第五話:萌絵の部屋にて
やっとの事で母の呪縛から逃れた萌絵は、諒と床に置いたテーブルを挟み、互いにクッションに腰を掛けると、ほっと安堵の息を吐いた。
流石に、ずっと母親に何を言われるかわからない緊張感に
──良かった。これでやっと……。
気持ちに余裕ができたはずの彼女だったが、直後の諒の言葉で目が覚めた。
「へぇ。萌絵さんっぽい部屋だね」
「え?」
はっとした萌絵が見たのは、部屋をきょろきょろと見回す諒の姿だった。
──
女子の部屋など、妹の部屋くらいしか体験していない諒にとって、そこは新鮮さばかりのある未知なる空間だった。
ベッドに机。ドレッサーやクローゼットなど、普通にありそうな家具は、デザインは違えど同じように存在し。窓に掛けられたカーテンもどこか可愛らしいデザインなのもそれ程変わらない。
だが、
萌絵の部屋と言えば、壁は意外にも何かを飾られている様子がなかった。
代わりに目立ってこの部屋に多いのは本棚。
彼等の背丈以上ある大きな本棚が三架。それは手前の本棚をスライドできる物なのだが、そこには文庫本から単行本。少女コミックから文芸。ライトノベルから料理のレシピ本まで。様々な本が敷き詰められていた。
感心した表情で本棚をじっと見つめる諒。
その視線がまたも萌絵の気恥ずかしさを加速し、
「あ、あの。あんまりジロジロ見られると、恥ずかしいな……」
身を縮こまらせながら、ぽそりとそんな言葉を呟いてしまう。
「あ。ご、ごめん」
慌てて視線を戻した諒は、恥ずかしそうに俯く彼女に感化されたのか。
思わず目を泳がせると、頬を掻いた。
「と、とりあえず勉強、始めようか」
「う、うん」
そう言って、諒はリュックから。萌絵は立ち上がると机からそれぞれ教科書と宿題の内容が書かれたプリント、筆記用具を手にすると、互いにテーブルに並べると、静かに勉強を始めた。
* * * * *
互いに数学の公式を解いていた二人。
そんな中、萌絵はちらちらと諒の姿に目をやっていた。
勉強を始めて約一時間程。
彼は教科書を眺めながら、ノートに数式を書き留めているのだが。その表情はまるで、ボウリングの時同様に集中していた時のまま。
しかも、一切萌絵の方を見たり、話しかけてこようともしないのだ。
告白した相手がそこにいるにも関わらず、脇目も振らずに勉強を進めている。
そんな姿を見れば、萌絵も嫉妬のひとつもする……かといえば。
──真剣な諒君も、やっぱりかっこいいな……。
まったくもってそんな事はなかった。
諒が真剣さを見せ続けていた同じ時間。
萌絵はちらちらと彼を見ては
勿論、宿題も進めてはいるのだが。
合間合間で何かと彼を見ているせいもあり、あまり捗ってはいない。
だが、好きな相手が直ぐ側にいれば、こうなっても仕方ないのが乙女心。
時折じっと見つめては、はっとして勉強に手を出す。そんな集中力の欠片もない時間を萌絵は過ごし。諒もまた惜しむ事なく、真剣な表情を見せてくれていた。
「ふぅ……」
ちょうど問題が一段落した諒は、側に置いていた湯呑に手を伸ばすと、ぬるくなったお茶を軽く飲んだ後、軽く息を吐いたのだが。
そこでやっと気づいた。自身に向けられている熱視線に。
ふっと視線を重ねると、ぼんやりとこちらを見る彼女が目に留まる。
──やばっ。もしかして……。
「ご、ごめん! もしかして、声掛けてくれてた?」
集中しすぎていると反応すら返せない。
そんな自身の行動をよく知る諒が慌てて平謝りをすると、萌絵もはっと我に返り、慌てて両手を振り否定した。
「う、ううん。大丈夫! 諒君すごく真剣に勉強してて凄いなって思って見てただけだから。気にしないで!」
「そ、そっか。良かった」
あながち間違いではない言い訳。
だが、諒はその言葉にほっとすると、困ったように苦笑いする。
「でも、凄く勉強に没頭してたよね」
「俺、昔っからこうなんだ。
「でも、諒君って本当に何にでも集中力できるよね。それって本当に凄いと思うよ?」
「だといいんだけど。人によっては無視されてるって思われちゃいそうで、ちょっと心配なんだ」
「あ、確かに。そう感じちゃう人もいるかもね……」
言われてみれば。
確かに声を掛けても反応しないというのは場合によっては良くないと捉えられても仕方ない。
悩んでいるかのような諒の言葉に、萌絵も思わず考え込む。
そんな彼女の態度に申し訳なくなったのか。
「まあでも。今は
彼はそんな言葉で笑い返した。
「あ、そういえば……」
そんな時。ふと諒の心にある疑問が過ぎり、じっと萌絵を見つめる。
「どうしたの?」
「いや。この間
それは、諒が新学期の朝に突然知った真実だったのだが。彼はそれが本当なのか、今でも半信半疑だった。
だが、その疑問は彼女の反応を見てあっさりと氷解する。
「え、あ、その……。ごめんなさい!」
まるで図星と言わんばかりに顔を真っ赤にした萌絵は、その場で正座したまま思いっきり頭を下げたのだ。
突然の事に目を丸くする諒に、彼女は頭を下げたまま話を続ける。
「私、どうしても諒君と同じ高校に行きたくって。でも同じクラスでもないし、男友達なんて全然いないし。先生に聞くわけにもいかなくって、それで
萌絵も流石に、人のプライベートに勝手に踏み込んだ行動だと理解していたからこそ。申し訳無さが強くなり、話す声から次第に勢いが失われていく。
罪悪感から今までの中でも触れず、将来もずっと心の奥底に仕舞い込んでおこうと思っていた話だったのだが。まさかそれを諒から直接口にされるとは思ってもみなかった。
しかも、
「あの……本当にごめんなさい……」
思わず唇を噛む萌絵。
表情は見えないが、声だけで十分その気持ちが伝わったのか。
諒はこう優しく語りかけた。
「大丈夫だよ。この間も言ったけど、俺、感謝してるから」
萌絵がゆっくりと顔をあげ、上目遣いに見上げると、あるのはいつもの優しき笑み。
それが、心にあった罪悪感を軽くしていく。
「とはいえ、そういう意外な話はモテる
心がくすぐったくなったのか。諒はそう言いながら少し照れた顔を見せた。
「ごめんね。変な事聞いて」
「ううん。こっちこそ隠しててごめんなさい」
「別に気にしなくて大丈夫だよ。ちなみにあの時の手紙、まだ
「え? 嘘!?」
突然彼から告げられた事実に、萌絵が思わず驚きの声をあげると、諒は一瞬きょとんとする。
「多分本当。俺にその話した時、『見せてあげようか?』って言われたし」
「えぇ!? その手紙、見、見たの!?」
「流石にそれは断ったよ。俺宛じゃないんだし」
「そ、そっか……」
彼が手紙を見ていないことに、萌絵は胸をなでおろす。
とはいえ、心に引っかかることもあった。
──あの手紙に、流石に諒君の事が好きとか書いてなかったよね!?
そう。
もう一年以上前の手紙故に、中に何を書いたのか覚えていないのだ。
確かに諒に関係する事ではあったのだが。本人に対する直接の想い出ではなく、目的を果たす為に書いただけの手紙だった故に希薄な記憶となっていたのだが。
──今度会ったら、絶対処分してもらうように言わなきゃ……。
彼女にとってはある意味黒歴史。
だからこそ、諒に内緒でそんな決意を秘める、萌絵なのであった。
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