第十二話:ありがとう

 二人が互いに諒の部屋のテーブルの前で、クッションで正座する中。母、静江が二人の前にお茶菓子と、飲み物の入ったカップを置いていく。

 諒の前には原形を留めない程に真っ白なコーヒーが。椿の前にはほんのり香るアールグレイティーが注がれたカップが並ぶ。


「何か用事があったら、MINEで声掛けなさいね」

「うん。ありがとう、母さん」

「お気遣いありがとうございます」

「いいえ。では、ごゆっくり」


 飲み物を出し終えた静江は、二人に優しそうな笑みを残すと、お盆を持って部屋を出て行き。ゆっくりと閉まったドアにより、ついに二人だけの空間が出来上がった。


「僕達も立ち会うかい?」

「いや。二人じゃないと、話しにくい事もあると思うし」


 前日。

 心配になったあおいにそう声を掛けられたが、諒はそれを断っていた。

 だが、いざ椿を目の前にすると、やはり何と言葉を掛けて良いか分からず気後れしてしまう。


 それは彼女も同じだったのか。

 互いに視線を合わさず、気まずそうに、テーブルに視線を落としたまま。


  ──俺が、呼んだんだから。


 ふぅっと諒が長い息を吐くと。覚悟を決めたように顔を上げる。その気配を察し、椿もまた、顔を上げ姿勢を正した。


 互いの視線が重なる。

 どこか不安そうな視線が。


 諒は彼なりに無理矢理笑みを浮かべると。


「お久しぶり」


 と、短く声を掛けた。


「大変、ご無沙汰をしております」


 相変わらず丁寧に、しかし何処か余所余所しく返す椿に、諒の心が苦しくなる。

 また迷惑をかけている。そんな気持ちがもたげる。

 だがそれでも、言葉を吐き出した。


「椿さん。本当に凄い歌い手さんになったよね」

「……そんな事は、ございません」

「ううん。俺が思った通りだった。みんなの心をあれだけ打つ歌が歌えてたから、いつかきっとこうやって、みんなが椿さんの歌に耳を傾ける日が来るだろうって思ってたし」


 硬い笑顔。だが、彼の素直な本音を聞けたのが嬉しかったのか。少しだけ寂しげに笑った椿だったが。次の瞬間、申し訳なさそうな顔で俯いてしまう。


「……申し訳ございません。先日あおい様達から、中学時代にわたくしが転校した後の諒様の事を、伺いました」


 それは、あおい達に諒が依頼した事のひとつだ。

 ひとつはこの場を設けて欲しいというものだったが、その前に、聞いてくれそうなら、事前に過去の話をしておいて欲しいと頼んだのだ。

 勿論聞きたくないと言われたら、無理強いしないように伝えたのもこの話。


 椿が少しだけ唇を噛む。

 とても、悔しそうに。


わたくしが歌に込めた想いのせいで、諒様が歌えなくなった事──」

「聞いてくれて、ありがとう」


 罪を語ろうとする彼女の口惜しげな言葉に、突然諒は言葉を重ねた。

 突然の事に彼女が顔をあげると。諒は、困った顔で笑っていた。


「俺が話すと感情的になりそうでさ。椿さんにとっても辛い話になるって分かってたのに、俺の口からちゃんと話せなくって、ごめん」

「それは良いのです。そんな事よりわたくしは、諒様の気持ちすら考えず、あの歌を聴いてくださって、想いを知ってもらいたいとわがままになりました。ですがそのせいで諒様は──」

「いいや。椿さんは悪くない」

「そんな事は──」

「ううん。絶対に、悪くないから」


 溢れ出さんとする、彼女の後悔の念。

 諒はそれを、頑なに口にさせようとしない。


「だってさ。椿さんは沢山俺の事考えて、想ってくれたんだよ。もうすぐ遠くで離れ離れになるって分かっていたから、断ろうと思ったんだよね?」

「……はい」

「だから何も間違ってない。想いを歌に乗せて届けたいのだって、気持ちを伝えられなくて後悔したからだって分かってる。だから、間違ってないよ」


 そこまで告げて、諒は少し寂しげな顔で俯いた。


「俺もあの時、沢山後悔したんだ。告白の日、ちゃんと話を聞いておけばよかった。それより前から、もっと椿さんと色々話して、もっと知ろうとすればよかった。ちゃんと終業式の日に、さよならを伝えれば良かった。そんな沢山の後悔ばかりしてた」

「……それは、わたくしも同じです。歌で勇気を頂いたのに、周囲に集うようになった皆様の存在に浮かれ、そちらにばかりかまけてしまいました。文化祭で歌に乗せ、わたくしの初恋を伝えようとしながら、結局逢って言葉にすらしませんでした。もっと、貴方様と向き合えばよかったと、ずっと後悔しておりました」


 互いの胸の内を話す内。互いの瞳が涙で潤む。

 互いに心苦しそうに俯いたまま、互いにぐっと、何かを堪える。


「……そう。確かに俺も苦しんだけどさ。椿さんだって沢山苦しんだんだ。しかもお互い初恋でさ。分からない事だって沢山あったでしょ? だから、何も悪くない」


 優しげな声に、椿が上目遣いに視線を向けると。

 諒は、ふっと笑みを浮かべながら、涙を溢していた。

 その表情を見て、堪えきれぬ涙と共に、後悔が、溢れた。


「ですが! わたくしのせいで、諒様はこんな怪我をなされたではないですか!」


 椿が思わず叫ぶ。

 だが、諒は涙色の笑みを崩さない。


「あれは俺の不注意。別に椿さんは悪くない。だから、気になんて──」

「そんな訳には参りません!」


 感極まったのか。椿は両手で顔を覆い、号泣し、止められない懺悔の言葉を溢れさせた。


わたくしは身勝手な女なのです! あの日歌を褒めてくださった時からずっと、貴方様をお慕いしていたのに! 貴方様がわたくしを勇気付ける為に歌ってくださったのに! 気恥ずかしさで想いも礼も口にできないなんて! 返した歌はわがままな想いだけ。それが貴方様をこれほどまで傷つけていたなどつゆとも知らず。わたくしは一人こうやって、ずっとわがままに歌い続けてきた酷い女なのです!」


 嗚咽混じりに感情を叫びに変えた、彼女の心の痛みを感じ、諒は思わずぐっと奥歯を噛み、心の震えを必死に抑える。

 彼女の苦しみを改めて知り、己を罪悪感にさいなませそうになる。


 そんな苦しみと後悔をぐっと噛み殺すと。


「ありがとう」


 諒はただ、微笑んだ。


「俺の初恋は、あの時終わっちゃったけど。椿さんの事沢山苦しめたし、俺も沢山後悔したけど。それでも俺は、椿さんが、あの時俺を好きでいてくれたんだって知れて。椿さんが今も歌い続けてくれてて本当に良かったって思ってる。俺はもう、それだけで十分幸せだし、あの日、勇気を出して歌ってあげられて良かった。椿さんに出逢えて良かったって思ってる。だから……傷つけてごめん。そして、本当に……ありがとう」


 語られた言葉に、隠していたくしゃくしゃの泣き顔を晒し、諒は袖で涙をごしごしと拭くと、嬉しそうに微笑む。

 まるで、昔。互いに歌を歌いあい、褒めあったあの日の笑顔で。


 あの時、初恋が終わった。


 彼のその言葉に、椿の心が強く痛み、切なさに満たされる。

 だが。彼女もまた、昔のように笑う。


わたくしも、諒様があの時私わたくしを慕ってくださった事、とても嬉しゅうございました。本当に、ありがとうございました」


 互いに涙し、互いに微笑みながら。

 二人は暫くの間、ただ見つめあった。


 改めて再会を喜ぶように。

 互いが互いに持った、あの日の想いへの後悔を、許すかのように。

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