第九話:哀しき初恋

 あのカラオケから月日が過ぎ。

 やってきた文化祭当日。


 諒とあおいは、体育館で行われるライブを観るため観客席にいた。


 吹奏楽部の息のあったノリノリの楽曲。

 軽音同好会による、流行りの曲の演奏など。

 その見事な演目に拍手をし、堪能している内に、ついに椿達、声楽部の出番となった。


 先頭にセーラー服姿の椿が立ち。後ろに同じ格好で一列で並ぶ声楽部の女子生徒達。

 スピーカーから曲が流れ始め、椿が歌い始めた曲。

 それは、『初恋』だった。


 KFTケーエフティーセブンの楽曲のひとつで、これまた皆に人気の高い一曲。


 バックダンサーも兼ねた後ろの部員達が、スローな曲調に合わせゆったりとしたダンスを見せる中。椿の素晴らしき歌声が、体育館全体に響き渡った。


 それは聴く者すべてを魅了したといっても良かったと、今でも諒は本気で思っている。


 初恋のもどかしさ。募る思い。そんな感情が皆に共有され、心を掻き立てたのか。

 皆がその声に聴き惚れ。ある者はその歌声に泣き出す生徒もいた程。

 それだけ皆の心に響いたように、諒の目に映った。


 そして何より彼もまた、彼女の歌声から生まれし感情を強く感じ。共感し。彼女に目を奪われた。

 切なげに。でも幸せそうに歌う椿。

 じっと彼女を見て。彼女の歌を聴いている内に。


  ──椿さん。好きな人……できたのかな?


 諒はそう感じ、胸がぎゅっと締め付けられる想いがしたのを覚えている。


 あのカラオケ以降、彼女と直接会って話す機会などまったくなかったのに。

 学校で見かけても、目で追う事はあれど、声もかけなかったのに。

 それが当たり前だったはずなのに。


 何故だろうか。

 彼女との今の距離感を歌から感じ、切なさに強く胸が痛んだ。


 椿達が歌い終えると、今までで一番の歓声が周囲から上がる。


「本当に、椿さんの歌って凄いね」


 あおいが感慨深げにそんな声を掛けたのにも気づかず。諒はただ呆然と、彼女に視線が釘付けになっていた。


 椿が声楽部の皆と共に、深々と頭を下げた後。顔を上げ、周囲を見渡したその時。

 彼女がこちらを見つけ、微笑んだような気がした。


 今考えても、気のせいだったに違いないと思うのだが。彼は勘違いだろうと思いながらも、それが少し嬉しくて、自然に微笑み返していた。


* * * * *


 その後も、二人はそれまでの互いを知らなかった頃の日常に戻ったかのように、赤の他人のような距離感が続いていた。


 元々、諒も椿も友達だったわけではない。

 偶々偶然話す機会があり。願いを叶えてやっただけ。

 連絡先すら交換をしておらず、互いが動きもしなければ、接点など生まれはしない。


 しかも、椿が文化祭以降、男女問わず、より多くの生徒達の人気者となっていたのも、彼と関係を持てる状況を奪っていた。


 登校し、すぐにできる人だかり。

 帰りにしても、仲良くなった女友達と一緒。

 彼はそこに図々しく割り込めるような立場でも、性格でもない。


 縮まりようのない距離感もあったのだろうか。

 ある時。

 諒は自分でも嫌になる程、椿を意識している事に気づいた。


 別に話せなくていいはずだったのに。

 気づけば視線で彼女を探し。目に留まると思わず追いかける。

 見ているだけで、嬉しさで胸が少し熱くなり。

 そんな彼女と話す機会がない事を、どこか残念に想う。

 椿が男子生徒と楽しげに話しているのを見ると、何となく心がもやもやとし。


 そんな自身の不可解すぎる行動と感情に、何が起こっているのか分からず不安になった。


 授業中、何気なく椿を視線で追うと、何故か目が合って、彼女に微笑み掛けられる事も度々あった。

 だが、見つかる度に、恥ずかしさから諒は少しだけはにかむとすぐに視線を逸らし、思わず反省してしまう。


  ──何で、俺、こんな事してるんだろう……。


 あまりの自分の挙動不審さが嫌になり、情けない話と思いつつ、学校帰りにあおいにもこの話をした。


 その時の彼の言葉から、ついにその事実に気づかされてしまった。


「諒はきっと、椿さんに恋してるんじゃないかな?」


 そう。

 それが初恋だという事を。


「そ、そんな事ないだろ」


 きっと心を見透かされていると思いながらも、笑って誤魔化した諒。

 だが、内心でははっきりと自覚してしまう。


 文化祭で歌われた『初恋』。

 あの歌の歌詞に書かれていた感情が、今ならはっきりと分かるのだ。


『片想いの胸の苦しみは、彼を目にできただけですっと消え。

 でも声をかける勇気もなく。目で追っている内にまた、募るばかり。


 彼はきっと、こちらなど見ていない。

 そんな距離感が切なくて。

 だけど彼に想いを告げた時。振られるのがとても怖くて。

 どうすれば良いか分からぬままに、時ばかりが過ぎていく』


 歌詞にもあったそんな状況は、諒の心をより不安にさせた。

 初めて知った恋心をどうすれば良いかなど、本当に、全く分からなかったのだから。


* * * * *


 諒が鬱々とした日々を過ごす内に、気づけば季節も流れ、十二月となっていた。

 流石にこの時期になると、やれ誰々君と誰々ちゃんが付き合っただの。クリスマスの為にあのに告白するだの。

 思春期らしい恋バナが、周囲でも盛り上がり出していく。


 そんな中にあっても、彼の心はずっと晴れなかった。

 結局、あれからも椿と話す機会はなく、ただ遠間から彼女を見続けるだけ。

 じれったい日々が、日に日に諒の心を憂鬱にさせ、苦しめていく。


 家ですらため息をき、当時まだ小学生だった香純かすみに心配されることもしばしば。

 だが、流石にこんな話を幼い妹にできるはずもなく。「何でもないよ」と無理に笑いながら、その心を隠そうとした。


 だが。

 誰かに話せば少しは楽かもしれない心は、恥ずかしさや情けなさもあり、以降誰にも話せぬまま、想いだけを心に溜め続け。

 そんな日々が、より初恋を辛くしていく。


 そして。

 椿への想いで心に余裕がなくなってきた頃。

 ついに運命の日がやってきた。


* * * * *


 恋への想いとは、こうもわがままなものなのか。

 諒は後悔し、涙しながら、その日を語る。


 ある日。

 普段どおり学校に登校した諒は、先に来ていた椿と女子生徒達が、彼女の席の周囲に集まりしている会話を耳にした。


「しかし、椿さんもやっぱりモテるよね~」

「そんな事ございませんよ」

「だって相手は皆神みなかみ君だよ?」

「え? 何があったの?」


 後からやってきた女友達が興味津々に尋ねると、他の生徒がにんまりとしながら言った。


「椿さん。告白されたんだよ」

「え~!? 誰に!?」

皆神みなかみ君」

「うっそ~!? それでそれで? OKしたの?」

「いえ。お断りしました」

「なんで~!?」


 恋バナに盛り上がる女子達。

 だが、自席でそれを耳にしていた諒は、その話を聞き目を瞠った。


 椿が告白された。

 それは、彼女もまた美少女であるからこそ、あって当たり前な話。

 

 だが。

 その現実を間近に感じた時。諒の心が一気に苦しくなった。


 彼女が誰か別の男子と話しているのを見るだけで辛いのに。

 彼女にもし、彼氏ができたとしたら。


 自身の想いはどうなるのか。

 彼女のそんな姿を見続けるのに耐えられるのか。

 そんな不安が一気に膨れ上がったのだ。


 今思えば、諦める選択肢もあったはずなのだが。

 その選択肢が浮かばなかったのは、勝手に僅かな可能性を信じてしまったからなのかも知れない。


 もしかしたら、彼女も自分を好きなのでは、と。


 その日。

 諒はもう、何も手がつかなかった。

 表向きは真面目に授業を受けている。

 だが実際は上の空。


 膨れ上がった不安で、心が悲鳴を上げ。

 耐えられなくなった彼は、ひとつの決意をした。

 悲しき未来を迎えると知るよしもなく。


* * * * *


 放課後。

 天気は寒々しい灰色の雲に覆われた、冬の雨。


 声楽部が活動を終え、椿は部活仲間と三人。傘を差し、校門を出て帰宅の途に就いていた。


「つ、椿さん!」


 校門の外でじっと椿を待っていた諒は、通り過ぎたその背中に、強く声を掛けた。

 ゆっくりと振り返った三人。

 椿は驚きながら。女友達は怪訝そうな顔で、彼をじっと見つめ返す。


 その視線に心が緊張し。

 喉が渇くかのように、何かがつかえ、息苦しくなる。


 だが。それでも。諒は思いの丈を叫んだ。


「あ、あの。俺、椿さんが好きです。付き合ってください!」


 それを聞いた瞬間の、女友達の表情などまったく覚えていない。

 ただ。椿の表情だけは、未だにはっきりと覚えている。


 一瞬、とても嬉しそうな顔をした直後。何かに気づいたかのように、とても寂しそうな顔に変わったのを。


 その表情を見た時。

 言葉を聞かずとも、諒は絶望を予感し。


「あの……申し訳、ございません。わたくし……」


 続いた歯切れの悪い言葉で、はっきりと未来が潰えたのを感じ。


 心が、折れた。


 諒は瞬間。

 それが当たり前だと言わんばかりに、満面の笑みを見せた。

 まるで、そうなるべきだったと言わんばかりに。


「そりゃそうだよね。ごめん。忘れて」


 最後まで椿の言葉を聞くことなく、諒はそう言うや否や、三人を脇を駆け抜け、脱兎のごとくその場を走り去った。


「諒様!」


 どこか悲痛な、自身を呼ぶ声に振り返ることもできず。

 その声から離れたい。その一心で。


 雨の中、がむしゃらに走り。

 走っている内に、何で走っているのかと思い。

 走りを止め。歩みを止め。

 呆然と、その場に立つ。


 寒さが身に染みるはずなのに。

 走った身体が熱さを感じさせ。

 気づけば見えにくくなった瞳が、ぼんやりと雨の街を映し出す。


 何故、好きになったのか。

 何故、付き合えるのではと思ったのか。

 そんな後悔ばかりが心を責め。


 己の心の痛みを洗い流せるのでは。

 何故かそう思い。彼は本降りの雨の中、傘を閉じた。


 涙が、雨に混じり。

 身体が一気にずぶ濡れになり、一気に冷え込む。


 だが。

 もう、失意以外何も感じられなかった。

 雨が、痛みを流してくれることなどなかった。


 これが失恋。

 初恋の終わり。


 現実を強く感じた彼は、涙雨なみだあめの中、ぎゅっと両手を握り。

 声をあげようと天を仰ぐも。もう、声をあげる事すら、できなかった。

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