第三話:出てこない萌絵

 そうこうする内に、ゴールデンウィークも五月三日となった。

 連休中は天気が崩れないという予報通り、この日もまた気持ちの良い快晴。


 気持ちの良い朝から、少しずつ日差しが昼に向かおうとする午前十時前頃。

 諒は一人、小さめのリュックを背負って閑静な住宅街をゆっくりと歩いていた。


 服装は結局、普段の彼らしいTシャツの上に薄手の青い長袖のシャツに、下はジーンズという地味な出で立ち。

 誰かにコーディネイトを頼めないというジレンマもあったが、結局着飾るのはどうも自分らしくないと、敢えてこの格好にしたのだ。


 家から歩いて二十分分程。

 ちょくちょく立ち止まってはスマートフォンの地図を眺める。


「多分そろそろ……だよな?」


 きょろきょろと周囲を眺め、道を定めて歩いていくと。少し大きな通りに出た所で、ふと大きめのマンションが目に留まった。

 地上十階建てほどだろうか。ぱっと見真新しさを感じるやや横に長い建物。

 ちょうど地図に立ったピンも、そこに重なるように刺さっている。


「あそこかな?」


 目的地をじっとみつめた諒は、ふぅっと息を吐くと、少し緊張した面持ちで、そのマンションに歩き出した。


* * * * *


 マンションの敷地の門を入り、一階にあるエントランスに入る。

 大理石っぽい綺麗にカットされた石造りの壁と、その先に入るための自動ドアと郵便受けがある、シンプルだがどこか豪華さを感じる造り。

 慣れぬ空間に少し緊張しながら、インターフォン用のパネルを操作して、萌絵に教わった部屋番号を入力し、呼び出しのボタンを押すと。


  ピンポーン


 聞き慣れた電子音がスピーカーから聞こえた後。


『はい』


 彼の耳に聞き慣れない、しかし聞いたことのある女性の声が届く。


「あ、あの。青井と言いますが、霧島さんのお宅でしょうか?」

『いらっしゃい。待っていたわ。今ドアを開けるから、エレベーターで上がってらして』


 少し緊張した声で諒がそう声を掛けると、女性は優しげな声でそう促してきた。


「はい。分かりました」


 彼が返事をした直後、すーっと奥の自動ドアが開くと。その先に見えたのは、エントランスと同じ壁で仕切られたエレベーターホール。


 ごくりと生唾を呑み込んだ彼は、一度顔をぴしゃりと叩くと開いたドアを抜け、エレベーターに乗った。


 押したボタンは七階。

 ゆっくりと上がっていくかごと共に、諒の緊張感が増していく。


 だが、それは仕方ないのかもしれない。

 彼が今までに行ったことのある友人の家など、あおいの家位のもの。


 そんな彼が今向かっているのは、女友達の萌絵の家。

 しかも母親がいるのは既にインターフォン越しに分かっている。

 だからこそ、より心は緊張した。


 恋人ではなく友達だったのに、以前一緒に旅館に止まることにもなった相手の母親。


 あの時、電話越しでは笑ってくれていたが、本心はどうなのだろうか。

 何より萌絵の両親と、うまく話などできるのか。


 正直、クラスメイト相手の会話ですら苦手な自分を思い出し気後れするも。


  ──……なるようになれ、だよな。


 そう心に覚悟を決め、大きなため息を漏らした瞬間。


  ポーン


 七階に到着したエレベーターのドアがゆっくりと開いた。

 その音に気持ちを切り替えた諒は、廊下に出ると部屋と番号の並びを確認する。


  ──こっちか。


 エントランス同様の壁に覆われた廊下は、左右に部屋のドアが付いている。

 その番号を確認しながら歩いていくと。


 あった。


 表札にはローマ字で「KIRISHIMA」の文字。

 ここが、萌絵の家。


 諒は大きく深呼吸すると、ドアの脇に備え付けられたインターフォンを押した。


  ピンポーン


 先ほどより半音高い音がなり数秒。

 ガチャリという鍵の開く音と共に、ゆっくりとドアが開くと……。


「いらっしゃい」


 優しそうな笑みで出迎えてくれたのは、ベージュのワンピースに身を包んだ、諒の記憶に薄っすらと残る、大人な女性だった。

 萌絵と同じ藍色の髪がふわりとカールしたセミロングの女性。

 優しい顔立ちもまた、どこか萌絵を感じさせる。

 年齢はぱっと見で三十代程にも見え、想像以上に若い印象を感じさせる。

 幼稚園の時の記憶でも若い印象はあったが、そこから年齢を重ねたようには感じない。


「あ、あの。本日はお邪魔してすいません」


 露骨に緊張感を醸し出し、勢いよく頭を下げた諒の耳に、「ふふっ」とちょっとした笑い声がした。


「そんなに緊張しなくていいわよ。あの子が誘ったのにあなたが恐縮する事なんてありませんから。まずは上がって」

「あ、はい。お邪魔します」


 彼女の言葉に頭を上げた諒は、おずおずと玄関に入ると靴を脱ぎ、萌絵の母親の後を追った。


 短い廊下を抜けると、その先にはベランダの窓に隣接する広い居間があった。

 ソファがテレビに向かい合うように置かれており、間には立派な木造のテーブルが鎮座している。


「一旦そこに座ってて待っていてくれる? 娘を呼んでくるから」

「あ、ちょっと待ってもらえますか?」


 一度部屋から離れようとする彼女を呼び止めた諒は、慌ててリュックを下ろすと、そこからごそごそと何かを取り出す。


「あ、あの。お口に合うかあいませんが、こちらを」


 そう言って差し出したのは、包装されたやや大きめの箱だった。

 紙包みのロゴを見て、萌絵の母親は少し嬉しそうな顔をする。


「あら。これ『マリーベル』のクッキーじゃない」

「はい。以前萌絵さんとお土産選んでいた時、ご両親は洋菓子派だと伺ったので」

「そんなに気を遣わなくても良かったのに」

「いえ。何時も萌絵さんにもお世話になっていますし。先日ご心配もおかけしましたから」


 どこか恐縮した顔で話す彼を見て、彼女はにこりと微笑むと、


「わざわざありがとう。後で皆でいただきましょう。それじゃ、少し待っててね」


 そう言って、部屋を出ていった。


  ──粗相は、なかったよな……。


 少し不安になりつつも、自身に課していた最初のミッションをクリアした事。

 そして萌絵の母親が穏やかに接してくれた事に安堵のため息を漏らした後、ゆっくりとソファに腰を下ろした。


 部屋にはテレビや本棚に壁に掛かった絵画、ちょっとしたタンスやクローゼットなど。

 どちらかといえば、あまり諒の家と変わらない落ち着いた感じの空間。

 だがそれが、諒の緊張を少しほぐしてくれていた。


 しかし、母親が居間を出て数分。

 未だ、萌絵も彼女も居間に戻ってくる雰囲気がない。


  ──もしかして萌絵さん、調子でも悪いのかな?


 彼女が少し心配になり始めた、その時。


「まったく。気にしすぎなんだから……」

 廊下の奥から、呆れたため息を吐いた萌絵の母親が戻ってきた。


「どうかしたんですか?」

「いえね。萌絵にちょっとトラブルがあったんだけど……。諒君。ひとつ、変な事を聞いてもいいかしら?」

「はい。何でしょう?」


 突然の問いかけに首を傾げた彼に対し、彼女が問い掛けてきた内容は、


「あのね。眼鏡の女の子、好きかしら?」


 何とも不可思議な内容だった。

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