な雰囲気があって、それも凄く良いと思うよ」

「そ、そう……かな……」


 彼にとっては自然な褒め言葉だったのだが。

 褒め言葉に驚き、少し顔を赤くした萌絵以上に、その言葉に感心した顔をしたのは彼女の母親だった。


「ねえ、萌絵」

「な? 何?」

「諒君って、何時もあなたにこんな感じなの?」

「う、うん。そうだけど……」

「ふ~ん。どうりであなたが入れ込む訳ね」


 意味ありげに微笑んだ母にはっとした萌絵は、


「お、お母さん! あんまり変な事言わないで!」


 狼狽うろたえながら思わずそう叫んでしまう。


「へ、変な事?」


 突然の言葉を真に受け、思わず戸惑う諒。

 それはそれで彼女の動揺を加速させ。


「え、あ、その。な、何でもないから。気にしないで!」


 眼鏡の下の顔を真っ赤にしながら、必死にその場を収めようとするのだった。


* * * * *


「来ていただいた矢先に、お茶もお出しできずごめんなさいね」

「いえ。お気遣いありがとうございます」


 あの後すぐ、一度キッチンに去っていった萌絵の母親は、盆に乗せた緑茶の入った湯呑を諒。彼と並んでソファに腰を下ろした萌絵。そしてカーペットに正座した自身の前に順番に置いた。


「改めまして。私が萌絵の母親、萌奈美もなみです。確か、青井諒君、だったわよね」

「はい。お久しぶりです……というのも、ちょっとおかしいですよね」

「そうね。とはいえあの時だって偶然みたいなものでしたし、ほとんど初めてみたいなものだけれど」


 諒が少し困った笑みを浮かべると、くすりと萌奈美もなみが笑ってみせる。


「でも諒君。あの頃と比べたら見違えるほど凛々しくなられたわね。萌絵もあの頃のぽっちゃりから随分可愛らしくなったでしょう?」

「お母さん! そういう話はいいでしょ! もう……」


 突然自身の過去に触れられ、少し怒った声を出した萌絵だったが、その顔は未だ真っ赤。

 予想外の言葉に思わず諒も一瞬目を丸くするも、彼女を見て気持ちを察し、ふっと優しい笑みを浮かべると。


「それより、先日は本当にすいませんでした」


 突然、話の鉾先を変えるかのように、真剣な顔で萌奈美もなみに頭を下げた。


「助けたご夫妻の意向があったとはいえ、一晩萌絵さんをお預かりする事になってしまって。本当にご心配をおかけしました」

「いいのよ。むしろ萌絵なんて、帰ってきた矢先に、『お母さんありがとう!』なんてお礼を言って抱きついてきた位だもの」

「お母さん!」


 続けざまに恥ずかしい話ばかりをされ御冠おかんむりな娘をちらりと見て、肩をすくめた母親は、再び諒に優しい視線を向ける。


「それに。萌絵から話は聞いて、あなたが十分娘を大事にしてくれたのは分かっているわ。だから、謝らなくてよいから、せめて良い想い出として心に残してあげてもらえるかしら」

「……はい。ありがとうございます」


 そう言って笑う彼女に頭を下げ感謝すると、肩の荷が少し下りたのか。諒は湯呑を手にし茶を口にした。

 どこかゆっくりとしている彼の姿に。


「りょ、諒君。お茶は持っていっても飲めるから、そろそろ勉強始めよ?」


 脇で服の袖をちょんっと掴み、顔を真っ赤にしたまま困ったような顔をする萌絵。


  ──お母さん。余計なことばっかり言うんだもん……。


 この場を離れたいと思わせるには十分過ぎる状況だと、彼女の顔を見て色々と察した諒と萌奈美もなみは、互いの顔を見ると笑みを交わす。


「慌ただしくてごめんなさいね。後でまたゆっくりお話しましょう」

「はい。では、失礼します」


 彼の言葉を合図に立ち上がった諒は、同じく立ち上がった萌絵に急かされるように、居間を後にするのだった。

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