第十話:どうしてこうなった

 諒と萌絵は、その場で呆然と立ち尽くしていた。


 旅館にて割り当てられた部屋の入口より中に入ってすぐに見えたのは、自宅の居間二部屋分ほどもある広い和室に、やや大きめの木製の座卓。

 そこに並ぶ、部屋の内装に合った、低めの檜のベッドがふたつ。

 部屋手前側には、同じく檜で作られた雰囲気を壊さない小さなオープンキッチンが。

 部屋の奥にある窓から見えるテラスには、風情ある桜の樹の下、温かな湯気を上げる温泉。


「こちらがお二人のお部屋、『日の出の間』となります。備え付けの冷蔵庫やキッチンにあります紅茶、食材などは既に料金に含まれておりますので、ご自由にお使いいただいたり、お食べいただいて結構です。また──」


 あまりの凄い部屋に、淡々と部屋についての説明をする仲居の言葉も、残念ながらほとんど耳に入ってこない。


  ──諒君と、同じ部屋……。


 萌絵はただただ顔を真っ赤にしその場で俯き。


  ──これ、どうすれば……。


 諒もまた、ただただ呆然としながら、先程の謙蔵の一言から始まったやりとりを思い返していた。


* * * * *


「君達。今日はここに泊まってはどうだい?」

「「……えぇぇぇぇっ!?」」


 二人は、真剣な謙蔵の言葉に、一瞬の間の後、強い驚きをあらわにした。


 それもそうだ。

 ここは桜心館おうしんかん。庶民が手の届く場所ではない。

 そして何より彼等は伝えたのだ。今日は帰らねば親が心配すると。

 あまりの衝撃に言葉を返せず呆然とする二人に、謙蔵ははたとあることに気づき、安心させるよう笑みを返す。


「ああ、宿泊費は気にしないでくれ。それはこちらで持つからこそ、お礼になるのだからね」

「そ、それも問題ですけど!」


 彼の言葉にはっとし、動揺しながらも強く異を唱えたのは諒だった。


「お二人の力になりたかったのはこちらが勝手にしたことで──」

「なら、お礼を勝手にしたいと思うこちらの気持ちも問題ないという事だね?」

「そっ、そういう事ではなくてですね。だいたいそんな事、両親が認めるはず──」

「であれば私達が親御さんにお話しましょうかね。あなた」

「そうだな。萌絵ちゃんのご両親は初めてとなるが、今日二人のしてくれた話をすれば、きっと理解してくれるだろう」

「で、でも! 私達まだ高校生で。その、お泊まりなんて……」

「保護者ではないが、私達もいる。それに明日は特に用事もないのだろう?」

「え、あの。その……。そう、ですが……」


 強く抵抗する諒に対し、途中から同じく彼に賛同していた萌絵は、二人の言葉に戸惑いながらも、強い言葉を返せずにいた。

 何故ならば。


  ──諒君と、まだいられるの? でも、迷惑じゃないの?


 彼女の心は既に、諒との宿泊という蠱惑的こわくてき提案に魅了されていたのだから。

 隣に立つ諒は、彼女のそんな戸惑いを横目に見て、申し訳無さそうに、困った顔で頭を掻く。

 その心内しんないは……。


  ──家に帰さないと萌絵さんの両親が心配するし、男友達と一緒なんて、より不安にさせるだけだろ……。


 彼女の乙女心を感じ取れない、別の気遣いを向けていたのだが。


「では、二人のご両親に断られればそれまで。了承を得られれば、こちらの申し出を飲んでもらう。それで良いかな?」


 しっかりとした妥協点を提示した謙蔵に、諒は首を縦に振るのを躊躇とまどった。

 謙蔵と一恵の雰囲気は温和。だが、説き伏せる自信をはっきりと感じる笑みにも見える。

 社会人の経験などないが、取締役になる程の人であれば、交渉術にも長けているかもしれない。

 この勝負、正直不利だ。


 だからこそ、彼は一度萌絵を見た。

 きっと彼女なら、それでも自分を擁護し、抵抗してくれるのでは、と思ったのだが。


「……私は、諒君がいいなら、いいよ?」

「え!?」


 困ったように笑う萌絵は、残念ながら既に堕ちていた。

 唯一の協力者がそれを認めてしまうと、彼一人でこの状況をどうにかできるわけもなく。


「……わかりました。両親が、良いというなら」


 渋々諒はそれを認めた訳だが。この時点で、彼は敗北したといってよかった。


* * * * *


 場所を旅館の受付待合に移し。まず諒がスマートフォンで家に電話を掛け、電話に出た母親に事情を話す。

 そして謙蔵に電話を変わったのだが。彼等の会話は終始和やかで、昔を懐かしむ会話もちらほら。

 そして、ひとしきり話し終えた謙蔵からスマートフォンを預かった諒に、母が伝えた言葉は。


『神楽さん達のご厚意なのだし。ハメを外さない程度に楽しみなさい。お父さんも良いって言ってるから』


 だった。


「でも! 萌絵さんも一緒だし、そんなの母さんだって良くないと思うでしょ!?」


 何とかその一言で母の心変わりを期待した彼だったが。


『あなたにそんな甲斐性ないでしょ。心配してないわ』


 という、何処か呆れ笑いに近い言葉だった。


 結局あっさりと軍門にくだった青井家。

 残されたのは霧島家となった訳だが。こちらは少しだけ時間が掛かる。


 同じように萌絵が電話に出た母に事情を話し。謙蔵が今日助けていただいた話を交え説明した後、一度彼女に電話が戻されたのだが。


「あの、諒君の家の電話番号って、教わっても大丈夫?」


 萌絵は諒にそう尋ねてきたのだ。

 母親が一度彼の家の人とも話したい、という事で、彼もそれを了承し電話番号を教え、一度電話を終えた。


 次に電話が掛かってくるまでの間、並んで席に座る二人の間に重苦しい空気が漂う。

 不安ばかりの諒。不安と期待の狭間にある萌絵。

 彼等は言葉も交わさず、ただその時を待った。


 そして、折返しの電話で、今度は萌絵の母親が諒と話したいと申し出て、話す事になったのだが。


「あの、はじめまして。青井と言います」


 緊張した面持ちでそう語りだした諒だが。


『初めてじゃなくて、二度目ね。ちゃんと覚えてるわよ。幼稚園でのこと』


 と優しい声で切り返され、彼はあの時の事を覚えていたのかと、少し気恥ずかしくなる。


『あの時はありがとうね。今日は、萌絵が迷惑をかけていない?』

「はい。寧ろこちらが色々ご迷惑をかけてしまって。こんな唐突な話になったのも、自分のせいで……」


 心の不安を露呈した彼だったが。


『いいえ。あなたがあの時の優しさを今も持ち続けてくれたからこそ、このお話があるの。良い事をしたのだから、少しは自信を持ちなさい』


 これまた優しく諭すように彼女は返してくる。そして……。


『そちらのご両親のお知り合いなら安心だし。萌絵もあなたなら任せられるわ。娘をよろしくお願いしますね』


 これまた、了承する答えを口にした。


『但し、なのだから、節度は持って行動する事。何かあったら、ちゃんと責任は取ってもらいますからね』


 そんな、半分冗談。半分本音の一言を付け加えることを忘れずに。


* * * * *


 結果、神楽夫妻の厚意を受け入れ、一泊することになった二人だったが。

 諒は『保護者ではないが、私達もいる』という言葉から、彼等と同じ部屋に泊まるのだとばかり思っていた。


 しかし、現実は。


「何かご不明点などございますか?」

「え? あ、はい。大丈夫、です」

「では、ごゆっくりおくつろぎください」


 心あらずで殆ど話を聞いていなかった諒のたどたどしい返事に、仲居は特に怪訝な顔もせず、笑顔で深々と頭を下げるとそのまま部屋を去っていき。

 この部屋には、二人だけが残された。


 神楽夫妻は全く反対側に位置する部屋、『日の入りの間』に部屋がある。

 つまり。ここは本当に、二人だけの部屋。


「とりあえず、中に入ろっか?」

「う、うん……」


 どこか臆病風に吹かれながら、二人はゆっくり部屋の中に入ると、壁際に互いの鞄を下ろす。

 これだけの部屋を見れば、普通の者ならその部屋への驚きや興味が先行し興奮しそうなものだが。彼等は完全に、二人だけの部屋という事実だけで心が空回りしていた。


 荷物を置いたものの。並んだまま立ち尽くした二人は、互いの顔を見ると、緊張した堅い笑みを交わす。


「どう、しよっか?」


 萌絵が歯切れ悪く問いかけると。


「あ、えっと。とりあえず、座る?」


 同じく、何とも切れのない返事をする諒。


「そ、そうだね。そうしよっか」


 こうして二人はゆっくりと座卓に向かうと、対面にある座布団に正座した。

 互いに少し俯いては、チラチラと相手を伺う。

 だが、そこには申し訳無さしかない。


  ──どうすればいいんだ?

  ──どうすればいいの?


 気まずさがお互いを支配する中。


「……あの、ごめん」

「え?」


 我慢しきれなくなった諒が、先に頭を下げた。

 視線は彼女に向けず、そのまま言葉を紡ぐ。


「俺、ただ謙蔵さん達を助けたいって思っただけなのに。結局、萌絵さんをこんな事に巻き込んじゃって。困ってるよね……」


 相変わらず、彼は自身を責めた。

 こんな状況に巻き込んでしまった。そんな、自身の思い込みだけで。


 萌絵はそれを聞いた瞬間、恥ずかしさを忘れ、表情に少しだけ陰を落とす。


  ──諒君は、やっぱり……。


 心にあったわだかまり。

 それは、口にしてはいけなかったのかも知れない。


 だが。

 恋人でなくとも。

 友達だからこそ。


 言わないといけない。そう、決意した。


 萌絵は少しだけ深呼吸をすると、未だ顔を上げない彼をじっと見ると。


「うん。本当に困ってるよ」


 そう、静かに口にする。


  ──……だよな。


 向けられた言葉に、諒の心が少しだけ苦しくなり、思わず顔をしかめる。

 だが、彼女の次の言葉が驚きに変えた。

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