第十一話:好きだからこそ

「確かに付き合えなかったかもしれない。確かにすれ違ったかもしれない。でも、好きな人に好きって言われて、椿さんは嬉しかったはずだよ。だからきっと、一瞬でも笑ったの。だからあの曲を、想いを込めて歌ったの」


 じっと諒の目を涙目で見つめながら、萌絵は強くそう言い切った。


 彼女もまた、椿の歌を聞いたことがある。

 その時、とても切なく寂しくなり、同時にそこにあった強い恋心が心に広がったのを覚えている。


 諒の心の内を聞き。椿の想いを知った今。

 自分もまた彼を好きだからこそ、彼女の感謝の想いをはっきりと理解できた。


 膝の上に乗る手に、ぎゅっと力が入る。

 少しだけ唇を噛んだ萌絵は、それでも目は逸らさず、想いを紡ぎ続けた。


「きっと、諒君も椿さんも同じだよ。きっと傷ついたと思う。苦しかったと思う。でも、諒君がいたから経験できた幸せもあったの。私と同じ。諒君に助けられたから好きになったの。どちらが悪いんじゃないの。お互い想い合ったの。その想いに悪い事なんてないよ。じゃなかったら、あんな切なくて素敵な歌、歌えないよ」


 しっかりと諒の目を見て語る涙目の萌絵を、諒は暫くの間唖然としながら見つめていたが。ふっと目を閉じると、物思いにふける。


  ── 『何時か、想いが届きますように』……。


 確かに想いはあった。

 切なく、苦しかった日々。

 それでも好きだったという想いを歌にし、この曲名にし、歌った椿。


 確かに届いた。

 すれ違ったけれど。実らなかったけれど。

 その想いは、確かに届いた。

 彼女の想いは、彼に届いた。


 彼女は、想ってくれていた。

 あの日、離れてしまっても、想ってくれていた。


 だからこそ生まれた歌。

 だからこそ生まれた素敵な歌い手。


 それは恋をする前、諒が彼女に望んだ事。

 彼女に歌って欲しいと、己が望んだ結末。


 そう。

 初恋は叶わなかったけれど。

 互いの想いが届いたからこそ、今がある。


「……おにいって、今でも、椿さんの事、好き?」


 香純かすみが不安そうに尋ねたその言葉に、萌絵は一瞬、その身を震わせる。

 彼が未だ、初恋に想いを寄せていたとしたら。

 彼女と再会した今。心惹かれ、彼女と結ばれるのではないかという不安が心を覆う。


 諒はゆっくりと目を開けると二人を見ると、少し困った顔をする。


「ごめん。正直、分からない。椿さんに振られたと思った時、初恋は終わったって思ったし。再会して思い出したのも、心の痛みばかりで。萌絵さんには悪いけど、今はあの時を思い出して、むしろ恋がちょっと怖くなってる位」


 話す内に辛くなる心を休めるように、少しだけ目を閉じ、深呼吸をし、心を落ち着けてから、語りは続く。


「ただ。あの時何も知ろうとせず後悔したから、萌絵さんの事もちゃんと知ろうと思ったんだ。同じ過ちを繰り返したくなかったからさ。……まあ、そのせいで、萌絵さんにすぐに応えられなかったんだけど……」


 話す内に、自身の情けなさばかりを感じ、表情を暗くしそうになる彼を見て、日向ひなたはふっと呆れた笑みを浮かべた。


「諒君って、本っ当にお人好しだよね」


 何処か空気の読めないようなかの発言に、思わず萌絵と香純かすみが驚いた顔をする。

 だが、相変わらず彼女はそんな二人を気にも止めず、笑ったまま。


「どうせ諒君の事だから、今話したのも正直な本音なんだろうけどさ。きっと萌絵に告白された時に、『振ったら同じように傷つくんじゃないかな?』、とか思ったでしょ?」

「それは……」


 当時の本音のひとつを言い当てられ、はっきりと戸惑う諒に、もしかしたら振られていたのではとより不安になる萌絵。

 そんな二人の不穏な空気を感じ、彼女はにっこりと笑う。


「萌絵〜。大丈夫だって。諒君が振らなかったって事は、ちゃんと萌絵の事を考えてくれたって事。友達になってくれたんだから、信じてあげなよ。諒君ってそういう所、本当に素直だし、優しいんだから」


 相変わらず褒められ慣れない諒が困惑するのを見て、日向ひなたは少しだけ呆れ笑いをした後、またも真面目な顔をした。


「きっと、みんな不安になると思うんだけどさ。諒君は一度、ちゃんと椿さんと話をするべきだよ」

「え!?」

日向ひなた!?」

海原うなばら先輩!?」


 散々日向ひなたの言葉に振り回された萌絵も香純かすみも。何より当事者である諒も、流石にその発言には今日一の驚きを見せた。

 だが、彼女は譲らない。


「だって、これから一年同じクラスのクラスメイトなんだよ。ずっとうだうだ悩んで気まずいまま過ごすなんて、今まで以上に辛いじゃん。折角の学校生活なんだし、楽しまなきゃ損でしょ?」

「確かにその意見には賛成だけど、流石にまだ諒も心の傷だってあるんだし……」


 流石のあおいも、その提案には渋い顔をする。

 確かに、今まで傷ついた彼を見続け、新たなる苦しみも聞かされたからこそ「そうだね」などと簡単に言える訳がない。

 そんな彼に向け、彼女は急に笑顔でウィンクして見せた。


「大丈夫。だって諒君。今少し、気楽に話せてるでしょ?」


 そう言われて、ふと諒は気づく。

 確かに、辛い想い出を語っていた時は、とても苦しかった。

 しかし、それを話し終え、思い詰めそうな時に感じた皆の優しさに、今その気持ちは和らいでいる。


 兄を。親友を必死に守ろうとする香純かすみあおい

 己を責める必要などないと言い切った萌絵。

 そして、一歩間違えれば諒の心が壊れるかもしれぬ中、それでも信じ、現実に向き合わせた日向ひなた


 皆がいなければ、もっと鬱々とし、もっと苦しんでいたかもしれない。

 そう思うにつれ、日向ひなたが真っ直ぐ自分に向き合ってくれ、辛い事を共有して欲しいと言ってくれた言葉の意味を理解し。

 同時に今だからこそ。辛い過去に向き合い、少しでも前を向ける。そんな気がした。


「……そうだね。逃げても何も始まらないし。このままでいたら、余計に椿さんを傷つけちゃうかもしれないし」


 諒はふっと笑みを浮かべると、皆から視線を逸らし、天井を向く。


「諒君……」

「おにい……」

「諒……」


 萌絵、香純かすみあおいが彼を見つめながら、未だ不安そうに彼に視線を向ける。

 そんな皆の視線に気づいた諒は、自然に笑うと皆に顔を向け、こう言った。


「俺も……変わらないと、いけないから」


* * * * *


 精密検査の結果、脳の異常が見受けられなかった諒は、翌日退院した。

 とはいえ、念の為その週は自宅で療養する事になり、彼は家で一人、暇な時間を過ごす事になった。


 そんな中。

 諒は学校に通うあおい日向ひなた、萌絵の三人に、ある願いを託していた。


「椿さんが断ったり渋るようだったら、無理強いだけはしないで」


 そんな言葉を付け加え。


 そして諒はただ、その日が来るのを待った。

 心の痛みに向き合い。心に覚悟を決め。


* * * * *


 そして土曜日。

 春晴れが続くその日の午後。諒はベッドに腰を下ろすと、半身を捻りぼんやりと窓の外を見ていた。


 温かな日差しが、春の陽気を感じさせる中。その表情は少し、硬い。

 頭には未だ包帯が巻かれているが、それはもう念の為といって良い。痛みもほぼなくなった傷は、明後日には抜糸する予定だ。

 家で療養していた彼だが、今日は相変わらず彼らしい、黒のTシャツに赤のチェックの長袖のシャツにジーンズという、変わり映えのない私服。


 そんな彼は、ただじっと、その時を待った。


  ピンポーン


 と。家のチャイムが鳴ると、「はーい」という声と共に母親が玄関に向かう。

 香純かすみは家に帰って来ていたが、流石に気を遣ったのか。一緒に昼食を食べた後、先にそそくさと二階に戻り、自室に篭ったままだ。


 静かに、何者かが階段を上がる音。

 それが、諒の緊張感をより高めていく。

 そして。


  コンコンコン


 短く三度、部屋のドアがノックされた後。


「真行寺さんがお見えよ」


 普段通りの母親の声がした。

 諒はごくりと唾を呑み込むと、ベッドに座ったままドアに向き直ると。


「入ってもらって」


 上擦りそうな声を抑え込み、静かにそう言葉にする。


 そして。ゆっくりとドアが開くと。


「お久しぶりでございます」


 学校帰りのブレザー姿で。

 昔と同じ、美しく長い黒髪で。

 何処か緊張した面持ちで。


 初恋の人は、立っていた。

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