第三話:ちょっと変わった喫茶店

 雑踏の中。駅から続く街並みを、周囲を見回しながら二人並んで歩いていく。

 お土産屋。温泉宿。美術館に工芸体験の蔵。

 観光地らしく色々と施設の揃ったその場所は、道から眺めているだけでも色々と目移りしてしまう。


「何処か、気になるお店とかある?」


 目を輝かせきょろきょろと周囲を見渡す萌絵の楽しそうな顔を見ながら、諒が声を掛けると。


「正直、色々ありすぎて。諒君は?」

「こっちも同じ」


 はたから見ても好奇心を隠せていない諒もまた、素直にそう感想を述べた。


 普段の散歩であれば、これほどひとつの通りで見たくなる物が多いということもないのだが。二人が色々と目を奪われるものがこれだけ多いのは、流石人気の観光地と言うべきだろう。


 そんな中。諒はふと、とある店の前で足を止めると、何かにじっと目をやった。

 それに気づいた萌絵もまた歩みを止めると、彼越しに視線の先の店に目を向ける。


 そこは、蔵を改装して作った和風の看板を掲げた喫茶店だったのだが。彼は店の入口の側に掛かった板看板にある『ドクターフィッシュに癒やされませんか?』の文言が、妙に気になっていた。


「萌絵さん。あれ知ってる?」

「あれって、ドクターフィッシュの事?」

「うん」

「前テレビで見た事あるよ。確か、人の肌の悪い角質を食べてくれる魚なんだって」

「へ~」


 彼の、興味をそそられたような、好奇心を感じる表情をじっと見て。


「試しに入ってみる?」


 萌絵はそう尋ねてみた。


「え?」

「だって。諒君興味あるんでしょ?」

「まあ、少し……。でも、萌絵さん、嫌じゃない?」

「ううん。私もちょっと気になってたから」


 気遣う諒を見て、ふふっと微笑んだ彼女は、


「それに、少し喉乾いちゃったし」


 そんな言葉を付け加え、彼を促す。


「確かに喉は渇いたかも。じゃあ、入ってみよっか?」

「うん」


 二人は互いに頷き合うと、並んで店に入っていった。


「「いらっしゃいませ」」


 人当たりの良さそうな中年夫婦が奥のカウンターから同時に挨拶すると、妻と思わしきやや恰幅の良い女性が二人の前に笑顔でやってくる。


「お二人様?」

「あ、はい。あの、ドクターフィッシュっていうのが、ちょっと気になって」


 少し緊張した面持ちで話す諒に、女性は笑顔を崩さず、


「じゃあ、こちらにどうぞ」


 と二人を席に案内した。

 店内には、既に何組かの夫婦やカップルがおり、皆が足元に用意された水槽に足を入れ、各々おのおの個性的な笑みを浮かべている。


「お二人はこちらね。並んで座ってもらって良いかしら?」

「「はい」」

「まずは左右から座ってもらって、水槽の脇で靴と靴下を脱いでね。あと、声を掛けるまで足は入れないように」


 二人が案内されたのは窓際の席。

 足元には大きな水槽が用意され、その中には体長ニ、三センチ程の魚が数十匹、ゆらゆらとのんびり泳いでいた。


「結構いるね」

「うん。これが足に来るんだよね?」

「多分。テレビでも沢山群がってたよ」


 二人は靴と靴下を脱ぎながら、互いに興味津々に泳ぐ魚達に視線を向ける。


「さて。じゃあまずご注文をどうぞ」


 そんな中、接客してくれた女性が笑顔でお冷とメニューをテーブルに並べてくれた。

 二人は用意された手作りのメニューをじっと眺める。


「えっと、ホットコーヒーをひとつお願いします。萌絵さんは?」

「じゃあ、私は温かい緑茶で」

「コーヒーと緑茶の温かいのね。じゃあ待っている間、お待ちかねといきましょうか」


 女性はメニューを下げると入れ替えるように、乾いたタオルを二人に手渡した。


「いい? 足を入れる前に、膝下くらいまでこれで軽く拭いて頂戴。終わったら足を入れてよいけど、ゆっくりと入れること。もしくすぐったくて耐えられなかったり、何か痛みとかあって足を出したい場合も同じね」

「足、痛くなるんですか?」


 気がかりな言葉を耳にし、少しだけ萌絵が不安そうな顔をするが。


「ドクターフィッシュに噛まれて痛いってことはまずないわ。どちらかといえば、元々切り傷とかあって、染みちゃったりって時」


 女性のその説明を聞き、ほっと胸を撫で下ろした。


「一応、足を付けてていい時間は三十分までね。時間になったらこちらで教えるから。じゃ、靴と靴下脱いで、足拭いて」


 説明を一生懸命聞いていた二人が同時に「はい」と応えると、二人は靴と靴下を脱ぎ、丁寧に両足を拭いていく。


  デニムのワンピースの先に見えるきめ細やかで綺麗な足先を見て。


  ──足、綺麗だな……。


 少しだけ目を奪われるも、諒は見惚れていたことに気づきはっとすると、慌てて視線を逸し、恥ずかしそうにタオルで自身の足を拭き出し。

 上げたジーンズの裾の先に見える、やや無骨だがすらっとした足先を見て。


  ──諒君の足……。諒君の、足……。


 これまた、ちらちらと魅惑的過ぎる足を覗き見ながら、手だけはなんとか動かしていく萌絵。


 どこか二人の反応に初々しさを感じたのか。

 女性が夫である店長に視線を向けると、互いに優しい笑顔を交わす。


「えっと。この位で大丈夫ですか?」


 諒が一段落付け尋ねると、女性は「ええ」と笑顔で頷いた。


「じゃあ二人共。ゆっくり足を付けて」

「は、はい」


 少し緊張した顔で萌絵が返事をした後、二人は一度顔を見合わせ互いに頷き合い、ゆっくりと足を入れていく。


「……あれ?」


 と。諒が足先を浸けた瞬間、意外そうな顔をした。


「……この水、温かい」


 萌絵も彼と同じ違和感を感じ思わずそう口にすると、女性はにっこりと笑う。


「ドクターフィッシュは温泉にもいたりする魚でね。ぬるめのお風呂位の温度でも生きられるのよ」

「へ~。だから温泉街の名物にも出来るんですね」

「そうね。ちなみにこのお湯も近くの温泉から頂いたものだから、ちょっとした足湯気分も味わえるわよ」


 そんな会話を諒と女性が気さくに交わしていると。


「ひあっ!」


 突然、隣で先に足を深く浸けていた萌絵が、変な声をあげた。

 見れば、早くもその足に沢山のドクターフィッシュが寄ってきて、つんつんと彼女の足をつついている。


「これっ。ちょっと、んっ! くすぐったい、ですねっ!」


 変な抑揚を付けつつ、萌絵がこらえながら話すと。


「少しすると慣れると思うけど、最初はみんなそんな感じよ」


 女性はクスクスと笑ってみせた。


「諒君も、あんっ。早くっ。足、入れて、みてっ!」


 自分だけくすぐったがっているのが気恥ずかしいのか。たまに艶のある声も混じらせつつ、顔を赤くしながら萌絵が必死に促す。


 彼女の反応に少しだけ気後れしそうになるも。流石に自分は足を入れないというわけにもいかない。

 一度深呼吸をした彼は覚悟を決めると、ゆっくりと、足を深くまで浸けた。


 すると、彼女にばかり群がっていたドクターフィッシュの一部が彼の足にもやってきて、皆同じように足をちょんちょんと優しくつつき出す。


 瞬間感じたくすぐったさに、思わず鳥肌が立つも。諒は変な声を出さずにこらえてみせた。


「これっ、絶対くすぐったいんっ、よねっ?」

「うん。ちょっと、くすぐったいね」

「え? そんなにくすぐったく、ないのっ!?」


 反応がやや薄い彼を見て目を見開く彼女に、諒は苦笑を返す。


「いや、俺もこらえてるだけ、だよ」

「嘘っ!? だって、私だって頑張ってるのに! んっ! 何でっ こんなに、くすぐったいのっ!?」


 自分だけ過剰な反応になっているのがより恥ずかしくなったのか。

 時折身体を捻るように身じろぎつつ、その場で両手で顔を覆う。

 そんな反応を楽しんだ女性は、


「無理はしないようにね。ごゆっくり」


 そう言って、楽しそうな笑みでカウンターの方に戻っていった。


* * * * *


 あれから少し経ち。やっとくすぐったさに慣れた二人は、女性に出されたコーヒーとお茶をゆっくり口にする。


「萌絵さん本当にくすぐったそうだったね」

「諒君が我慢強いっ、だけだよ」

「そうかな?」

「絶対、そうだもんっ」


 まだ少しこらえきれない萌絵は、未だ顔を真っ赤にしたまま、少し不貞腐れた顔を見せる。

 今まで萌絵が見せなかった珍しい表情を見て、普段と違う雰囲気を感じつつも、ふと彼の心にある人物がぎる。


  ──何か、香純かすみみたい。


 この間の恋人役の時も、こんな感じの顔をしていた妹。

 妹に似た今の彼女に、何処か親近感を感じたのか。諒は無意識に、妹を見守る時のような優しい笑顔を見せる。


 そんな視線に、彼を見ていた萌絵は動きが固まり。またも少しの間、じっと彼を見つめてしまう。


  ──諒、君……。


 彼女は、ほうけていた。

 あまりに優しい笑顔に。

 あまりに素敵な笑顔に。


「……萌絵さん?」


 向けられた潤んだ瞳の熱視線に、思わず彼が首を傾げると。はっとした萌絵は、


「な、何でもないの!」


 そう言って、慌てて俯くと、緑茶を口にする。


  ──うう……。やっぱり諒君、かっこいいよ……。


 正直、今の萌絵はもう、諒が隣にいることが幸せすぎていた。

 カメラを構えた彼も。微笑む彼も。

 それはもう、とても魅力的に見え。油断すると今のように見惚みほれてしまうのだ。


 だが、その浮かれっぷりも仕方ない。

 彼女はこの、夢のような瞬間を待っていたのだ。

 十年という月日を超えて。


 とはいえ、女心が分からないのは、女友達などまともにいなかった男のさがか。

 諒はまたも心に沸いた不安を押し殺しつつ、不思議そうに彼女を見返すことしかできなかった。

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