幕間:マジやば

 その日の夜。

 芝野蔵しばのくらえきから五分ほどの集合団地にある、日向ひなたの家では。


 日向ひなたに似た、髪を金髪に染めた短髪を持つ中学生の妹、次女の美知子みちこからぽーんと投げられたタオルを片手で器用に受け取った日向ひなたは、それをまだ幼稚園児の四女、雛子ひなこの茶髪に被せた。


「いつもどおり、じっとしてるんだよ」

「は~い!」

「うん。いい子いい子。じゃあいくよ~」


 そう言って、手に持っていたドライヤー掛けを始める。

 隣では、美知子が同じように並び、小学校二年の三女、舞子まいこの頭にタオルを掛け、同じようにドライヤーを掛けだした。


「ぶいんぶい~ん」

「ぶい~ん」


 ドライヤーを気持ちよさげ堪能し、嬉しそうにそう口にする下の子二人を相手しながら、器用に彼女達はドライヤーを掛けていく。


「そういや姉貴。雛子の熱はどうだった?」

「もう全っ然。何か保育園で遊びすぎみたいでさ~。家帰って一眠りしたらケロっとしてて、もう熱も下がってた」

「それなら良かった。ごめんね。急に呼び出しちゃって」

「いいのいいの。みっち~は舞子の世話で大変だったんだし、仕方ないじゃん」


 昼に電話を掛けてきたのは次女。

 雛子が熱を出したと保育園から連絡があったものの、その時は舞子を構うので手が離せず、急遽姉に助けを求めざるをえなくなったのだ。


「でも、今日楽しいことあったんでしょ? 何かほんとごめん」

「へ? 何で分かるの?」


 突然の美知子の言葉に、彼女は思わず疑問の声を上げる。

 実際今日は本当に楽しかったのだが、今日の出来事など妹に全く話していない。

 首を傾げつつドライヤーを続ける日向ひなただったが。その反応に、美知子は思わず呆れた顔をする。


「いや、だって。姉貴ずっと頬緩んでにやにやしてるんだもん」

「え? 嘘!? マジ!?」

「マジ寄りのマジ。大マジだって」

「うう。マジかぁ……」


  ──そりゃあ、諒君とあんな事できたんだもんな~。


 妹の頭を乾かす腕は止めず、日向ひなたは露骨に苦笑してみせた。


「まあ、でも楽しい日なんて、またその内やってくるし。みっち~は全然気にしなくていいよ〜」

「そう? まあ、姉貴がそう言うなら……」


 本当はその理由を聞きたくてうずうずする美知子だったが。流石にさらりと話を流されては、それを問いただすわけにもいかず。

 少しもやもやしながら、妹達の髪を乾かし続けるのだった。


* * * * *


 下の子達のドライヤー掛けを終え、彼女達を寝かしつけた後。美知子に風呂に先に入るよう促した日向ひなたはひとり、美知子との二人部屋の二段ベッドの上でごろりとしていた。

 母親は昼のパートの後、夜の仕事もあるため家を開けている。

 父親も単身赴任で家にいないため、今この時ばかりは、日向ひなたが家で一人っきりでいられる時間だった。


 彼女はベッドで仰向けになりながら、手に持っていた今日撮影したプリクラにスマートフォンのカメラを向けると、パシャリと一枚撮影した。


「うん。よし!」


 スマートフォンの画面で出来栄えを改めて確認し、嬉しそうな顔をした彼女は、暫しそれを眺めていく内に、惚けた顔を見せる。


  ──やっぱ、諒君ってマジやばだわ……。


 少しだけ、萌絵に対する罪悪感が心に過る。

 だが。仕方なかった。

 そこに写る彼に、心惹かれてしまったのだから。


* * * * *


 日向ひなたは、その明るい性格と竹を割ったようなはっきりとした態度から、小さい頃から男女問わず友達が多かった。


 だが、同時に彼女はずっと分からなかった。

 恋というものが。


 彼女は肌の色がやや褐色。しかも中学の頃にはもう、訳あって髪を金髪に染めていたのもあったのだろう。

 その性格と風貌から、周囲にも軽いギャルと認識されていた。


 だからこそというべきか。同じように、軽い雰囲気の男友達から告白される事も多かったのだが。


 自分が告白されても、ときめく事はなかったものの。大体が仲良くなった男友達だったからこそ。そこから恋のひとつも分かるんじゃないかと、お試し感覚で付き合い出した事が何度かあった。


 しかし。性格が合う遊び仲間から派生した、似たような男子ばかりだったせいもあってか。

 残念ながら、皆同じように、あっさりと魅力を失っていった。


 友達だった時は彼女を褒め、優しい言葉をかけてきた相手が、付き合い出すと、途端に彼氏面を強くする。


 恋人という枷にはめ、自分の所有物だと言わんばかりに急に傲慢な態度になり。

 優しさも程々に、こちらの気持ちすら考えず、自分のペースと欲望だけを押し付けようとする。


 やれ、キスしないか。

 やれ、エッチなことをしよう。


 恋を知らず、熱もまだない日向ひなたからすれば、付き合ってすぐにそんな態度を見せてくる、思春期全開の彼らに心がなびくことなどなく。

 その態度に幻滅し、すぐに別れる事になるばかり。


 だからこそ。

 自ら相手の側にいたいと思えるような恋など、一度も経験がなかった。


 ただ同時に。

 大人しく奥手で、自信なく行動するような軟弱な男は、友達としても眼中になかった。

 諒も例外ではなく、日向ひなたの本来の性格からすれば、話すこともまずない相手。

 それこそ萌絵の告白を手伝うことがなければ、友達にすらならなかったであろう。


 実際、最初に感じた彼の印象といえば。

 煮えきらない萌絵への答えへの優柔不断さと、どこか空気の読めないノリの悪さ。


 今までの男友達と比べても、決して印象は良くない。だからこそ、最初はあそこまで不機嫌を露呈したのだが。

 きっと男友達や恋人になった男達ならきっと、ある者は必死に言い訳し、ある者は日向ひなたが悪いと口にしただろう。


 だが。

 諒は違った。

 違い過ぎた。


 自分があれだけ彼を責めたにも関わらず。自分のせいだからと本気で萌絵から庇ってくれ。

 何とかできることだけでもと、不器用ながら木根の願いを正直に話し、嫌われ覚悟で許可をもらおうとし。

 頼まれごとのたかがゲームひとつに、あれだけ真剣に挑む。


 結局、謝られこそすれど。一度も自分を責めてこなかった。

 少しでも日向ひなたを理解し、変わろうとし、気を遣い。時に自身を貫こうとした。


 そのギャップに、彼女は今までにない衝撃を覚え。彼の見せた異性としての本当の優しさと気遣いに、心を打たれた。


 たった一日の出来事なのに。

 決してあおいのような美少年でもないのに。


 それは、彼女の世界を変えてしまった。

 そう。自ら、一人の男子に心惹かれてしまったのだ。


 勿論、たまたまドキッとしただけかもしれないと、日向ひなたも自身の心を信じきれない中、今日に至った訳だが。

 改めて彼の行動と言動に触れ、彼女ははっきりと思い知らされた。


 これが、自分から人を好きになるという気持ちなのだと。

 これこそが、初恋なのだと。


* * * * *


  ──とはいえ、流石に順番があるもんね。


 スマートフォンとプリクラを脇に置き。

 枕と頭の間に両手を入れ、天井をじっと見る。


 日向ひなたは確かに恋をしてしまった。

 だが、それは萌絵が告白をしたからこそ、きっかけが生まれただけ。


 高校になって出会った相手だが、彼女もまた、諒と同じ、今までと違う女友達だった。


 悪いことにはしっかり苦言を呈し。悩んだりすれば本気で相談に乗ってくれる。

 そんな事をしてくれる初めての相手だったからこそ、より一緒にいたいと思うようになり。自身の中では友達以上の気持ちを持てるようになった。


 そんな萌絵を出し抜いて、先に手を出し、無理やり奪う。仁義に反するそんな行為を、日向ひなたも絶対にしたくはない。

 何故なら、彼女も大事な親友だから。


  ──二人がうまくいったらいきなり失恋かぁ。ま。萌絵がうまくいくなら、それはそれでハッピーか。


 少しだけ寂しそうに笑みを浮かべるも。


  ──それに、本当に人を好きになるって気持ちも、分かっちゃったしね。


 結局、顔がまた緩み、にやけてしまう。


  ──「似合うと思ったから」


 諒に真剣な顔で言われたその一言に始まった本気の言葉の数々は強く心に刺さり、改めて好きなのだと分からされた。

 一瞬で胸が高鳴り、心が抑えられなくなるほどに。


 キス直前のプリクラを撮る時も、直ぐ側にあった彼の顔に、本当にドキドキした。

 実際、本気で事故に見せかけ頬にキスしてやろうかとギリギリまで迷ったものだが。流石に香純かすみもいる手前、何とかそれを抑え込んだ。

 多分二人きりだったら、彼女も理性が抑えられなかったかもしれないと、今でも思う。


  ──でもほんと、今日は役得だったなぁ。またレクチャーって事にして、デートの空気くらい味合わせてもらおっかな?


 仁義……とは。

 あっさりそんな誘惑に駆られていると。


「姉貴〜。上がったから風呂入ったら?」


 部屋の外から、美知子の声がした。


「分かった。ありがと~」


 流石ににやけ続けていてもいけないと。顔をピシャリと叩いた日向ひなたは。

 初恋の余韻を感じたまま、スマートフォンとプリクラを隠すように枕の下に入れると、ベッドを下りてパジャマと下着を手にし、部屋を出ていった。


* * * * *


 余談だが。


 日向ひなたはその後、風呂場で諒の事を考えすぎてしまい。長風呂となって逆上のぼせてしまったのは、ここだけの秘密である。

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