第七話:歌から始まる物語

「椿さんを初めて知ったのは、中学一年の時。クラスメイトの中でも、ちょっと浮いた存在だった」


 そんな言葉から、彼はその時の事を振り返りながら、想い出を語り始めた。


* * * * *


 元々諒は、香純かすみを守らんと起こした問題が尾を引いて、小学校時代に友達はほとんどいなかった。

 それこそ、ずっと一緒にいたのはあおい位なもの。


 とはいえ、それも中学校ともなれば、そんな彼を知らない別の学区の生徒も増える。

 当時、既にその社交性の高さを見せていたあおいが間に入ってくれた事もあり、そこそこ友達にも恵まれ、やっと学生らしい生活を送れるようになっていた。


 そんな中学一年に同じクラスとなった真行寺椿は、同性異性問わず、皆から少し距離を置かれた存在だった。


 和風な雰囲気を色濃く魅せる、落ち着いたお嬢様。

 それは、今も何ら変わっていない。

 そこに大きな違いがあるとすれば。彼女は笑わない子だった事だろうか。


 周囲は、どこかその高貴な雰囲気に気圧けおされてしまっていたのか。あまり女友達とたむろするということもなく。

 声楽部に所属しているものの、彼女の歌う曲は家で習っている民謡ばかり。

 その馴染みにくい距離感からか、部活内でも親しい友達すらいない。


 そんな嘘か真かも分からぬ話を諒も耳にしてはいたが、所詮しょせん二人は思春期入りたての男女。

 異性という壁は、互いを早々結びつけるものでもなく。互いに干渉する事も、何か関係を持つような事もなく日常を過ごしていた。


* * * * *


 九月に入り、少しずつ空気が秋らしさを感じ出させたある日のこと。


 土曜日の午前の授業を終え、一度学校から帰宅の途に就いていた諒とあおいだったが。その途中、ふと諒は学校に忘れ物をした事に気づいた。

 それは、週末しなければならない宿題のプリント。

 あおいは塾があると聞いていたため、二人はそこで別れると、諒だけが独りがっかりしながら学校に戻っていった。


 校舎に着いた頃には、既にほとんどの生徒が帰宅したり、部活動に勤しんだりしており。彼等が学ぶ教室のある一階の廊下は人気ひとけもなく、とても静か。


 そんな中、自分のクラスに近づいた時。


「……ん?」


 諒は、ふと聴こえた何かに、耳を傾けた。


 それはとても澄んだ声で。囁くように口ずさまれていた、とある曲。

 聴こえるのは自分のクラス。ふと見れば、教室の引き戸が開いている。


 彼はその『勇気の翼』を耳にしながら、少しずつ、静かに、教室に近づいていった。


 『勇気の翼』。

 それは香純かすみが当時大好きだったアイドルグループ、『KFTケーエフティーセブン』が歌っていた、学生を応援するパワフルで、元気が出るポップな曲。

 彼はよく、それを妹に歌ってほしいとねだられ、カラオケや自宅でよく歌って聞かせていたものだ。


 囁くような歌声。

 それなのに、諒はその歌を聴き、自身の心が奮い立つ不思議な感覚を覚えた。


  ──誰なんだろ?


 静かに、歌の邪魔をしないよう教室の引き戸まで近づき、そっと中を覗くと。そこには窓辺に立ち、外を見ながら歌を口ずさむ、椿の姿があった。


 今でもあの時、とても驚いたことを覚えている。

 何故ならば、彼女はその応援歌を、とても寂しそうな顔で歌っていたのだから。


 歌は途中。サビの前まで行った所で止まる。

 そして。歌うのを止めた椿は、一人寂しげにため息を漏らす。


 その時。

 諒は何となく。本当に何となく。こう思った。

 彼女がそこで歌うのを止めてはいけないのでは、と。

 だが同時に。歌を止めてしまった椿が、また歌い出すこともない気がした。


 あの時。

 何故そんな事をしようと思ったのかは分からなかった。

 今考えると、この時既に、彼女の歌の魅力に惹かれ、もっと彼女の歌を聴きたくなったのかもしれない。


 歌を止めた彼女を相手に、気づくと諒は突拍子もない行動に出ていた。


 彼は静かに教室に入ると、ゆっくりと引き戸を閉める。

 その音に振り返り、驚きの表情を見せた彼女に向かい、笑顔を見せた彼は。


 突然、歌って聴かせた。

 『勇気の翼』の続きを。


 諒は、自分は歌が下手だと思っていた。

 それは自身がから。


 この歌声のせいで、小さな頃から音楽の時間は不思議そうに見られていた。元々暴力的と思われていたせいもあり、直接馬鹿にされる事は殆どなかったが、やはり気持ち的に積極的に歌う事はせず、中学に入っても、音楽の時間は口パクで誤魔化してきた程だ。


 香純かすみは当時から、そんな兄が歌う時の声色こわいろを好きだと言ってくれ、あおいも親友だったからこそ、当時も二人の前以外で歌う事は殆どなかった。


 だが。その時だけは歌った。

 恥ずかしかろうと。突然だろうと。彼女が望んでいなかろうとも。

 歌えば、彼女を応援できるのでは。何故かそんな気がしたのだから。


 流れるようにサビを歌いきった彼は、ふぅっと息を吐く。

 椿は驚きながら暫し唖然としていたが、はっと我に返ると、しっかりとした拍手を向けてくれた。


「とても、素晴らしい歌声ですね」

「全然。それより真行寺さんこそ、凄く綺麗な歌声だったし、良い歌だったよ」


 それが、二人が初めて交わした言葉だった。


「それだけ上手いんだから、部活とかでもっとみんなに聴かせてあげたらいいのに」


 噂話の事を思い出し、折角なんだしとそんな提案した諒だったが、椿は少し哀しそうに俯くと、こう語る。


「両親にはこのような歌を歌う事を望まれておりません。部員の方々もきっと、私は民謡を歌う者としか思っておりません。わざわざこのような歌を聴きたくは、ないと思います」

「誰かに、聴かせた事あるの?」

「……いえ。ですがわたくしはそう、感じているのです」


 寂しげな表情が、その時強く心に刺さったのを覚えている。

 それと同時に。彼は強く思った。


  ──絶対、そんな事ない。


 と。


「違うよ」


 諒の強い言葉に、彼女はゆっくりと顔を上げる。

 戸惑いが見える表情。こんな事を言えば、怒られるかも知れない。変な奴だと思われるかも知れない。


 だが、それでもいい。


 諒は貰った勇気を胸に、はっきりと口にした。

 正直な、彼の想いを。


「歌いたかったら、歌えば良いんだよ。誰が望むからじゃないよ。歌いたいんでしょ?」

「それは……そう、ですが……」

「真行寺さんの歌声は本当に素晴らしかった。そして、あの歌から勇気が貰えたから、俺も応援したくて歌えたんだ。きっとみんなも、椿さんの歌が沢山聴きたくなるよ。だから、歌いたかったら歌おうよ。歌うのは、自由なんだから」


 決して、誰かと話すのが得意ではない。

 だからこそ纏まりもなく稚拙だったと改めて思う。

 だが、そんな言葉を聞いた椿は、何かに気づかされたように驚いた顔をし。次の瞬間。ふっと微笑むと。


「ありがとうございます」


 そう礼を言い、深々と頭を下げた。


 言葉を言い切った満足感からか。

 はたまた、彼女の笑みに安堵したからか。


 心に落ち着きを取り戻した諒は、はたと気づく。


  ──俺……空気読めてない、よな?


 今まで一度も話すらした事のない自分が、彼女の一人の時間を邪魔し。自分の下手な歌を聴かせ。突然脈絡もなく熱く語る。

 それは今考えても、完全に空回りした行動にしか感じない。


 急に心に生まれた後悔の念に、一気に気恥ずかしくなった彼は、


「あ、ごめん。邪魔しちゃって」


 そう言うと、急いで机から目的の物を取り出し、逃げるように教室を後にした。


「あ、あの──」


 教室を出る直前。そう呼び止められた声にも振り返らずに。


* * * * *


 それから一週間。

 あれから椿と話す機会も特になく。二人は以前と同じ距離感に戻っていた。

 あの日の気まずさも、喉元過ぎれば何とやら。いつの間にか普段通りの生活をし、さっぱりと忘れてしまっていた。


 そんなある日。

 諒は椿の環境に変化が生まれている事に気づいた。

 女友達が彼女の元に集まるようになり。部活に行く時も、同じ部活の仲間が迎えに来るようになっていた。


「何かあったのかな?」


 疑問を覚えた諒に、あおいが話して聞かせてくれた。


「真行寺さん、声楽部でみんなに『勇気の翼』を歌ったらしいんだけど、それが凄い上手かったみたいで。それがきっかけで皆と仲良くなったみたい」


 それを聞いた時。諒はほっとした。


  ──真行寺さん。好きな歌、歌えるようになったんだな。


 その時は純粋に、それだけを思い喜んだのだが。

 二人の関係は、あの日から少しだけ、動き始めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る