第二話:それは、誰のため?

 諒が萌絵と通話をしていた頃。

 香純かすみもまた自分の二階の部屋で寝る準備を終え。パジャマ姿でベッドに潜り込んだまま、部屋の電気も消さず、横向きになり考え込んでいた。


  ──おにいだろうなぁ。


 何も分からない。

 その真意は、女友達と出掛ける、という事に関して。


 一応ドラマや漫画などで、何となくは知っているだろう。

 例えばデートに行くとした場合。女の子の好きそうなお店を回り。買い物したり、デザートを食べたり。時にその駅にある良さげなスポットに連れて行ったり。

 そういう事をすべきであろうことは。


 しかし、帰り道で聞いた話から……いや。それを聞かずとも、彼女は知っている。

 兄がとかく女子との行動にも、流行りに対してもうとい事を。

 このままでは、萌絵と二人きりになった時に困る事は明白。ではどうすればよいかと言えば……正直な所、かなり難題だ。


  ──やっぱり、おにい自体のファッションからかなぁ? でもそこは霧島先輩が気にしないと信じて後回しにして、デートプランとか考えられるようにする? それとも、もっと女の子に気を利いた事を……って、それは案外何とかなるかな?


 ファッションや場所に関する知識は、なければそもそもどうにもならない。

 ただ、優しい兄と優しい萌絵の組み合わせなら、気を利かせたり、彼のファッションに関してはどうにかなるだろうか。


 状況を整理し。優先順位を考え。

 兄をどう成長させるか。そんな事を考えていく内に。


 少しずつ心が重くなり。苦しくなり。

 大きなため息を漏らすと、寂しそうな顔をした。


  ──私、何やってるんだろ……。


 諒と萌絵。

 何となく二人はお似合いだと感じ、二人が付き合うことになれば、幸せになるのではないかと思ってはいる。


 だが。

 まだ二人は友達。そして萌絵は、ある意味で恋敵と言っても良い。

 敵に塩を送る、ではないが。それに近い気持ちが、心の不満としてくすぶってしまう。


 そこまでしなくても、自分なら兄を好きでいていられる。

 兄の側にいられれば、それだけで幸せ。


 だからこそ。

 兄を変えるべきと思う行動が、諒と萌絵にとっての幸せには必要であっても、自分との幸せには無用な物に感じさせてしまっていた。


 しかし、同時に感じている。

 霧島萌絵は、決して悪い人物ではないと。


 自身と違い、身近でもないのにずっと兄を見続け、兄に憧れ続けた相手。

 そんな彼女の諒へ向ける優しさや興味は、妹から見ても、ちゃんと兄を知ろうとし、気遣いも感じる安堵できるもの。


 だからこそ。日向ひなたの友達という点も少なからずあれど、無碍に冷たくする気持ちにもなれなかったのだ。


 それでも。

 どこか、二人がうまくいかなかったらと考えそうになる自分に。


  ──何か私、嫌な奴……。


 思わず自身を責める姿を隠すように、布団を頭ごと被った、その時。


香純かすみ。まだ起きてるか?」


 そんな声が、ドアの向こうから聞こえた。

 随分遅い時間ではあるが。ドアから漏れる灯りで、まだ起きていると判断したであろう兄の声だった。


「うん。入っていいよ」


 香純かすみが上半身を起こし、長い髪を両手で後ろに払いながら声を掛けると。静かにドアを開け、諒が顔を出した。

 その顔を見て、彼女はすぐさま苦笑する。


「おにいさぁ」

「ん?」

「霧島先輩の件で、何かあったんでしょ?」

「へ? 何で分かるんだ?」


 まるで心を読まれたかのような気持ちとなる諒に、香純かすみが呆れてみせる。


「だって。めちゃくちゃ困った顔してたもん。今日一緒に帰った時とそっくり」

「……そんなに、酷い顔してたか?」

「うん」


 香純かすみがくすくすっと笑うのも一理ある。

 確かに顔を出した諒は、わかりやすい位に眉間に皺を寄せ、困りきった表情をしていた。それは、もし事情を知らなくても、誰でも分かるくらいに普段とは違う。


「おにいって、私の前だと正直だよね」


 悪戯っぽく笑う香純かすみは、頭を掻き、恥ずかしそうにする兄を見て、内心それを少し喜んだ。


 兄妹きょうだいとはいえ、そういう心の弱さをはっきり見せてくれる、正直者の兄。

 これを彼は、他人に中々しようとはしない。

 そう。これこそ、彼女だけが知る兄の姿。


「ほら。入ってベッドにでも座ったら?」

「あ、うん」


 香純かすみに促され、静かにドアを閉め、ベッドの横に腰を下ろす諒に、彼女も布団から出ると、脇に並んで腰掛ける。


「で。デートにでも誘われた?」

「へ?」

「図星?」


 彼女の言葉にきょとんとする諒に、当たったでしょ? と言わんばかりの顔をした香純かすみだったが。


「友達同士って、デートになるのか?」


 諒は間の抜けた顔のまま、そう問い返してしまう。

 彼の中では、付き合っている二人とでないとデートではない、という古風な発想しかないのかもしれないが。


「最近は、友達が遊びに誘う感覚でデートする事もあるんだよ?」

「へ~」


 彼女はそんな最近の現実を突きつけ、彼を納得させた。


「で。OKしたの?」

「一応」

「何時?」

「えっと、今度の土曜。場所は木曜までに互いに候補を出すことになったんだけどさ……」


 ふぅ、とため息をく彼に感じるのは自信のなさ。

 その理由が分かるからこそ。


「つまり。早速私に頼れる人を紹介してほしいって思った訳ね?」

「……ああ。こんな早くに迷惑かける事になるなんて、思ってなかったんだけど、さ……」


 何とも困ったような、それでいて申し訳無さそうな複雑な顔をする兄を見て、香純かすみの心が少し痛む。

 それは、萌絵のために何かする事への嫉妬……ではなく。純粋に、兄が困っている姿を見るのが辛かっただけ。


「意外に霧島先輩、積極的なんだね」

「う~ん。どうだろ? その割にはかなり恥ずかしそうな感じだったし、結構勇気いったんじゃないかな?」

「恥ずかしがってる……って事は、通話でもしたの?」

「え? ああ。何か通話したいって言われてさ」

「へ~」


  ──やっぱり霧島先輩、おにいより積極的だなぁ……。


 ファミレスで見た二人も、名前で呼ぶのを恥ずかしげながらお願いしたのは萌絵。

 日向ひなたがあまりに諒を責めた時に、はっきりと割って入って咎めたのも彼女。


 何だかんだで積極性がある萌絵を知り、香純かすみは少しだけ羨ましく思う。

 自分にその勇気があれば、あるいは……。

 そんな、もしもを考えるも。


  ──考えても、無駄かな……。


 過去は変えられない。それを知るからこそ、彼女はそんな想いを切り捨てた。

 それよりも、今困っている兄を何とかするほうが先決なのだ。


「おにいさ。デートまでに何処か空いてる日はあったりする?」

「ん? ああ。毎日暇だし」


 諒の答えを聞き、香純かすみはにこりと笑う。


「じゃあ明後日あさって、朝から空けておいて。助っ人にデートのレクチャーお願いするから」

「え? そんな急に大丈夫なのか? 相手のスケジュールとか聞いてないだろ?」


 いきなりの事に戸惑う諒だったが。そんな彼を意にも介さず、香純かすみは頷いてみせる。


「そりゃあ。こんな事もあろうかと、既にその人と話してスケジュール確認してるから」

「お前、めっちゃ用意周到だな……」

「そりゃ、おにいのためだもん」


 意外そうな顔をした諒に、彼女は思わず優しい笑みを浮かべる。

 それが本当にありがたいと彼も感じ、


「……ありがとな。香純かすみ


 そう言って、ペコリと頭を下げる。

 だがその瞬間、少しだけ彼女が不満そうな顔をした。


「それだけ?」

「え?」

「今日の帰りは頭撫でてくれたのにな~」


 またもあっけに取られる諒に、呆れるように両掌りょうてのひらを上に向ける香純かすみ。その態度を見て。


「……これだから、子供っぽいって言われるんだよ」


 ふっと笑った諒は、迷わず頭に手をやると。


「ほんとに。ありがとな」


 昼間と同じく、優しく頭を撫でてやる。

 まるで、その行為に喜ぶ猫のように、満足そうな顔をした香純かすみは。


「じゃあ、明後日楽しみにしててね。しっかりおにいをエスコートしてあげる」


 そう笑顔で言葉を返した。


「……ん? あ、ああ」


  ──言い間違い、だよな?


 彼女の言葉に疑問を覚えるも。何となくそれを今突っ込むのは野暮に感じ、敢えて指摘はしなかったのだが。

 その時に見せた笑みが、とても自慢げだった事にまで、気づくことはできなかった。

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