第二話:目を奪われる光景

 二人で出掛ける事になった当日。

 春の暖かさをしっかりと感じられる、晴れ空の元を走る電車に揺られながら、諒と萌絵は、四人席に二人だけで、向かい合って座っていた。


 諒は白の袖の長いTシャツの上に黒の長袖のシャツを前を開けた状態で羽織りジーンズを履く、相変わらずの姿。

 対する萌絵は、長袖の白いシャツの上に、デニム生地の袖がなく、裾の長いワンピースを重ね着した出で立ち。


 今までの外出と違う点といえば、遠出を想定したのか。諒は背中に背負うリュックを。萌絵はやや大きめのベージュのショルダーバッグを手にしている事。そして彼女の靴も、ローヒールの歩きやすいものであることか。


「ふわぁ~」


 集合は少し早めの九時に水宮みずのみやえきにしていたのだが、二人共、何故か三十分も早く待ち合わせ場所に来ていた。

 そんな早起きをしたのもあったのだろうか。萌絵が堪えきれずに口に手を当て、思わず欠伸をする。


「何か眠そうだね。昨晩あまり寝られてない?」

「あ、そ、そんな事ないよ。ちょっとだけ早起きしちゃっただけだから。心配しないで」


 心配そうに覗き込まれているのにはっと気づいた彼女は恥ずかしさで身を小さくした。

 そんな彼女に、諒はふっと笑みを浮かべると、


「もし眠いなら、駅に着くまで寝てても大丈夫だよ。ちゃんと起こすから」


 こんな提案をしたのだが。


「ほ、本当に大丈夫! だから気にしないで。ね?」


 必死に手を振り、安心させようとする萌絵によって、それは却下された。


 実は、本当は少し眠いのは事実だった。

 だが、残念ながら今彼女は寝る等という愚行は犯せない。

 何故なら。


  ──諒君といるのに、寝ちゃうなんて……。


 そう。

 半分は勿体なく、半分は恥ずかしいから。


 貴重な時間だからこそ、寝たくない。

 好きな相手の前で、恥ずかしい姿など見せられない。

 そんな強い気持ちがあったからなのだが。彼女の想いなど露知つゆしらず。彼はその反応に少し苦笑してしまう。


「でも、本当にごめんね。萌絵さんの言ってた通り、何も考えずに降りるプランも考えたんだけど」

「ううん、大丈夫だよ。昨日場所を聞いてびっくりしちゃったけど。私も行ったことなかったし、諒君も初めてなんでしょ?」

「うん」

「だったら二人共新鮮な気分で散歩できるし、凄くいいと思うな」


 平謝りする諒に対し、一転して嬉しそうな笑みを浮かべる萌絵。

 そんな眩しい彼女の表情に少しドキッとしながらも、彼は何とか必死に笑顔を作っていた。


 諒が目的地として決定し、二人が目指す場所は電車で約一時間程。

 二人の通学時間に匹敵する程の時間、電車に乗るのだが。その方向は完全に真逆。


 海沿いの芝野蔵しばのくらを抜け、電車はそのまま山沿いの海岸線を抜けた後、途中長いトンネルに入る。

 それを抜けると。


「うわぁ! すっごく高い!」


 興奮しながら窓を覗き込む彼女の眼下に広がったのは、鉄橋の上、眼下の山間やまあいに広がる森だった。

 目にした景色は、トンネルを潜ると今度は間近に木々を見る森の中になり。またトンネルに入ると、今度は村や田園風景が広がり。その景色をどんどんと変えていく。


 こうやって、何度かトンネルに入りながら渓谷を抜け。ついに二人は、目的地へとやってきた。


* * * * *


 何処か懐かしさを感じる和風の駅舎を出た二人は。


「うわぁ、綺麗……」

「これは、凄いね……」


 目の前に広がる光景に、二人は並んだまま思わず息を呑んだ。


 諒が選んだのは、桜ヶ丘さくらがおかえき

 彼の家の冷蔵庫に貼られていた、アンケートに答えると旅行が当たるという紙に書かれていた場所である。


 ここは日本で有数とまではいかないが、周辺地域の人間にはかなり有名で人気のある温泉街。

 そして、駅名に由来する通り。桜の木々が多い街でもある。


 今年は寒期が長引いたせいか。桜の開花が全般的に遅れたのもあり、四月に入ったにもかかわらず、駅前からまっすぐ伸びた通りは、満開の桜に埋め尽くされていた。


 しかもその街並みもまた凄い。

 古き良き、白壁に瓦屋根の日本家屋にほんかおくや蔵、店が立ち並んだその場所は、まるで江戸時代の城下町にでもタイムスリップしたような気持ちにさせられる。


 丁度桜の見頃なシーズンだけあって、人も結構多いのも相成り。活気ある圧倒的な街の景色は、二人の目を充分奪う程のもの。


 諒は思わずリュックからデジタルカメラを取り出すと、早速何枚か街並みを撮影し始めた。


 風に花びら舞う桜の木々。

 歴史を感じさせる古そうな蔵に、脇を流れる小さな堀の川と、水流でゆっくりと回る水車。


  ──ここ、本当に凄い!


 思わず撮影に夢中になる諒だったが、何枚か撮影をした後、ふと何かを思い出し、はっとして隣を見る。

 勿論そこにあったのは、じ~っと彼を見つめる萌絵の姿。


「あ。ご、ごめん!」


 彼女の存在を忘れていた諒が、慌てて勢いよく頭を下げると、はっとそれに気づいた萌絵もまた、慌てて首を振った。


「え……あ、だ、大丈夫だよ」

「いや、一緒に遊びに来たのに、あまりに凄かったから一人で夢中になっちゃうなんて最低だよ。本当にごめん」


 申し訳無さそうな表情でまたも謝った後、顔を上げた諒だったが。視線に入った彼女を見て、思わず首を傾げた。

 それは、萌絵が恥ずかしそうに視線を逸し、目を泳がせていたのだから。


「あの……萌絵さん?」

「え、あ、その。本当に大丈夫だよ。私、全く気にしてないから……」


 苦笑しつつ誤魔化す萌絵だったが、勿論その心の内を言えるわけがない。

 写真撮ってる嬉しそうな諒に、思わず見惚みとれていた、などとは。


「そ、それより、写真撮りながらでいいから、折角だし色々見て回ろ? ね?」

「へ? も、萌絵さん?」


 そう言うや否や、そそくさと歩き出した萌絵に。


  ──本当に、大丈夫……かな?


 僅かな不安と強い困惑を見せながら、諒も慌てて彼女を追いかけると、横に並び歩調を合わせるのだった。

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