第十二話:また一緒に

 あの後、二人は神楽夫妻と合流し、華やかな夕食をご馳走になった。


 それぞれの前に置かれた刺身船には、トロ、うに、いくら、鰹など、様々な刺身に、皆で食べる用の大きめの鮟鱇あんこう鍋など。その美味しい料理に諒と萌絵は舌鼓を打った。


 勿論、食事の時間の間。

 二人は神楽夫妻に根掘り葉掘り、色々と二人関係を尋ねてきた。

 流石にここまでの厚意を受けている中で隠すわけにもいかず、萌絵の過去の初恋と、今の状況について話すことになったのだが。


「そんな出会いをして、十年越しに話し始めたばかりであの息の合いっぷりなんて。もう運命的じゃない」


 と、一恵に嬉しそうに話され、二人は肩身狭そうに恥ずかしがる一幕もあった。


 そんな気恥ずかしくも楽しい団らんの一時を終えた二人は、一度部屋に戻ると荷物を手に取ると、夜の桜ヶ丘さくらがおか深緑公園しんりょくこうえんへと向かう事にした。

 一緒に行かないかと、神楽夫妻にも声を掛けたのだが。


「私達は以前にも見ているし、今日はずっと一緒にいてもらったからね。折角なのだし二人で堪能してきなさい」


 と謙蔵に言われた為、二人はその厚意に甘えることにした。


* * * * *


 こうして、公園の入口までやってきたのだが。

 昼とはまた違う光景に、二人は声を失い立ち尽くしていた。


 夜の鏡桜かがみざくらは昼以上の注目だからであろうか。

 そこにあったのはまるで、賑やかな祭り会場に集まるかのような、昼以上の人だかり。


「これ……大丈夫かな?」

「一応人の流れはあるし、大丈夫そう、だけど……」


 互いに少し困ったように顔を合わせた二人は、互いに戸惑いをあらわにしてしまう。


  ──これだけの人混み……。はぐれたりしないかな……。


 彼女の心配はそこだった。

 よく日向ひなたと買い物に行く時、セールコーナーにも付き合わされ、もみくちゃにされてはよく彼女を見失っていた萌絵にとって、この人の量はどこかそれに近いものを感じさせられ、少し気後れしてしまう。


 同じ不安は、勿論諒も感じていた。

 ただ。


  ──二人しかいないのに、はぐれたりしたら大変だよな。


 そう心配をつつも。


  ──早々機会もないし、見られたらいいんだけど……。


 そんな欲もある。


「萌絵さんって、夜の鏡桜かがみざくら、見てみたい?」


 彼は、隣の萌絵を見ながらそう問いかけると。


「できたら、見てみたいけど……」


 同じく諒の顔色を伺いながら、おずおずと応えた。


 諒と、素敵な場所を見て想い出にしたい。

 それは彼女の本音。

 だが、迷いを見せる弱気な言葉は、やはり人混みへの恐怖を感じているのだろう。


 諒は、少しだけ迷う。

 押していいのか。引くべきなのか。


 以前の彼なら、もっと悩んだだろうか。

 半日前の彼なら、違う答えを選んだだろうか。


  ──俺は、どうしたい?


 そう自身の心に語りかけた諒は、次の瞬間小さく頷くと、意を決して萌絵を見た。


「あの、萌絵さん」

「何?」

「悪いけど、一緒に見に行ってくれる?」


 彼の出した答えは、自らの本音の優先。

 こちらに向ける表情を見て、萌絵はすぐに気づく。先程の言葉を汲んでくれた答えなのだと。


  ──諒君が行きたいなら、私は……。


 彼女は臆病風に吹かれそうな心を奮い立たせ、笑顔で彼に頷き返した。


「折角だもんね。行ってみよう」


 返事を聞いて笑みを浮かべた諒は、そのまま彼女の側に並ぶと、すっと彼女の手を握った。

 瞬間。


「ひあっ!?」


 まるでエンゼルフィッシュにつつかれた時のような変な声を上げ、萌絵が目を丸くした。


「きゅ、急にどうしたの!?」

「あ、ごめんね。人混みではぐれちゃいけないと思って。少しの間、我慢してくれる?」

「あ……確かに、そうだよね。大丈夫、大丈夫だよ」


 少しだけ申し訳無さそうに返す諒を必死に安心させようと努力するも、俯き加減でしどろもどろになり、声を小さくする萌絵。

 夜の闇は周囲の明かりがあっても強くはないのか。諒は頬を紅潮させ恥じらう表情には気づかない。


  ──本当は、嫌かな?


 未だに心は弱気。だが。


  ──でも、自分らしく。


 気を遣いすぎてはいけない。想いを見せていかなければいけない。

 そんな彼の気持ちが、不安な心の背を押す。


「じゃあ、行こうか?」

「う、うん」


 俯いたまま消え入りそうな返事をした萌絵に。心配をかけまいと、よりぎゅっと手を握った彼が、ゆっくり彼女を先導するようにして、歩き出す。

 その、握られた手をはっきりと感じながら。


  ──手……繋げたの? 繋いで、くれてるんだよね?


 萌絵は彼とは対照的に、そんな自問自答を繰り返しながら嬉しさをひた隠しにし、ゆっくり彼に続くのだった。


* * * * *


 それから鏡桜かがみざくらに着くまでの間の事を、萌絵はあまり覚えていない。

 いや、覚えてはいるのだが、それは一部の事ばかり。


 諒は、途中の桜に目を奪われ止まる人々で生まれる煩雑な人混みを、周囲の迷惑ならないよう無言のまま歩みを進めていったのだが。

 時が経ち、その事実をやっと受け入れた萌絵が感じていたのは、しっかり繋がれた手の熱と、己の高鳴りすぎる鼓動ばかり。


  ──私……諒君と……手を繋いで、歩いてる……。


 これもまた、以前より夢見ていた事。

 またひとつ願いが叶ったものの、恥ずかしさで顔はずっと火照ったまま。


 萌絵が少しだけ視線を向けた先。手を引いてくれる諒の背中が、今日一番の頼もしさを感じさせ。それがより、心臓をバクバクさせる。

 それでなくとも、外灯の光に照らされ舞う桜の花びらに、並木道の左右に咲き乱れる桜達。

 昼とは違う神秘的な空間を歩いているせいもあって、気持ちは完全に夢心地だった。


  ──夢じゃ、ないんだ……。


 ふわふわと浮ついた気持ちで。そんな喜びだけを心で呟き続けながら、導かれるまま彼に続いていくと。


「ふぅ。やっと着いたね」

「え?」


 突然の諒の言葉で現実に引き戻された萌絵は、気づけば彼の脇に並んで立っている自分に気づく。


 そして。何時そこまでやってきたのか。

 何時の間にか昼と同じ、池を挟んで見える鏡桜かがみざくらが、未だ夢にいざない続けているかのようにそこに存在していた。


 ライトアップされた桜が、暗い湖面に鮮やかに映し出される。

 空は星空。そしておあつらえ向きに、満月が山から出て登りかけ、桜を薄っすらと照らしつつ、湖面にも収まっている。


 それは、本当に目を奪われる素晴らしい光景。


「綺麗……」


 萌絵は思わず呟き、鏡桜かがみざくらと月の共演に酔いしれる。

 彼女をちらりと見た諒は、彼女の表情に安堵の笑みを浮かべると、すっと手を離した。


「あ……」


 萌絵は後ろ髪惹かれるかき消えそうな声を漏らし、手が淋しさに耐えられず、堪らず彼の手を追いそうになるが、はっとして何とか思い留める。


 諒はといえば、彼女の動きに気づかぬまま、昼同様に鞄からデジタルカメラを取り出すと、一度構えてシャッターを切った。

 だが。一枚撮った後、彼はそのままファインダーからカメラを離し、じっと桜を真剣な表情で眺めている。


「諒君。どうしたの?」


 彼のそんな横顔に、少しだけほうけた萌絵が声を掛けると。


「……なんかさ。カメラじゃなくって、ちゃんと目に焼き付けておかないと勿体ないかなって」


 視線を鏡桜かがみざくらに向けたまま、ふっと笑う諒。

 その言葉に、彼女もまた同じく鏡桜かがみざくらに視線を戻す。


 ひらひらと舞い、水面に落ちる花びらをじっと見ながら。

 二人は少しの間、無言でそこにある光景を目に焼き付ける。


「……また、一緒に見に来れるかな」


 ぽつりと。萌絵が本音を漏らすと。


「……そうだね。また、見に来たいね」


 ぽつりと。諒もそんな言葉を返す。


「本当に?」


 ふっと萌絵が彼見上げると。


「うん」


 諒が彼女を見て、ふっと微笑む。


「その時は、ちゃんと誘ってね」


 釣られて微笑み返した彼女は、静かに彼の手を取った。


「え?」

「私、言ったもん。今まで以上にわがままになるって」


 突然のことに少し戸惑いを見せた諒に、頬を染めた彼女は少し悪戯っぽく笑うも。すぐ表情を恥じらいに変え、俯く。


「……なんて。でも、みんなの前じゃこんな事できないもん。だから、二人っきりの間だけ。少しだけわがままでも……いいかな?」


 耳に届いた、囁くような問い掛けに。諒は少し顔を赤らめると、


「うん」


 短い言葉と共に、繋がれた手を優しく握り返す。


 互いに恥ずかしそうに笑いあった二人は、そのまままた、夜空の元、じっと夜の鏡桜かがみざくらを眺めていた。

 この時。この瞬間を。しっかりと胸に刻みこむかのように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る