第十話:後悔

 振られてしまえば心がすっと楽になり、諦めもつく。

 そんな事など全くなかった。


 告白の日から数日。

 諒は風邪を引き学校を休んだのだが、熱にうなされながら見た夢は、とても酷いものだった。


 椿と一緒にいる。

 いるが、彼女は常に、哀しげな顔をして泣いている。


 目を閉じる度にそんな彼女が夢に現れ。

 はっとして目を覚まし、夢かと思う。


 目覚める度に彼女にあんな顔をさせた事を後悔し。眠りにつく度にその顔を見て後悔した。

 あの日からもう、笑顔を見せることなどできず。心だけが傷ついた。


 憔悴しきった姿に流石の両親も心配となり、何があったのかと問いただされた。

 彼は暫し語ろうとしなかったが、根負けし重い口を開き、事実を話したのだが。


「学校に行きたくないなら、無理しなくていいぞ」

「そうね。辛かったら言いなさいね」


 あの時そう言ってくれた両親の優しさには、今でも感謝している。


 香純かすみにも本当に感謝した。

 学校が終わればすぐ家に飛んで帰り、ずっと側にいてくれた。

 一生懸命に兄の看護をしながら、学校であった楽しい話をしてくれた。

 その気遣いが、心を少しずつ楽にしてくれた事を、ちゃんと覚えている。


 数日後。

 熱も引いた諒は、学校に登校した。


 足取りは重い。

 だが、家族に心配をかけたくなかったからこそ、未だ辛い心に抗うように、学校に向かった。


 教室に入った矢先、男友達に声を掛けられた。


「お前、椿さんに告白したんだって?」

「まあ、俺達には高嶺の花だから。気にするなよ」


 慰めるように話しながらも、どこか呆れ、嘲笑あざわらう態度がしゃくに障り。

 思わず「うるさい!」と怒鳴り、彼等と話をしなくなった。


「まったく。女々しい奴だな」


 と皮肉られたが、自身でもそう思っていた。

 とにかく、自分が嫌になっていた。


「諒。あまり気にしないで」


 それでも側にいたあおいには、今でも頭が上がらない。

 だからこそ、親友で良かったと思っている。


 だが、失恋の痛手はそこから加速した。


 その日。後から教室に入ってきた椿に無意識に目を向けてしまった時。諒は心臓が止まるかと思った。


 彼女はばっさりと長い髪を切り。短髪になっていた。

 あおいの話では、数日前、突如髪を切って現れたのだという。


 その前日こそ、諒が告白した日。


  ──何で……。


 彼は呆然とした。


 女子が失恋の際に髪を切るという話はよく聞くが。彼女がそんな姿になったのが何故なのか。その原因は自分なのか。それすらも分からなかった。

 同時に、何処か痛々しく映る彼女を見て、また心が苦しくなり。結局、視線を向けることができなくなる。


 椿から目を逸らし。椿を避けるように行動し。椿と話をすることもなく更に数日。


 二学期の終業式を迎えたその日。

 もうひとつの衝撃が走った。


「残念だが、真行寺が今日で学校を離れることになった」


 朝のショートホームルームでの担任からの発表。

 それはクラスに一気にどよめきを生んだ。


「ご両親の都合で海外に行くことになったそうだ」

「嘘~!?」

「椿さん。本当なの!?」


 思わず悲鳴のような言葉を発する女友達の反応。それは彼女達すら知らなかったと伝えている。

 さすがの諒も目を丸くし、見るのが辛かったはずの彼女を見てしまう。


「では、真行寺。皆に挨拶を」

「はい」


 教壇の前に立った椿は、少しだけ深呼吸すると、別れの挨拶を始めた。


「残念ながら、この度転校することとなりました。このクラスとなり、皆様に温かく、優しくしていただけた一時は、とても幸せな時間でございました。わたくしは、仲良くしてくださった皆様の事を忘れません。これからも皆様が楽しく、充実した学生生活をお送りできますよう、離れても応援しております。本当に、ありがとうございました」


 深々と頭を下げ。皆からの拍手を受けながら頭を上げた彼女が、視線を教室内に巡らせる。

 そんな中。諒とも視線が合った。


 彼はその時の顔が忘れられなかった。

 向けられた、とても寂しげな笑みを。


 何故、そんな表情をしたのか。

 その時、分かろうともせず。


* * * * *


「……結局俺は、その日も逃げるように家路に就いて、椿さんに別れの挨拶すらしなかった。……酷い奴だよね。好きだって、言った癖にさ」


 想い出を心に思い返しつつ、涙も隠さず、震える声で語った諒は、天井を見たまま大きく息を吐く。

 そこまで聞いた萌絵達は、何も言葉を掛けられなかった。


 人の失恋話は耳にした事もある。

 だが、ここまで赤裸々に、強い想いと悩みを語られた事などなかったのだから。


「……これで、俺の話はお終い」


 心の痛みに表情を歪めながら、諒が皆に笑いかける。

 だが、それに異を唱える者がいた。


「……諒君。おかしいよ」


 それは、未だ真剣な目をした日向ひなただった。


「今の話だけじゃ、椿さんが苦しんだなんて分からないよ。なのにさっき諒君は、彼女を苦しめたって凄く後悔してた。何でそう思ったの?」

海原うなばら先輩! もうめてください!」


 思わず立ち上がって振り返り、両手で彼女の腕を掴んだ香純かすみが、涙顔のまま懇願する。

 彼女もまた、兄の心にここまでの想いがあったことを初めて知り、同時に怖くなった。このまま話せば、兄の心が壊れてしまうのではと。


 震えながらも必死に歯を食いしばり、じっと日向ひなたに視線を向ける香純かすみ

 流石に彼女もそれが堪えたのか。ふぅっとため息をくと。


「そうだね。ごめん、諒君。忘れて」


 そう、口にしようとした。

 だが。すんでの所で、別の言葉がそれを遮る。


「……日向ひなたさんって、勘がいいよね」


 はっとして振り返った香純かすみと、声に釣られ視線を向けた日向ひなたに、諒は情けない顔で笑う。


「……やっぱり。逃げちゃ、だめだよな」

「ダメ。香純かすみちゃんだって心配してるし。私だって……諒君が、心配だよ……」


 椅子に座ったまま、怯える萌絵が声を漏らす。

 既に彼女も涙しながら、香純かすみと同じように、身を震わせている。

 そんな涙目の二人に対し、諒は弱々しい、しかしとても優しい笑みを向けた。


「大丈夫。みんなが、いてくれてるから」


 兄の覚悟と、信頼の言葉に、溢れ出しそうになる不安をぐっと堪え、涙を拭く香純かすみ

 その笑みが、先日旅館で本音を口にした時。一緒にいられて良かったと言ってくれたものと同じだと気づき、何も言えなくなる萌絵。


 そんな二人の不安そうな顔を見て生まれる心の痛みと辛さを、少しだけ奥歯で噛み殺す。


「この先は、あおいにも、香純かすみにも、話してないから。悪いけど、ちょっとだけ、覚悟してくれる?」


 少しだけ、真剣な表情をした諒を見て。


  ──諒は、本当に強いよね。


 あおいは、昔から知る彼の強さに、改めて尊敬の念を覚える。


「分かった」


 真剣な顔で彼の背中を後押しするように、そう言葉にした彼に応え、彼女達もまた小さく頷くのを見て、諒は一度長く息をいた後、語り始めた。


「……椿さんのデビュー曲って、知ってる?」

「勿論。『何時か、想いが届きますように』だよね?」


 その質問に日向ひなたが答えると、彼は小さく頷く。


「彼女が転校した後。丁度三学期も終わる春先に、周囲が『これ、真行寺さんの歌じゃないか?』って盛り上がってて。変に魔が差して、YourTubeユアチューブに上がってたその歌を、俺も聴いたんだ」


 そこまで口にして。諒は顔をしかめ辛そうな顔をするも。深呼吸をして何とか心を落ち着けると、こう続けた。


「あの歌が、俺が、歌えなくなった理由」

「え!?」


 それを聞き、最も驚いたのは香純かすみだった。

 兄は確かに歌わなくなった。

 だがそれは、失恋した時の辛さからだと思っていたのだ。

 その想いを感じ、諒はふっと遠い目をする。


「確かに失恋して暫く歌いたくなかったのは本当。だけど、その時はまだだけ。本気でのは、あの歌を聴いた時から」


 そう言うと、諒は皆に背を向け、窓の方を向いた。

 まるでこの先見せる表情を、隠すかのように。


日向ひなたさん。あの歌聴いて、どう思った?」

「凄く切なくなったよ。本当は好きなのに、離れるしかなくって。想いを隠して、勇気をくれた彼と、離れ離れになっちゃったって……」


 歌詞から感じ取った気持ちを語っていった日向ひなたは、途中である事に気づき、目をみはり言葉を失い。他の面々もまた思わずはっとした。


 沈黙を嫌ったのか。

 諒がゆっくりと続きを語る。


「俺、さ。彼女の歌は本当に、人の心を打つって思ってた。だからこれを聞いた時、そこにある想いに気づいちゃったんだ。告白した時、最初に見せてくれた笑顔と、後から見せた寂しげな顔の意味に」

「椿さんは、あの時既に転校が決まってて……」

「……多分、そういう事」


 萌絵の切なげな言葉に、彼は短くそう返す。


「だから俺は後悔したんだ。あの時、ちゃんと理由を話そうとしてくれたのに、聞かずに逃げたんじゃないか。好きだったけど、離れてしまうのが分かっていたから断ったんじゃないかって。そんな気持ちも知らず、勝手に失恋した気になって、勝手に彼女に下手な希望だけを与えて。勝手に距離を、置いたんじゃないかって……」


 語る内に、悔しさが込み上げたのか。

 言葉の節々で、言葉を噛み切りそうな程、歯を食いしばり、力が入る。

 諒は、身を震わせながら、それでも言葉を紡いだ。


「そして同時に思ったんだ。椿さんが、俺の歌は心に響くって言ってくれたけど。もしかしたら俺が歌う事で、誰かを傷つけるかもしれない。不安にさせるかもしれない。そう思うようになっちゃって。それで歌うのが、怖くなったんだ」


 ふぅっと大きくため息を漏らした諒が、腕で顔を拭うと、またゆっくりと皆に身体を向け、


「結局。俺は彼女を傷つけただけの、最悪な男なんだ」


 また、寂しそうに笑った。


「もっと、ちゃんと椿さんを知ろうとしてたら、こんなに傷つかなかったのに。俺が勝手に好きにならなきゃ、傷つける事もなかったのに。俺が告白しなければ。俺があの時歌いさえしなければ。きっと、きっと。椿さんは──」

「違う!」


 後悔を強く口にし始めた諒を、強い叫びが遮る。

 はっとした彼が目にしたのは、涙を隠さぬ萌絵の、哀しげな決意の視線だった。

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