第八話:意外な関係

 その手際に、老夫婦も、萌絵も思わず言葉を失っていた。


 諒の指示に従い、老婆の足をほんの少しだけ曲げたままで萌絵に支えてもらい。

 冷感の動きに強い湿布を膝に貼った後。とても手慣れた手付きで、テーピングをすっと伸ばしては巻いていった。


 膝の皿付近を囲うようにし。一枚、二枚。

 伸ばしては巻き。手で器用にテープを切り固定する。


 多数のテーピングに巻かれ、老婆の足はやや物々しい感じになっていく。

 だが、老婆がその行為で痛みを感じるような表情は見せない。


 真剣な表情に、少しだけ額に汗を掻き。

 緊張しながらも、しっかりと作業を進めていき、そして。


「これで、大丈夫だと思います。萌絵さん。ゆっくりと足を下ろしてあげてくれる?」


 最後のテーピングを終え、ふぅっと大きく息をいた諒は、軽く腕で汗を拭うと、萌絵にそう促した。


「うん。お婆さん。失礼しますね」


 言葉に従い、ゆっくりと足を曲げるように下ろしていく。

 老婆は来るであろう痛みに、少し緊張した顔を見せていた……が。


「……あら? 痛くない」


 足を曲げ、地面につけた老婆は驚きと共に諒を見た。


「立ってみてもよいかしら?」

「はい。ただ、荷物は持たずにお願いします」

「ええ。分かったわ」


 老婆はそのままゆっくりと立ち上った。

 痛みは、やはり襲ってこない。

 その場で軽く足踏みしてみる。が、それでも問題はない。


「おいおい? いきなり大丈夫なのか!?」


 心配そうな顔の老人だったが。目をみはった老婆は、彼に顔を向けはっきりと喜びを見せた。


「すごいわ。まったく痛くない!」


 嬉しそうな笑顔になった彼女を見て、諒と萌絵は視線を交わすと、やっと表情を緩め、互いに笑顔を見せた。


「萌絵さん。足の裾、戻してあげてくれる?」

「うん」


 彼女が地下よりジーンズの裾を戻した後、彼等も立ち上がった。


「本当に凄いのねぇ。ありがとう」

「いえ。上手く行ってよかったです」


 互いに笑顔を交わす諒と老婆に、感心したように老人も話しかける。


「しかし若いのに随分と手際が良かったが。何処かで習ったのかい?」

「あ、はい。父さんが元プロボウラーだったんですが、足の怪我で引退してしまって。今でもたまに足が痛むこともあるので、その介助として教わったんです」

「足を痛めた、プロボウラー……」


 と。彼の言葉に、老人は顎に手をやり少し考え込むと、独り言のように話し出す。


「草間君……は、独身か。皆川君は娘さんだけだったか。後は……青井君……」


 幾人かの名を口にしたその時。

 そこに挙がった自らの名字に、思わず目を丸くしたのは諒だった。


「え? あの、父さんを知っているのですか!?」

「お。ということはやはり、君の父は青井あおい来人らいとか。確か再婚した妻に息子がいたといっていたが」

「はい。青井あおいりょうと言います。もしかして、父がお世話になっている方でしたか?」

「いやぁ。世話になっていたのはこちらだよ」


 まるで懐かしい旧友に再会したような、懐かしさを噛みしめる笑顔で、老人は語る。


「彼の現役時代にスポンサーとなっていたんだよ。神楽かぐらスポーツって、知らないかい?」

「え!? あの大手スポーツ用品メーカーのですか!?」


 諒の代わりに驚愕した萌絵に、老人はにっこりと笑みを浮かべる。


「そう言ってもらえると嬉しいもんだね。私は神楽かぐら謙蔵けんぞう。今は代表取締役をさせてもらっているんだ」

「えぇぇぇっ!?」


 その言葉に、萌絵は思わず声を上げ、同じく驚きを見せる諒と顔を見合わせた。

 人生で早々大手企業の取締役に会う機会など早々ないだけに、偶然とはいえありえないといった表情だ。

 そんな二人の驚きを見て、老夫婦も思わず笑みを交わす。


来人らいとさんは当時人気のプロボウラーでねぇ。海外でも活躍して、本当にうちの名を広めてもらったのよ」

「脚を怪我した時も、それでもスポンサーでいてくれと泣きつくプロが多い中、彼はすぱっと『ご迷惑を掛けるのでスポンサーを辞退いただいても結構です』なんて言ってきてね。本当に真面目な好青年だったな」


 当時を懐かしむ二人に、未だぽかんとする萌絵だったが。諒の方は父の話を聞き、少し嬉しそうな表情を見せた。


「父さんが世話になった方をお助けできて、本当に良かったです」

「いやこちらこそ。偶然とはいえこんな縁に巡り会えるとは。日本に帰って早々、良いことがあったな。一恵かずえ

「そうですね、あなた」


 互いに笑みを交わす三人だったが。ふと諒は思い立ったように、ベンチに置かれていた一恵の鞄を手に取った。


「お話したいのも山々ですが、一恵さんの足も心配ですから、まずは宿に戻りませんか? 荷物はこちらで運びますので」

「いいのかい?」

「はい。これも何かのご縁ですし。それに、テーピングが緩んで痛みが出てしまうかも知れませんから、せめて宿泊施設までご一緒させてください」

「そう? あなた。お願いしちゃってもよいかしら?」

「私は構わんが……そちらの恋人さんが退屈するんじゃないかい?」


 謙蔵と一恵が同時に視線を向けると、そこに立っていた萌絵は……顔を真っ赤にし、俯いて固まっていた。

 同時に諒も顔を真っ赤にすると。


「あ、あの! 萌絵さんはまだ、友達なんです!」


 喫茶店の時同様、必死になってそれを否定した。


「あら? 随分お似合いだし、気立てもよいし、二人の息もあってたからてっきり」


 悪戯っぽく一恵が言うと、それが心にぐさりと来たのか。


「お似合い……お似、合い……」


 萌絵は俯いたまま、またももじもじしつつその言葉をうわ言のように小声で復唱し。


「えっと、あの、その……」


 諒もまた、まるで彼女を真似るように俯き、返す言葉を濁し、恥ずかしがる。


 そんな若い二人の反応を楽しむように一恵が笑うと、謙蔵もまた釣られて笑みを見せるのだった。

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