第七話:隠せぬ心

 昼食も終え一段落した二人は、丘を離れ、公園内を入り口に向け並木道を戻り始めた。


 あの後、お茶を飲んで少し心を落ち着けたかと思ったのだが。

 落ち着くほどに浮かぶ、自身が失態を犯していないかという不安から、彼を質問責めにしていた。


「あの、本当に変な寝顔じゃなかった? 本当に変な事言ってなかった?」

「大丈夫だよ。萌絵さんらしい可愛い寝顔だったし」

「う……。か、可愛いとか言って、誤魔化してる訳じゃないよね?」

「だ、大丈夫だよ。そんなに俺、信用ないかな?」

「そうじゃない。そうじゃないの。ただ……恥ずかしくて……」


 苦笑いしながら答えた諒を信じられないわけではないが。

 寝顔を見られていた事や、彼の太ももを枕代わりに寝てしまっていた事など。それらを思い返すほどに恥ずかしさが堪えられなくなり。彼女は顔を真っ赤にし俯いてしまう。


  ──萌絵さん、結構気にするんだな。


 彼女を見ながら諒はそんな事を思いつつも。ふと逆の立場だったらと想像すると。


  ──まあ、気にはなるか。


 確かに気恥ずかしさもあるかと、少し頬を緩めてしまう。


 と、そんな中。

 彼は視線の先に何かを見つけ、思わず足を止めた。


「どうしたの?」


 彼の異変に気づいた萌絵も足を止め、一旦諒の顔を見た後、その視線の先を見る。


 並木道の脇に用意された、休憩用のベンチ。

 そこに年配の温和そうな老夫婦が座っていたのだが。

 妻と思わしき老婆は、顔をしかめつつ片膝をさすり、それを夫と思わしき老人が心配そうに見守る光景がそこにあった。


「何かあったのかな?」

「そうかも」


 萌絵が諒の顔を見ると、彼は何かを思い詰めたような、冴えない表情を浮かべている。


  ──あ……。


 彼女はその顔を見たことがあった。

 そこにあったのはあの、皆で楽しんだボウリング場での一幕。木根の願いに応えるため、日向ひなたに話をした時と同じ。何かを思い。だが、それが空気を悪くするかもと心配した時の顔そのもの。


「……萌絵さん。あの、さ」


 何ともバツの悪そうな顔で、諒は横目に彼女を見ると。萌絵は自然に微笑み返していた。


 彼女は、諒の心を読んだ。

 彼の優しい心を。


 だからこそ。


「いいよ」


 先にそう、応えていた。


「え?」


 まだ何も言っていないのに言葉を返された事に、諒が思わず唖然とすると。彼女は表情をそのままに、ゆっくりと語りだす。


「あの人達を助けたいんだよね?」

「え、あの。そう、だけど……何で?」

「だって、顔に書いてあるもん」


 戸惑いの声に対しくすっと笑うと、すぐにふっと真面目な表情をする。


「私は、諒君が優しいの知ってる。だから、諒君が助けてあげたいなら、私も一緒に行く」

「萌絵さん……」

「大丈夫。私、諒君といられるだけで充分満足だし。それに、諒君の新しい一面、見れるかも知れないでしょ?」

「……うん。ありがとう」


 萌絵の気遣いに感謝し頭を下げた諒は、嬉しそうに頷き返した彼女と共に、老夫婦の元に足を運んだ。


「突然すいません。どうかなさいましたか?」


 困り顔をしていた老夫婦は、突然掛けられた諒の声に、思わず顔を上げる。


「ああ。いや、妻が歩きすぎたのか、ちょっと膝を痛めてしまってね」


 老人がそう言葉を返すと。


「あの。もしよろしければ、詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」


 諒は真剣な顔でそう申し出た。


「え?」


 老人は驚くと、同じく唖然とする老婆と顔を見合わせる。


「もしかしたらお二人のお力になれるかも知れないと思って」


 諒は謙遜しつつも、誠心誠意を感じてもらえるよう、しっかりとした言葉を口にする。

 彼等二人を交互に見た後、老夫婦は困惑しつつ視線を交わす。


「どうする?」

「まあ、減るものでもありませんし」


 老人の問いかけに、ふっと優しい笑みを浮かべた老婆は、諒に顔を向ける。


「いいわ。答えられる限りをお話しましょう」

「ありがとうございます」


 諒は微笑む老婆に深々と頭を下げると、早速質問を始めた。


「普段から痛めやすいのですか?」

「いえ。何時もならこの程度歩いても問題ないですし、公園に来るまでも全然。ここを歩いていたら、少しずつ膝の痛みが出てきましてね」

「普段歩かれている場所は、坂道など多いのですか?」

「いいえ。ほぼ平坦な住宅街です」

「痛みは両膝ですか?」

「いえ。左だけ」

「足はどうした時に痛みますか?」

「歩いて曲げようとすると、ですね」

「そうですか。ありがとうございます」


 まるで医者が問診するように色々と尋ねた諒は、答えを聞き少し考え込むと、自身の鞄を地面に下ろす。


「あの、大変失礼ですが。足を診させてもらってもよいですか?」

「え? あ、よいですよ。裾をあげればよいですか?」

「あ、それはこちらでしますので、そのままで大丈夫です」


 老婆の了承を得た彼はその場に腰を下ろすと、ゆっくりと、慎重に老婆のジーンズの裾を捲くりあげ、太ももの上の方まで捲くりあげた。

 彼女の左膝付近は、ぱっと見腫れや外傷があるようには見えない。


「少しだけ足を動かさせてもらいますね。少しでも痛みがあったら教えて下さい」

「はい」


 老婆の了承の声を聞いた後、両手で優しく彼女の足を手に取ると、ゆっくりと持ち上げ伸ばし、同じく戻していく。と。


「痛っ」


 戻し始めてすぐ。膝を少し曲げた所で老婆が顔をしかめ、側に立つ老人が不安そうな顔を見せる。

 諒もその声に釣られるように、少しだけ歯を食いしばった。


「すいません。ありがとうございます」

「それで。これで何かできるのかね?」


 流石にただの問診と痛みの確認だけをされていては、何も解決しそうには見えない。

 それが不安になったのか。老人が怪訝そうな顔をすると。


「はい。あの、よろしかったら、テーピングをさせてもらってよいでしょうか?」

「テーピング? 膝を固定して応急処置をするのかね?」

「半分はそうですが。正しくは、膝を動かしても痛まないように補助します」

「そんな事ができるのかい?」


 驚きを見せた老人に、彼はしっかりと頷く。


「勿論補助ですから、このまま観光を続けるという訳にはいかないと思います。ただ、宿泊場所なりに戻るまでなら問題なく歩けるようにできるんじゃないかと」

「そうか……」


 老人は彼の言葉に少しの間思案する。


  ──この若さで医者、ということはないと思うが……。


 彼から見ても、二人はかなり若い。

 そんな彼等に、妻の足の痛みを任せてよいのか。

 素人が適当な知識だけで余計なことをして、怪我をより酷くする事も充分にあるのでは。

 そんな不安が見え隠れする。


 萌絵はそんな老人の表情を心配そうに伺っていたが。ぐっと、表情に決意を込めると、彼にこう告げた。


「できれば、彼を信じてあげてくれませんか?」

「え?」

「もしテーピングをしてもダメなら、私がお婆さんを担いででも、ちゃんと宿まで一緒にお連れします。もし怪我を酷くしてしまったら、ちゃんと治療代もお出しします。ですから、お願いします!」


 老夫婦が戸惑う中、彼女は諒のために頭を下げる。


 彼が望むなら。

 彼が頑張りたいなら。

 彼が助けたいなら。


 そんな強い気持ちだけを胸に。必死に。真剣に。


「萌絵さん……」


 予想もしなかった彼女の行動に、諒は驚きの顔で彼女を見上げた。


 確かに自分は友達かもしれない。

 だが何故、そこまで必死になれるのか。

 彼には、分からなかった。


 ただ、そこにある真剣な想いだけは理解する。

 自分の為に、頭を下げてくれていることは。


「あの。頼りないかも知れませんが、どうかお願いします」


 彼女に倣うように、彼もまた、老婆に。そして老人に頭を下げる。

 助けようとする側なのに。


 老夫婦は、またも顔を見合わせた後、ふっと老人が笑った。


 お前に任せる。


 そう言わんばかりの、呆れた、しかし優しい目で。

 彼の表情の変化に、老婆もまたふっと優しい笑みを返すと、諒達を見つめる。


「二人共。顔を上げてちょうだい」


 優しく、温かみのある声に、二人が彼女を見ると。老婆の表情も同じものを感じさせる微笑みとなっていた。


「わざわざ私のような年寄りに優しくしてくれるなんて。有り難いわねぇ」


 彼女は愛おしそうに目を細めると、囁くように口にする。


「二人になら、任せられるわ。お願いできる?」


 その声に、諒と萌絵は互いに顔を見合わせ、嬉しそうな顔をすると。


「「はい!」」


 互いに希望に満ちた顔で、老婆にしっかりと返事をした。

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