第五話:鏡桜
二人は個性的な美術館を堪能した後、その足である場所に向かった。
駅前の商店街から二十分ほど歩いた先にある、
広い敷地内に植えられた多くの桜が満開となり、今の時期は特に人々を魅了する、自然に
「あの桜、本当にあんなに凄いのかな?」
「絵でもあれだけ綺麗だったもん。本物もきっと凄いと思うよ?」
桜の木々が舞い散る、多くの桜が密集した並木道の緩い坂道を、人の波に沿って進みながら。諒と萌絵はそこに広がるであろう景色に期待に胸を膨らまる。
二人がこの公園に来た理由。それは先の美術館だった。
この地域の魅力を描き出した、数々の素敵な絵画達の中に、一際目を引いたひとつの作品。
作品名、『
快晴の空の元、大きな桜の木が一本、池の前に立っているのだが。それが池に反射し、逆さになって映っているその神秘的な絵に、二人は心奪われた。
絵画の説明には、この公園にその桜と池は存在すると書かれていた為、二人はここまで足を運んでみたのだ。
少しずつ坂道が緩くなり。丘の頂上に達する。
そして、同時に遙か先に見えた景色を見た瞬間。
「うわぁ……」
思わず萌絵が感嘆の籠もった声を上げ。
「凄い……」
諒もまた目を
丘をゆっくりと下った先。多くの人達が目を奪われるように立っているそこに、絵画にあった光景は存在していた。
桜の大樹の存在感。
風もなく、さざ波すら立っていない池に映し出されし、鏡に映ったような桜。
晴れた日和も相成って、その
二人はその光景に目を奪われたまま、言葉を交わす事なく、呆然としながら人の流れに沿って進み。
池の前の広場まで来ると、じっと池から対岸の桜に目をやった。
「凄く、綺麗だよね……」
「うん。これは凄いね……」
短くそう言葉を交わすと、二人は暫しの間また惚けるように桜を見ていた。
そんな中。ふと思い出したようにリュックからデジタルカメラを取り出した諒が、じっとファインダー越しに桜を眺め、何度かシャッターを切り始めた。
そして、何枚か撮影を済ませた後。
「折角だから、萌絵さんも入れて撮っていい?」
突然そんな言葉を掛けられ、はっと萌絵も現実に返る。
「え? でも……」
諒に撮影してもらえるのは嬉しいものの、気恥ずかしもある彼女は思わず両手の人差し指を合わせもじもじと恥ずかしそうにした。
だが。
「こんな機会早々ないだろうし。記念になると思うよ」
彼に笑顔でそう言われては、断れるものも断れず。
「じゃあ、お願いしよっかな?」
覚悟を決めた萌絵も、紅潮したまま笑みを返した。
「うん。じゃあ、そこに立ってて」
諒は彼女をそこに残し、少し後方まで下がるとファインダーをじっと覗き込む。
──諒君にじっと見られてたりは、しないよね?
ふとそんな事を考えた萌絵は、思わず恥ずかしさで目を逸らしたくなる。
だが、それでは迷惑がかかると、必死に彼のカメラをじっと見つめ続ける。
「いくよ~。はいチーズ」
掛け声の後、シャッターを切った諒は、カメラの液晶で出来栄えを確認すると、萌絵ににっこりと微笑んだ。
「ど、どんな風に写ってるの?」
出来栄えが気になり、彼に小走りに駆け寄った萌絵に、諒は笑顔のままデジタルカメラの液晶を見せる。
そこには、萌絵の脇に
流石に恥ずかしさを堪えていたものの、顔は自然な笑顔で、目をつぶったりもしていない。
「どうかな?」
「……うん。凄くいいと思う」
諒の問いかけに笑顔で応えた彼女は、構図の素晴らしさに感心すると同時に、自分が変な顔をしていないことに、内心胸を撫で下ろしていた。
「あの、すいません。撮影をお願いできませんか?」
と。そんな二人におずおずと声を掛けてきたのは、隣りにいた大学生位のカップルの彼氏の方だった。
「あ、いいですよ」
諒が迷いもせず笑顔で応えると、「ありがとうございます」という言葉と共に、男性が彼にカメラを渡し、シャッターの切り方やピントの合わせ方を教え始める。
そして、カップル二人がそのまま池の前に立つと、彼は萌絵に
「ちょっと待ってて」
と短く声を掛けると、何度か立ち位置を変えつつ、カメラを構える。
そして。
「いきまーす! はい、チーズ!」
声を上げシャッターを切った諒は、画像を見て納得するように頷くと、カップルの元に向かっていき、出来栄えを確認してもらい始めた。
その場に残された萌絵は、ここまで一連のやり取りを眺めながら、少しだけ羨ましい気持ちになっていた。
──いいなぁ……。
カップルの二人が並んで楽しそうにポースを取る姿。
それはとても自然で、仲睦まじいもの。
──あんな風になれる日、来るのかな……。
どこかぎこちなく、友達としても自然になりきれていない自分達。
いつか、あんな風に自然体で写真に収まる日が来るのか。
そんな不安と期待に少しだけ感傷に浸ってしまう。
と、そんな時。
「萌絵さん。ちょっと」
「え? あ、うん」
諒の声にはっとした彼女は、慌てて彼らの元に駆け寄った。
「あの、こちらの方がこっちの写真も撮ってくれるって言うんだけど」
「え?」
突然の申し出は青天の霹靂か。
先程までの憂いは一瞬で吹き飛び、彼女は思わずその場に固まってしまう。
「どうかな?」
「え、あ、はい! 是非! お願いします!」
諒の問いかけにぱあっと一気に嬉しさを爆発させた萌絵は、勢いよくカップルに頭を下げる。
そんな彼女の反応に、彼等二人も気持ちが和んだのか。くすっと微笑んだ。
「いいですよ。じゃあ、カメラ借りますね」
「すいません。お願いします」
こうして諒達もまた
* * * * *
互いにお礼を言いカップルと別れた諒と萌絵は、他の方の邪魔にならないよう、少し池の淵から離れた位置に移る。
「そろそろお昼の時間だし、次は何処かのお店に入ろうか?」
諒がそんな提案をしたのだが。瞬間、萌絵が少しまた恥ずかしそうに俯くと、上目遣いで彼を見た。
「あ、あのね。実はね。お、お弁当……作ってきたんだけど、一緒に、食べない?」
「え?」
「諒君の口に合うか、分からないけど……」
驚く諒をちらちらと見ながら、萌絵が様子を伺う。
期待と不安が混じったその顔を見ながら、彼はふと電車で眠そうにしていた彼女の事を思い出す。
──だから、眠そうだったんだ……。
母親がよく言っていた。
お弁当を作るのは、結構時間が掛かるんだと。
今日の集合時間から考えても、かなり早起きをして作ってくれたに違いない。
それに少しだけ申し訳無さを心に感じるも、だからこそその厚意を無駄にしてはいけないと、同時に強く思う。
「じゃあ、折角だしご馳走になろうかな」
「本当?」
「うん」
諒の言葉に、ぱあっと笑顔になった萌絵だったが。はたとあることに気づく。
「あ、でも何処で食べよう……」
そう。
彼女はお弁当は作ってきたが、それだけだ。
周囲をぱっと見ると、ベンチは他の観光客で埋まっている。
少し離れた丘は、芝生の上にシートを引いて座る家族連れなどもいるが、そんな用意などしていない。
だが。
「じゃあ、あの辺にしようか。桜も見えるし」
諒が指し示したのは、その丘だった。
「でも、私シートとか忘れてて……」
失態に気落ちする彼女だったが。
「あ、俺が持ってるから大丈夫だよ」
その言葉に、思わず「えっ?」という驚きを返してしまう。
予想できる反応に、にこりと微笑んだ諒は、
「まずは行こっか」
と彼女を促し、一緒に丘に向け歩き出した。
「散歩してると、結構色々気になる公園とかあってさ。そういう場所で休憩できるようにって持ち歩いてるんだ」
「それで鞄そこそこ大きいんだ」
「そうだね。ただ歩くのって、意外にちょっとした時に困ることも多いから、色々入れてるんだよ」
「へ~。諒君って凄いんだね」
尊敬の眼差しを向ける萌絵の視線に、気恥ずかしくなったのか。
「そんな事ないよ」
そう言って彼は、恥ずかしそうに頭を掻くと、二人揃って芝生の丘をゆっくり登っていくのだった。
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