第九話:少しだけ変えたくて

 昼食を終えた六人がやって来た先。

 それは同じトラベルエリアにあるアトラクション『ガイストハザード ~恐怖の研究施設~』だった。


 幽霊による心霊現象などが頻発する研究施設を探索するパニックホラーアドベンチャー。いわゆるお化け屋敷なのだが。

 最新のAR拡張現実技術を駆使したゴーグルを付け、現実にCGを重ねて見せる演出の数々が、本当に恐怖を感じると好評なアトラクションでもある。


「さて。ペアに分かれたし、皆で入ろっか」

「はい!」


 この手のものはお手の物と言わんばかりに平然とした日向ひなたと椿が列最後尾に付くと、


「萌絵さんはこういうの大丈夫?」

「少し怖いけど……。迷惑をかけたらごめんね」


 これまた余裕を見せるあおいに対し、少し緊張した面持ちの萌絵がその後ろに並ぶ。

 そして最後は勿論、残りし青井兄妹なのだが。


香純かすみ。本気で無理はしなくてもいいんだぞ?」

「だだだだ、大丈夫だもん! おにいが一緒にいるんだから!」


 露骨に恐怖をさらけ出し、既に諒の腕にしがみついて震える香純かすみに、諒は心配そうな顔を見せた。


 そう。

 残念ながら、彼女はこういうのが大の苦手だ。


 ゾンビを撃って倒すなど、ゲームと割り切れるような物であれば、それでもまだ何とか割り切れるのだが。今回は完全に驚かせに来るホラー系。

 小さい頃からちょっとした怪談話を聞いてしまおうものなら、それだけで夜寝られなくなる程、怖いものがダメな香純かすみにとっては辛過ぎるアトラクションだった。


  ──妹ちゃんには悪いけど、これも椿さんにも楽しんで貰うため。ごめん!


 ここまで怖がると思っていなかった日向ひなたは、椿と話をしながら、ちらりと彼女を見て心の中で頭を下げる。


 昼食の時、露骨に嫌がる雰囲気を出した彼女を見て、日向ひなたは条件として、諒と香純かすみを率先してペアにさせた。


 何となく、怖がったとしても大好きな兄と一緒であれば、彼女も何とかなるのではないかと思ったのだが。その予想は当たり、彼女も渋々了承したものの、まさか入る前からここまで怯えるとは思ってもみなかったのだ。


* * * * *


 アトラクションに入り、キャストにAR用のヘッドセットディスプレイとヘッドホン、そして懐中電灯を借りた六人は、廃墟と化した研究施設一階に入ってすぐの受付エリアにいた。

 入り口は鍵を掛けられた扱いになっており、それぞれのペアが三階建ての建物それぞれのフロアから、ギミックを動かしたり、鍵となるアイテムを持ち寄り、ここで合流しないと脱出できないという流れになっている。


「じゃあ、僕達は二階だからあっちのエレベーターかな」

「う、うん」

「椿さんと私は三階だから、向こうのエレベーターだね」

「はい! 早く参りましょう!」

「じゃ。みんな気をつけてね」


 香純かすみ以外の五人がそれぞれに会話を交わし、二組のペアがエレベーターに消えていった後。


「……本当に大丈夫か?」


 諒がまたも心配そうに香純かすみを見た。


「だ、大丈夫。大丈夫だから!」


 そう返事をしながらも、彼女は既に歯をカタカタさせ、余裕がなくなっているのが見え見え。


  ──まったく。お前は優しすぎだよ。


 妹が怖がりなのを知るからこそ、本当は止めさせたほうが良かったかもしれないと少し後悔する。


 だが、同時に彼女は強情だ。

 自分のせいで空気が悪くなり、ここに来るのが取り止めになるのを避けたであろう事も、諒は容易に想像がついていた。


 実際の所、彼女の心の内はと言えば。


  ──おにいが一緒なら、多分、きっと、何とかなるから。大丈夫、だから……。


 恐ればかりの中、わずかな希望に縋っただけだったのだが。


 両腕で彼の腕に掴まり震える香純かすみにため息を一つ漏らした諒は、


「いくぞ」


 そう短く声を掛け、二人でゆっくりと一階を歩き出した。

 薄暗く気味の悪い廊下の先を諒が照らしながら、二人はゆっくりと歩く。


  コツン。コツン


 妙に響く足音。

 と、突然。雷の音と共に、激しいフラッシュが二人を襲った。


「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」


 瞬間。香純かすみがぎゅっと目を閉じ、思わず耳をつんざく悲鳴をあげ、諒に強く抱きついた。

 表情が強張り、身体が震える。

 目を開けたら、何か嫌なものが見えるのでは。そんな恐怖で目を開くことすらできない。


「大丈夫か?」


 救いなのは、耳に届く兄の声。

 それがあるからこそ、


「だ、だいじょ……」


 彼女は目を開けたのだが。

 そこに一瞬映ったのは、廊下に広がる血の池。

 それが彼女の顔を青ざめさせ、心を凍らせ、動きを固まらせる。


 まだ歩きだして間もないのにこんな状況では、時間も掛かるしどうにもならない。

 諒は仕方ない、と言った顔をすると。


香純かすみ。ヘッドホンとディスプレイ外しな」


 そう優しく彼女に告げた。


 これはキャストにも言われていた、あまりに怖い方向けへの対処でもある。

 殆どの演出はARで行われ、音もヘッドホンを介して流しているため、薄暗い施設を見る恐怖だけで済むのだ。


「で、でも!」

「……強がらなくたって良いよ。誰も笑わないし。俺も一緒に外しておくからさ」


 涙目で見上げた彼女は、諒が既にヘッドホンを首にかけ、ヘッドセットディスプレイを額にずらした姿になっているのに気づく。


 独りじゃない。

 兄はそう告げてくれている。

 そう感じたからこそ。


「……うん」


 アトラクションに来て楽しむことも出来ない、そんな後ろめたい気持ちがありつつも。彼女は一度諒の腕から離れると、同じようにヘッドホンと、ヘッドセットディスプレイをずらし、再び彼と腕を組んだ。


 薄気味悪さは今でもある。

 だが。驚かそうとする雷音はかすかに聞こえるだけ。

 目の前で光り輝くような何かも、血の池も見えはしない。


 少し気持ちが落ち着き、感じ始めた彼の腕の温かさに、心が安堵し、強張りも消えていく。


「じゃ、行くか」

「うん」


 先程より落ち着いた返事に頷くと、諒は妹と歩き出した。


「しっかし、お前昔っから苦手だよな~」

「し、仕方ないでしょ! 怖いものは怖いんだもん!」


 わざと呆れ笑いをした兄を見て、頬を含まらませ不貞腐れた顔をし、香純かすみは思わず強く言い返す。

 彼女の身はまだ少し震えているのを感じ、彼はそんな気持ちを落ち着かせるように、こんな話を始めた。


「そういや昔、お前が小学校入ったばかりの時にさ。両親が見てた怪談番組一緒に見て怖くなっちゃって、夜眠れなくなった日があったよな」

「う、うん」


 何処か懐かしそうな顔をする諒に、彼女は少し気恥ずかしそうに俯く。


 確かに覚えている。

 あの頃既に怖いものが苦手だった彼女は、夜本当に眠れなくなり、部屋の電気も消せずに、一人部屋で怖がっていた。


「あの日、おにいが部屋に来てくれて、朝まで一緒に添い寝してくれたよね?」

「そうそう。二人で布団に横になって、全然関係ない話して夜更ししたっけ」


 それは彼にとっても懐かしい思い出。

 だからこそ、寂れた暗い廊下に似合わない、優しい顔をする。


「あの時、何か一緒に歌ったよな?」

「歌ったよ。蛙の合唱」

「あれ? そんなんだっけ? 何で歌ったのか覚えてるか?」

「確か雨が降ってて、蛙の声が聴こえて。それで突然おにいが歌い出したんだよ」

「そうだったっけか。やっぱり子供って考える事が突拍子ないよな」


 確かに、怖がる相手と蛙の合唱を歌うことなど考えられない。

 だが、香純かすみは覚えている。それがとても気持ちを楽しくしてくれたことを。

 そんな事を思い返す内に、気づけば震えが止まっている事に気づいた彼女は、ふっと小さく笑った。


「おにいって、昔っからお人好しだよね」

「ん?」

「昔みたいに怖くて寝られないって言ったら、一緒に寝てくれそう」


 突然の言葉に香純かすみに視線を向けると、何処か悪戯っぽく笑っている。


「流石に一緒には無理だって」

「何で?」

「そりゃ……お前だって成長したし。恥じらいとかあるだろ?」

「べっつに~。私はおにいとなら何時でも一緒にベッドで寝られるけど」

「おいおい。お前も来年高校生だぞ。少しは考えろって」


 からかわれているのではと、困った顔をし頬を掻く諒。

 だが、それでも。


「まあ……眠くなるまでなら、一緒にいてやるけどさ」


 苦笑しながら、妹に出来る限り応えようとする優しさだけは忘れない。


  ──私が本気でお願いしたら、きっと何とかしてくれるかな……。


 そんな兄を見上げながら、香純かすみの心に、どこか悪戯っぽい、そんな本音が芽生えた。


 確かに今は昔と違う。


 昔から兄が好きだった。

 だが、互いに大きくなり、少しずつ大人びてきた今。魅力も。知識も。気持ちも大きく変化している。


 諒が今、腕を組んでいても恥ずかしさを見せないのは、怖がる妹を守るため。

 異性として、恥ずかしがってはくれない。


 きっと、それは自分が妹だから。

 妹以上ではないから。


 変わった事もあるが、きっと兄の中では変わっていない自分の立ち位置。

 それでなくても変わり始めた、兄の周囲を取り巻く恋模様の中。取り残されているかのような切なさが、少しだけ何かを変えたい衝動に駆られた。


「おにい

「ん?」


 彼が声に釣られ香純かすみを見ると、出迎えたのは、少し恥ずかしそうな彼女の真剣な顔だった。


「あのね。もし、今日眠れなかったら、一緒にいてくれる?」


 何故だろう。

 その言葉に嘘はないと諒は直感し、同時にこう勘違いする。


  ──やっぱり、よっぽど怖かったんだな。


「ったく。本当に怖がりだなぁ」

「はいはい。どうせ怖がりですよ~」


 呆れる兄に、呆れる妹。

 二人は視線を交わしたまま、互いにふっと笑う。


「ま、別にいいけど。でも一緒には寝ないからな」

「え~!? 久々におにいの事、ぎゅっとして寝たいな~」

「ば、馬鹿! さっきも言ったけど、お前も年頃なんだから。少し大人になれって!」

「ぎゅっとできないなら子供でいいも~ん」


 露骨にアピールされ、流石に気恥ずかしさが生まれた諒が顔を真っ赤にする。

 流石に異性と意識したであろう反応に、香純かすみもまた頬を染めつつ、小悪魔じみた笑みと共に、こう告げるのだった。


「おにい。今晩は覚悟して貰うからね」

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