第六話:心の痛み
再び眠りについて、どれくらい経ったのか。
諒の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「諒とは話したの?」
「まだです。お母さんの話だと、お昼前からずっと眠ってるみたいで」
「妹ちゃん、大丈夫だよ。そんな顔見たら、諒君心配するよ?」
「そうだよ。お母さんも一度話をした時元気そうだったって言ってらしたし。安心しよう?」
「はい。ごめんなさい……」
どこか気丈な声に、涙声。
様々な聞き覚えのある声に、諒がゆっくりと瞼を開けると。
「お
「諒君!」
彼を覗き込むようにベッドの脇で心配そうに立っていたのは
二人共目を潤ませ、今にも泣きそうな程心配そうな顔をしている。
その後ろでは、
「
「お
思わず覆いかぶさるように抱きついた
「良かった……。良かったぁ……」
震える身体。耳元に届く安堵した涙声。
突然の事に驚いた諒だったが、そんな妹を見てふっと優しい笑みを浮かべると、安心させるようにゆっくり頭を撫でながら、「ごめん」と短く謝った。
「諒君。良かった……」
萌絵もまた感極まり、両手で口を覆い、思わず泣きそうになる。
それを見て、ぽんっと優しく彼女の肩を叩いた
「もう。二人共大袈裟だよ。そんなんじゃ諒君が困っちゃうよ」
そんな言葉を笑顔で掛けながら、本人も少しだけ目を潤ませていた。
「学校は?」
「無事始業式も終わったから、皆で帰りにここに寄ったんだ」
一人、普段どおりの笑みを見せる
「……って事は昼?」
「いや。二時位」
「え? そんなに経ってた?」
「だって。全然お
「ごめん。心配掛けちゃって」
「本当だよ。もう……」
皆が互いに安堵の笑みを交わした後。真面目な顔をしたのは
「諒君。ごめん」
「え?」
「私、
「……ううん。友達になってくれたんだし、何時かは話すべき事だったから」
今までに見せたことのない真剣さに、諒は苦笑しながら首を振る。
「やっぱり、今日のって椿さんが原因なの?」
ぐっと、何かを堪える顔。だが、そんな表情とは裏腹に。
「……違うよ。俺が、悪いだけ」
彼は気丈に、そう口にした。
「どういう事?」
「……突然再会するなんて、思ってなかったから。心構えができてなくって、パニックになっちゃって。で、少し外の空気でも吸おうって、廊下に出て階段降りようとしたら、足踏み外しちゃっただけ」
笑い話にしようと苦笑しようとするも、心が上手く付いてこない。
青ざめた顔色のまま、必死に何かを堪えるようにぐっと奥歯を噛むと、諒は視線を逸らし天井を見た。
少し、息が荒い。
片手を胸に当て、パジャマをぎゅっと掴む。
──
必死に心を隠そうと、何とか笑って見せる。
だが、見え見え過ぎる程の硬い笑みでは、誰も、安心などできはしない。
「お
「大丈夫。大丈夫、だから」
「嘘だよ。だって……昔と同じ顔、してるもん……」
はっきりと色濃く不安を見せる妹。
諒はその言葉の意味を知っている。
小学生だった彼女が、一生懸命に元気づけようとしてくれた、その恩を忘れる事などできなかったのだから。
彼は、無理矢理大きく深呼吸し、何とか息を整えようとする。
と、瞬間ずきりと頭が痛み。咄嗟に片手を傷に当て、強く顔を
「諒君!」
思わず悲鳴のような声を上げた萌絵にはっとすると、彼はまたも笑おうとした。
だが、強い痛みが耐えようとした意思を打ち消してしまったのか。
その、たったひとつの気遣いが、できなかった。
皆がいるにも関わらず、諒は頭を抑えた手を伸ばし、その腕で自らの目を覆うと、嗚咽と心の声を、漏らした。
「何で俺は、椿さんを傷つけたんだ。何で俺は、耐えられなかったんだ……」
苦しげに語られる言葉の数々に、皆の表情が強い心配を
そんな仲間に気づく事もできず。言葉が呼び水となり、堰を切ったように溢れ出した。
「俺は、やっぱりダメなんだ。俺がいなきゃ、椿さんは苦しまなかった。俺が声を掛けなきゃ。俺が歌わなきゃ。俺が歌を聞かなきゃ。俺なんか、人を好きになっちゃダメだったんだ。俺なんか……俺なんか……」
彼はただ悔しげに。ただ辛そうに。己を責める言葉ばかりを並べ。人目を
心にずっと隠してきた失恋に。
忘れようとした初恋に。
心を責め立てられながら。
諒が、椿を好きになり。椿に振られ。失恋で強い心の傷を負った事を。
萌絵は、彼が振られたことしか知らなかった。
見てきたことしか知らなかった。
だからこそ、ここまで思い悩み、苦しんでいたことまで、知らなかった。
三人がそれぞれに彼の苦しみを感じ。何も言えず。力になれず。唇を噛みしめる中。
「諒君!」
強く声を発したのは、
それが気付けになったのか。我に返った諒が、まだまだ溢れ出そうな言葉達を呑み込む。
パジャマの袖で涙を拭き、腕をゆっくりとどかして弱々しい視線を
「お願い。私達にその時のこと、聞かせて」
「
「
「諒君。お願い。聞かせて」
思わず
何故そう言われたのか分からない諒は、目を見開き唖然としたまま。
「ずっと独りで抱え込んで、辛いのを我慢してるから苦しくなるんだよ。だから聞かせて。
「
萌絵が予想外の事に茫然としていると。彼女が強い視線を向ける。
「萌絵は、諒君を好きだよね?」
「う、うん……」
戸惑いながらも答えた彼女に頷き返した
「妹ちゃんも、
「……うん」
「勿論」
真剣な
「私も、諒君が大事。いい? 私も、
──
彼女もまた、あの時の萌絵と同じく、自分に本音をぶつけてくれている。
友達になったばかりの自分に。
一度は毛嫌いされたはずの自分に。
それが本当に凄いと感じた。
自分のために、自分に向き合ってくれている彼女達が、本当に凄いと。
そんな気持ちが、諒の心を少し軽くし。その心に、少しだけ覚悟を生んだ。
顔を横に向け、彼は順番に彼等を見る。
じっとしたまま何も言わない
彼等は自分の傷心が癒えるまで、離れようともせず、苦しまないように想い出を避け、時間を掛け、待ってくれた優しい二人。
だからこそ、自分は今まで変わらずにやってこれたし、耐えられたのだろうと思う。
「諒君。無理だけは、しないで」
自分を慕い、真っ直ぐ向き合ってくれる彼女の想いがあったから、変わろうとするきっかけをくれた少女。
そんな彼女を傷つけることになるかもしれない。だが、今の自分も、見てもらうべき弱い自分だと、改めて思う。
そして。
こんな中でも笑える
きっと、こんなに強く、友達想いの彼女だからこそ。
「……
諒は、未だ涙目のまま、やはり弱々しく微笑む。
彼の言葉に、四人はそれぞれ真剣に頷き返す。
それを確認すると。
一度だけ大きく深呼吸をした後。諒は再び天井を向き、ゆっくりと語りだした。
数年前。
彼が経験した、初恋と失恋を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます