第六話:幸せだけど、幸せですか?

 丘の見晴らしのいい場所に席を取った二人は、諒が用意した大きめのレジャーシートに、遠くに鏡桜かがみざくらが一望できるよう、横並びに腰を下ろした。


 萌絵は正座して自身の鞄を膝に乗せると、少しだけ、自信なさげな顔を彼に向ける。


「その……初めて作ったから。美味しくなかったら、無理しないでね?」

「うん。分かった」


 笑顔で頷く彼を見て。


  ──何か、無理してでも食べちゃうんじゃ……。


 先にそんな不安が心に浮かぶ。

 だが自らが言い出した以上、それを理由に何時までも物を出さないわけにもいかない。

 彼女は意を決すると、彼の前に猫のシルエットが模様になった、可愛らしいお弁当包みを置いた。


「開けてもいい?」

「う、うん」


 自身の目の前にも同じ物を置いた萌絵は覚悟を決め、ぐっと太ももの上で拳をぎゅっと握り、真剣な顔でじっと彼を見る。

 あまりの力の入りように、思わず緊張が伝染うつりそうになる諒だったが、それを必死にこらえると、ゆっくりと弁当包みに手をかけた。


 包みを開けると、淡い水色のシンプルな弁当箱と箸箱がひとつずつ顔を出す。

 その蓋をゆっくり開けると……そこには、綺麗にまとまったお弁当が顔を出した。


 弁当箱の半分はご飯にたまごと肉のそぼろが綺麗にかけてある。

 残り半分には、唐揚げにウィンナー。ポテトフライに小さなハンバーグに、レタスとプチトマトにブロッコリーと、色とりどりなおかずがこちらも綺麗に並べられていた。

 ぱっとみても分かる豪華さに。


「これ凄いね。これだけの物作るの、結構大変だったでしょ?」


 諒は驚いた顔で萌絵にそう尋ねた。


「う、うん」


 褒められた事に、恥ずかしそうに俯く彼女だが。


  ──お母さんにいっぱい手伝ってもらっちゃったけど……。


 内心は、そんな申し訳無さもあった。


 実際、出来る限りは萌絵が頑張りはしたが。

 彼女もお弁当作りは初めての経験。だからこそ、母親に諒の事。そして今日の事を打ち明けて、朝早くから手伝ってもらったのだ。


「それじゃ、食べてみてもいい?」

「う、うん。いいよ」


 流石に緊張感がたかまったのか。

 そわそわと落ち着かなくなった彼女は、それを誤魔化すように、自分の弁当包みを開け始める。


「じゃあ、いただきます」


 そんな中、諒は両手を合わせてそう挨拶すると、箸箱から箸を取ると、弁当箱を反対の手にし、弁当を食べ始めた。

 まず、ご飯を一口。次に唐揚げを口に入れる。

 その味を確かめるようにしっかりと噛んで呑み込むと、そのまま何も言わずにまたご飯を頬張り、次はハンバーグに手を掛ける。


 自身の弁当箱を開けた萌絵だったが。彼がまったく反応を返さず食べ進めていくのが気になって仕方なくなり。


「あ、あの……。味、どうかな?」


 不安そうな顔で、思わず彼の顔を覗き込んでしまう。


 瞬間。諒ははたと気づいた。

 自分が夢中で食べ進めていたことに。


「あ、ごめん。本当に美味しいよ。丁度お腹も空いてたのもあって、箸が進んじゃって」


 少し恥ずかしそうに箸頭はしがしらで頭を掻く彼だが、浮かべた笑みに、偽りは感じられない。


「良かったぁ」


 やっと自身が安心できる言葉を聞き、ほっと安堵のため息をく萌絵。

 その表情に、諒は優しく微笑むと。


「萌絵さんも食べてみてよ。本当に美味しいよ?」


 そう彼女に促してみた。


「あ、うん」


 彼の言葉に頷いた彼女は、同じく弁当箱を開くと、端を手に取りゆっくりと唐揚げを口に入れる。

 と、次の瞬間。


「……美味しい」


 本人も思わず目を丸くした。

 冷めたお弁当は美味しさが落ちるとよく言うが。その唐揚げはジューシーさと柔らかさを維持しており、思った以上に美味しさを感じられたのだ。


 同じ意見を口にした彼女に、諒もほっとすると。そのまま愛情籠もった弁当を、美味しく食べ進めていくのだった。


* * * * *


「ふぅ。ご馳走様」

「お粗末様でした」

「そんな。お粗末なんかじゃないよ。本当に美味しかったよ」

「うふふ。そう言ってもらえたら、作ってきた甲斐あったかな」


 弁当包みに戻された弁当箱を鞄に閉まった萌絵は、諒の褒め言葉と満足そうな笑みに、とても嬉しそうな顔を返すと。正座から足を崩して遠くに見える鏡桜かがみざくらに視線を向ける。

 彼も釣られるように、遠くに見える桜に目をやる。と、その時。暖かいそよ風が少しの間、二人を包み込んだ。


 風が桜の花びらをふわりと舞わせ、儚く散る姿を見ながら、萌絵は自然と微笑みを浮かべる。


  ──私、こんなに幸せでいいのかな?


 好きな人に頑張りを褒めてもらい。

 こんな素敵な場所で、すぐ隣に並んで座っている。


 それは本当に、夢のような世界。


「夢じゃ、ないよね……」


 思わずぽつりと呟く彼女に、ふと諒が顔を向けると、思わず息を呑んだ。


 そよ風になびく藍色の髪。

 幸せそうに遠くを見つめ微笑む、整った顔。


 彼女の綺麗さが、すぐ間近にある。

 それが彼の心に強い印象を残す。


  ──夢、か……。


 確かに、夢のようだった。


 十年自分を見てきたという美少女が、自分みたいな相手に告白をし。

 友達からと答えを引き伸ばしたのに、彼女は嬉し涙を流し。

 こうやって今も隣に座り、幸せそうな顔をしている。


 これが現実とは思えなかった。

 いや。現実なのに、心がまだそれを認めなかった。

 それは未だ心にある傷が、そうさせるのだろうか。


「夢じゃ……ないと……いいな……」


 と。何処か夢心地に。何処かうわ言のように。ぼんやりとしたままそう呟いた萌絵は、ゆっくりと目を閉じると、そのまま力なくふらっと、諒の肩に持たれかかってきた。


「も、萌絵さん!?」


 顔を一気に紅潮させ、戸惑いの声をあげた彼だったが、彼女はそれに応えることはなく。そのまま、すぅすぅと静かな寝息を立て始めた。

 少しの間そのまま硬直するも、ゆっくり繰り返される静かな寝息を耳にしていくうちに、心が落ち着いてゆく。


  ──やっぱり、眠かったんだな。


 彼女が朝早くから頑張ってくれた事実を改めて感じ、ふっと優しげな笑みを浮かべた諒は。


「……おやすみ」


 夢のような桜の景色に視線を戻しながら、優しくそう言葉をかけた。


* * * * *


 萌絵は、夢を見ていた。


 少し靄がかった、何処か白味がかった明るい世界。丘の上の桜の大樹から、花びらが舞い散っている。

 樹の幹から太い根が伸びた部分に、彼女は両手を添え、その上に顔を横にし乗せ。ふわふわとした気持ちの中、目を閉じていた。


「私、こんなに幸せだなんて、思わなかった」


 誰に語るでもなく、彼女は目を閉じたままはにかむ。


「ずっと、見つめることしかできなかったのに。側にいて、話せるようになって……」


 その表情が、少しだけ切なげになる。


「でも、諒君は幸せかな? 私が気を遣わせてばかりで。私が浮かれてばかりで。辛くないかな……」


 自分だけが楽しんでないか。自分だけが幸せでないか。

 そんな不安な想いが、ぽつりぽつり。口から溢れてしまう。


「私は、幸せ。だけど……諒君にも、幸せになってほしい……」


 自分がいることが幸せか。自分がいないほうが幸せではないか。

 心の不安が少しずつ膨れ上がろうとした、その時。


 ふっと。

 彼女の髪を、何かが撫でた。


 温かく、心地よいそれは、風か。

 そして。


「大丈夫だよ。心配しないで」


 優しく、とても安心する声が、桜の大樹からした気がした。


 萌絵の心に染みる温かさ。

 それが、またも彼女の表情を幸せそうな笑みに変えた……直後。


 心で、何かが目覚めた。


  ──あれ? この声……。


 聞き覚えがある声。

 いや、何時だって聞きたいその優しい声。


 何故その声がしたのか。

 それは夢だから……いや。自分は今、この声を聞く状況にあるのではないか。


 この声を聞く状況?

 それは、そこに……。


 萌絵は胸騒ぎと共に、ゆっくりと瞼を開いた。


* * * * *


 ぼんやりとした視界が整い、目の前に広がった光景は青々とした丘の芝生。

 その先。遠くに見えるのは荘厳な鏡桜かがみざくら


 大樹に添えていたはずの両腕に感じるのは、僅かな温もりと柔らかさ。

 しかし、そこに樹の根はなく。あるのは紺色のジーンズ。


 少しだけぼんやりした頭が、少しずつ現実を理解し。彼女は不可思議な現実を確認するように、顔を天に向けた。


 真下から見上げた先には青い空……だけではない。

 白く長い袖のTシャツ姿で、じっと鏡桜かがみざくらを見ていた青年が、動いた彼女に気づいたのか。春のような暖かな笑みで、


「おはよう。よく眠れた?」


 そう優しく語りかけてくる。


 萌絵は瞬間。目をみはると、みるみる顔を真っ赤に染めた。


 そう。

 彼女はやっとづいたのだ。

 今の自身の状況に。


「ごごご、ごめんなさい!」


 強い動揺を見せながら、彼女は勢いよく身を起こすと、それに合わせて掛けられていた諒の上着が、はらりと彼女の上半身からずれ落ちる。

 そこにある気遣いの証と、気遣いを見せた本人を交互に見た萌絵は、思わず何も言えなくなり、真っ赤になったまま正座をし、反省の色を強く見せてしまう。


「気にしないで。今日朝早くからお弁当作ってくれたんだしさ。本当にありがとう」


 太腿を枕にされていた為か。少しだけ恥ずかしそうに顔を染めていたものの。その行為を咎めることもなく、諒は彼女にねぎらいの言葉と、素敵な笑みを返す。


「私、どれくらい寝てた?」

「多分、一時間位かな?」

「え!? そんなに!?」

「それだけだよ。少しは眠気取れた?」

「あ、うん……」


 自身を責めそうになる言葉を、気遣いを感じる言葉に変えていく諒。

 その優しさをひしひしと感じるも。


  ──気を遣ってくれたのを、無駄にしちゃいけないよね。


 これ以上自身が不安に感じてはいけないと思う。

 だからこそ、彼に感謝の言葉を述べようとしたのだが……。ふっと脳裏に過ぎったあることに、またも動揺を見せてしまう。


「あ、あの。私、寝言とか言ってなかった!?」

「え? あ、うん。特には……」


 突然尋ねられたのに驚いたのか。

 困ったような顔で返された彼の言葉に、萌絵はほっとした表情する。


 彼女に笑ってみせた諒は、嘘をついた。

 本当は、聞いた。

 幸せであってほしいと願った、彼女の寝言優しさを。

 そして、それに安心させるよう応えた事も、口にはしなかった。

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