第十一話:気遣いだけでは分からない

「だって。まだ諒君と一緒にいられるの、嬉しいんだもん」

「……え?」


 思わず顔をあげた諒は、彼女の困ったような笑みに出迎えられた。


「私ね。神楽さん達がお泊まりを提案してくれた時、諒君とまだ一緒にいられるかもって、少し期待しちゃってたの。だからお母さんがいいよって言ってくれたって聞いた時、諒君には悪いけど、内心すごく嬉しかった」


 そこまで話した彼女は、ふっと切なげな笑みに変わる。


「でも、諒君も同じ気持ちとは限らないよね」

「……そんな事ないよ」


 諒の言葉を聞き、彼女はその表情から笑みを失い、表情に陰を落とした。

 まるで、それが嘘だと言わんばかりに。


「諒君。無理しなくていいよ」

「そんな。無理なんて──」

「してる。私分かってるもん。諒君が今日ずっと、私に気を遣ってくれてるの」


 彼の言葉を否定した彼女は、少し哀しげな顔をすると、組んだ両手を座卓の上に乗せ、その手に視線を落とした。


「駅に着いた時も。喫茶店の時も。そして今も、ずっとそう。ずっと私の様子をうかがって、私に気を遣って、少しでも何かあると、すぐ謝ってる。まるで腫れ物に触るみたいに」


 語りながら、萌絵の手にぎゅっと力が入る。

 それはまるで、心の痛みをそれで忘れようとするかのように。


「相手を気を遣うのは、優しいし、良いことだし、とても大事だと思う。だけど友達って、仲がいいだけじゃなくって、時には本音で話して、傷つけて、喧嘩しちゃったりもして。そんな中でよりお互いを深く知っていくのも同じ位大事なの。でも諒君ってきっと、喧嘩したり、傷つけたりなんて嫌でしょ?」

「……うん。ちょっと、嫌かも」

「それは本当は悪いことじゃないの。だけど……私、わがままだから。それは嫌なの。じゃないと、友達になったのに、本当の諒君を何も知れないから」


 その言葉にはっとした諒は、口を真一文字に結び、彼女の哀しげな表情を避けるように視線を逸らす。


「私は、諒君の本音が。本心が知りたいの。でも、気を遣われちゃったら分からないの。だから私はずっと心の奥で不安だった。駅でもっと写真を撮りたかったんじゃないか。喫茶店が楽しめなかったんじゃないか。今、一緒にいたくはないんじゃないか。今日一緒にいて楽しくなかったんじゃないかって。沢山、沢山。優しい言葉を掛けてもらってるのに……」


 自分を責めるように、彼女の表情が険しくなる。

 少しだけ、声が震え、掠れる。


 そんな彼女の表情に。言葉に。諒の心が強く痛んだ。


  ──確かに……そう、だよな。


 気を遣って、相手に合わせる。

 それは空気を悪くしない為。相手を傷つけないため。

 日向ひなたにも一度不満を口にされてしまったのもあったせいだろう。

 諒はそれ故に、そこに対しとても敏感になっていた。


 だが、それは結果として、相手に自身の本音を隠しているだけ。

 自分から知ってほしいと友達になったのに、自らそれを妨げていたなんて。


 思ってもみなかった。

 全く気づけていなかった。


 萌絵はたかぶりそうになる感情を抑えるように、大きく長いため息を漏らすと、諒にふっと、無理に笑みを向けた。


「私は、諒君の掛けてくれる言葉を信じられるようになりたい。だから、気を遣う諒君だけじゃなくって、本当の諒君を知りたい」

「本当の、俺……」


 視線を彼女に戻し、少しだけ放心したような顔で諒が呟くと。萌絵は小さく頷き、彼をじっと見つめた。


「そのひとつがきっと、木根さんに応えたり、神楽さん達を助けたりした諒君だと思う。こっちに気を遣って迷うけど、本気だから真剣な顔になるの。だからすぐ分かるもん」

「もしかして、あの時……」


 ふっと彼は、公園で神楽夫妻を見かけた時の事を思い返すと。萌絵は小さく頷く。


「うん。表情ですぐ分かったよ。でもそれはね。木根さんの時に諒君が、本音を語ってくれて、そんな一面を見せてくれたから、私も知ることができたの」


 心を読まれていた事に、少しくすぐったい気持ちになった彼は、思わず苦笑する。

 そんな彼の小さな笑みに、釣られて彼女もくすっと笑う。


「だから今日あの時、私は本気で諒君と一緒に二人を助けたいって思えたし、助けられて良かったって、思ってる」


 普段の笑顔に戻った彼女は、そのまま想いの丈を口にする。


「私は、そんな本当の諒君をもっと色々と知りたいし、本当の私を沢山知ってほしい。だから諒君にもっと素直に行動してほしいの。写真撮りたかったら好きな時に撮っていいし、行きたい所あれば誘ってくれていい。不満があったり、断りたかったら言ってほしいの。そうやって沢山、本当の諒君を見せてくれたら、よりお互いを知れるきっかけになる。そう、思うから」


 そう言い終えた後。彼女はまた、微笑んだ。

 彼は少しの間何も言わず、じっと彼女を見つめる。


  ──萌絵さん……。


 諒は、胸に温かさを感じながら、同時にはっきりと感じた。

 霧島萌絵という少女の凄さを。


 初恋の為に十年待ち。

 友達としてと言ったのに、素直に喜び。

 一緒にいることをこれだけ嬉しく思ってくれ。

 嫌われるかも知れないこんな本音を、しっかりとぶつけてくれる。


 あおい香純かすみですら、優しさと気遣いを見せてくれても、ここまでの本音は早々ぶつけてこない。

 彼女はそれを、話すようになって間もないにも関わらず、自分に話してくれた。


 きっと、勇気がいったはず。

 きっと、不安だったはず。


 だけど、それでも友達として、彼女はそれを見せてくれたのだ。


「……何か、萌絵さんって凄いね」

「え?」

「まだ話すようになってそんなに経ってないのに。こうやって真剣に俺の事見て、考えてくれてさ。きっと日向ひなたさんも、こんな優しい萌絵さんだから、友達になったんだね」

「そ、そんな。優しいなんて……」


 彼の褒め言葉に恥じらう萌絵を見て、今度は諒がくすくすと笑う。


「あと、そういう照れ屋な所もきっと、揶揄からかい甲斐があったのかも。今日もすぐ赤くなってたし」

「そ、それは! だってみんなが、恋人だとかカップルだとか言われて。まだ友達なのに、私その……勝手に、凄く嬉しくなっちゃって……」

「それだけじゃなかったけどね。赤くなってたの」

「諒君だって赤くなってたりしてたもん! もう、意地悪……」


 茶化された顔を真っ赤にして不貞腐れた萌絵が口を尖らせる。

 諒はそんな自然な彼女を見て、少しだけ安堵すると、ふっと優しい顔を見せた。


「俺、今日確かに気を遣いすぎてたと思うし、萌絵さんが言った通り、萌絵さんがつまらなくないかとか、凄い気にしてた。でも一緒に散歩して、色々見て、本当に楽しかった。同じ部屋で二人で泊まる事になったのは、流石に緊張してるけど。それでも、一緒にいられるし良かったなって、本当に思ってる」

「……うん」


 優しい声で。真摯に。

 出来る限りの本音をしっかり口にする。

 その言葉を聞いて、彼女は少し恥じらいながらも、少し嬉しそうな笑みになる。


「俺、頑張って自分を知ってもらえるように、少しでも素直になってみる。だからこれからも、友達でいてくれる?」

「勿論。でもその代わり、私ももっとわがままになっちゃうかも」

「うん。覚悟しとく」


 心を少し通わせた二人が、互いに少しだけはにかみあう。

 と、そんな会話が終わるのを待っていたかのように。部屋に備え付けられた電話が、優しい電子音を奏で始めた。


 それに反応し、萌絵がすっと立ち上がると電話台まで行き受話器を取った。


「はい。……あ、一恵さん。……はい、はい。わかりました。すぐそちらに向かいますね。はい、では失礼します」


 電話の相手と話し終えた萌絵が振り返ると。


「諒君。一恵さんが、食事の時間だから合流してほしいって」

「あ、うん。分かった」


 諒もその話を聞いて立ち上がると、彼女まで歩み寄ると。


「行こうか?」

「うん」


 互いにまた、自然な笑みを交わすと、仲良く部屋から出ていくのだった。

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