第五話:皆の心配
椿と共に盛り上がっていたF組の教室に、時間となったのか。先生が入ってきた。
だが。
「お前ら。一旦席につけ」
それは
何事かと、慌てて席に戻っていく生徒達。
と。そんな中。
「あれ? 諒君は?」
しかし、そこに彼の姿はない。
事情を知らぬ彼女は首を傾げるだけ。
だが。事情を知る三人は、ふと嫌な予感がした。
そして、予感を現実とするように。教師が真剣な顔で話し出す。
「このクラスの青井が、さっき階段から転げ落ち、頭を打って倒れた。額を割って出血もある事から、
「え~!?」
突然の事態に、思わず多くの生徒が驚きの声をあげた。
一部の生徒からは「まったく、あいつもドジなんだな」だとか、「一体どこに行こうとしてたの?」といった疑問の声もあがるも。何故彼がそんな事になったのかなど、分かりもしない。
「これから予定通り始業式に向かう。まずは
「は~い!」
教師の声に教室がにわかに騒がしくなる中。
「まさか……」
「諒君……」
二人が思わず顔を青くすると、椿も何も言わず、表情を暗くし俯く。
だが、彼女は落ち込む暇なく。
「椿さん。一緒に行こ?」
「え。ええ」
またも周囲に集まった女子生徒の誘いに、無理矢理笑みを返すと席を立ち、共に廊下に向かって歩いて行った。
「ちょっと。何があったの? 心当たりがあるの!?」
「ごめん
普段優しい表情ばかりを見せる彼の、珍しく見せた真剣さに、流石の彼女も事の重大さを感じ取ったのか。
釣られて真面目な顔をすると。
「わかった。今は聞かないでおく」
そう呟くように答えた。
「さあ。僕達も廊下に並ぼう」
そんな中。
──諒君……。
萌絵は、気にかけていながら彼を見過ごしてしまった後悔に駆られながら、心で必死に、彼の無事を祈るのだった。
* * * * *
暫くして。
諒が、ゆっくりと瞼を開いた。
目に留まったのは妙に無機質な天井と明かり。
頭が未だぼんやりと、霧がかったように晴れない。
──ここ、は……。俺、は?
ぼんやりとしたまま、ゆっくりと視線を傾けていく。
そこは、自身が寝かされているベッドとサイドテーブルだけがある、あまり広くない部屋。だが、それは自宅の部屋とは違う。
どこか保健室に近いようにも感じるが、それにしては保険医の座る机や、普段から置かれている薬品棚。視力検査のボードなども見当たらない。
直ぐ側の窓は少しだけ開いている。
そこから優しく入ってくる風の心地よさを感じながら、じっと窓の外を見た。
視線の先に見えるのは青空と山。
その光景から、随分高い位置にある部屋なのかと何となく思う。
──ま、いいか。何だか、眠い、な……。
また、瞳がとろんとし。そのまま眠りに付きそうになった刹那。
「……っつ!!」
突然ずきりと頭に痛みが走り、思わず額に手をやった。
急激に覚醒する意識と共に、そこに巻かれた何かに気づく。
布、だろうか。それから、当てられているのは、ガーゼのような独特な肌触り。
瞬間。
自身の身にあったことを思い出す。
「俺、確か……階段から……」
落ちた。
誰かに押されたわけではない。ただ、ふらふらと歩いていた脚が、もつれただけ。
何故、階段に行ったのか。
それは、逃げたから。
何から逃げたのか。
そこにいたのは、誰か。
また、ずきりと痛んだ。
頭が。心が。
──何故か、いたんだ。そう……いたんだ……。
痛みが、はっきりと思い出させた。
自分が教室から逃げた理由を。
そこにいた、初恋の人の存在を。
また、鼓動が早くなる。
また、呼吸が荒くなる。
それを、彼は必死に深呼吸し、堪らえようとした。
と、その時。
部屋の引き戸が開かれると、そこから顔を出した者がいた。
「諒? 大丈夫!?」
それは、彼の
彼女が不安そうにベッドに駆け寄ったのを見て申し訳無さが募ったのか。
「あ、うん。ちょっと傷が痛んだだけ。大丈夫だよ」
必死にその表情に笑みを作ると、少しだけ母は安堵した。
「私の事、分かる?」
「勿論だよ。母さん」
「父さんや
「うん」
「今日、学校で何があったかは?」
「……うん。覚えてる」
息子の無事を確認するように静江は質問を重ねていったのだが、最後の質問に彼が少し目を泳がせ、どこか憂鬱そうな顔をしたのを見て、彼女の表情が少し心配げになった。
「どうして、階段から落ちたの?」
「……俺の、不注意で。脚、踏み外しちゃって」
核心を突く質問に、困ったような笑みを浮かべる諒。
そこにある表情と、濁したような答えを聞き、彼女は何かを思い出したのか。釣られて憂いのある表情を見せる。だが、言葉は気丈だった。
「頭を強く打った後、意識を取り戻さなかったから、お医者さんに話して精密検査をしてもらったの。検査の結果が明日出るから、それ次第で明日退院か、数日か入院か決まるわ」
「……ごめん」
「いいのよ。無事だったんだから。勿論退院できても数日は安静にしないといけないし、一週間後には抜糸もあるから、どちらにしてもそこまでは学校は休まないといけないわね。それから……」
母はそこまで話して、ふっと優しい顔をする。
「もし、学校行きたくない時は、ちゃんと言いなさいね」
──母さん……。
その言葉に、諒は母の優しさを感じた。
彼が中学の時、失恋の傷心があまりに酷かった時に、両親が掛けてくれたのと同じ言葉と優しさが、今ここにある。
きっと、何があったのか察しているのかもしれない。
心配を掛けているのは分かっている。
「……うん。ありがとう」
それでも、敢えて事情は話さず、彼は感謝だけを素直に口に、微笑んだ。
「そういやここって……」
「
「うん。今、何時?」
「十一時よ」
「この事って、
「MINEは入れておいたわ。学校終わったら急いでこっちに来るって」
「そっか……」
ふと、何となく想像してしまう、必死の形相で病室に飛び込んでくる妹の姿。
それで胸が痛んだのか。少しだけ辛そうな顔をした諒に、母の表情が曇る。
「痛み止め、後で看護師さんに貰ってくるわね」
「あ、うん。ちょっと、寝ててもいい?」
「ええ。お昼には起こすわね」
「わかった」
心配をかけてしまった事に申し訳無さを感じつつも、心が既に疲れ切っていたのか。
諒はまたもぼんやりとした感覚を覚え、そのままゆっくりと瞼を閉じると、いともあっさり、まどろみの世界に沈むのだった。
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