第九話:彼の心を打ったもの

 その後も、彼は順番にステージを一投のみで突破していった。

 四ステージ。五ステージ。六ステージ。

 様々な形に配置されたピンを倒す度に。

 周囲からの歓声や拍手が大きくなり。


 同時に見守っている萌絵、日向ひなた香純かすみあおいも思わず手に汗握り。口数が減り。緊張感が高まっていく。


 そして諒の自己記録タイとなる七ステージ。

 それは四番、七番、九番の三本のピンだけがある変則的な配置。


 これに挑んだ諒の一投目。

 今まで通りのカーブボールが四番ピンの右より当たるも、ボールと共に七番ピンに飛ぶのみで、九番ピンが一本残ってしまう。


 瞬間、周囲から漏れる大きなため息。

 気づけばボウリング場は、完全に諒以外がギャラリーと化していた。

 普段味わえない独特な雰囲気に呑まれた四人も、気づけば応援すら忘れ、ただ諒に緊張した視線を向け続ける。


 そんな中。

 彼は再び、スタンスドットの一番左端に立った。

 気合を入れ直すように一度長く息をくと。ゆっくりとした初動から入った彼の投じたボールは、普段より緩い速度で中央寄りに流れ、そのまままたもカーブで一気に四番ピンに流れると。


  カカン!


 四番ピンは先程同様に七番ピンを蹴り飛ばすも、ボールは弾かれるように九番ピンに向きを変え。ギリギリで九番ピンの横を掠め、ピンがぐらぐらっと揺れる。


「いけ!!」

「倒れろ!」


 周囲のギャラリーから飛び交った懇願の声が届いたのか。

 ピンがそのまま、右にころんと横に倒れた。


 瞬間わっと湧く観客達に、ほっと胸を撫で下ろす諒。

 釣られるように、萌絵達四人も安堵のため息をいた。


「これで、自己記録タイ……」


 緊張感を維持したまま呟く香純かすみに、思わず息を呑む日向ひなた

 じっと彼を見つめるあおいに、祈るように両手を胸の前で組む萌絵。


 そして準備された八ステージ目。


「まじかよ!?」

「あれ倒せたら凄くない!?」


 ギャラリーからもあり得ないと言わんばかりの声があがった配置は、七番と十番のピンのみ。

 普段のボウリングであれば、スコアシートにスプリットの記号が付く。つまり、どちらかしか倒せない。


 勿論、誰の目にも攻略ルートは分かる。

 どちらかのピンを真横に飛ばせばいいだけ。


 しかし。そんな事がたった二投でできるかと言われたら、相当数の人間が首を横に振るだろう。


  ──ついにここ、か……。


 諒もまた、その難易度の高さを理解している。

 だからこそ、前回はここで失敗しているのだから。


 ボールを手に取る寸前。

 一度だけピンの配置を再確認した後、諒はゆっくりとボールを持ち上げる。


「いけー! 坊主!」

「やっちゃえ! やっちゃえ!!」

「がーんばれ! がーんばれ!」


 彼の背を押すような声援が飛び交う中。

 投球エリアに上がり、何時もと同じスタンスドットの左端に諒が立つと、周囲の歓声は一気に立ち消え。開店中のボウリング場とは思えない静けさが店を包んだ。


 皆の目を。皆の心を奪った諒は、乱れぬフォームで一投目を投げ込んだ。

 それは今までより早く、緩やかに曲がるカーブ。今までで最も大きな孤を描いたボールは、十番ピンより少し手前でほぼガターすれすれを勢いそのままに転がり抜け。瞬間。


  カコーン!


 まるで狙いすましたかのように、ボールが掠めた十番ピンが勢いよく真横に飛び、七番ピンを吹き飛ばした。


「きたぁぁぁぁ!!」

「おおおおお!!」


 同時に生まれた大歓声。

 それはまるで、プロのスポーツ観戦をしているかのような独特の雰囲気が包み。

 萌絵達は今までに経験したことのない熱狂の渦に巻き込まれていた。


『次が、ラストステージです』


 と。

 今まで一度もなかった女性でのマイクアナウンスがされると。観客達のボルテージがまた上がる。


「おにい……。あとひとつ……」


 思わず腕を組み、ぎゅっと握る香純かすみ


「いける、いけるよ、諒君」


 気づけば、完全にそのプレイの虜になっている日向ひなた


「お願い……。神様……」


 名も知れぬ神に祈る萌絵に。


  ──君ならやれるよね。諒。


 何も語らず。心でそう問いかけるあおい


 そして。

 ピンが下りてきて用意された最終ステージは。六番と七番の二本だけ。


「これさっきより間隔狭いし、絶対狙いやすいでしょ!」


 思わず興奮しそう零す日向ひなただったが。


「いや。これが最高難易度だよ」


 木根はそんな希望をあっさり否定した。


「ボウリングは、真横に飛ばすより、真横に近い斜め後ろに飛ばすほうが難しいんだ。しかも、あの距離はただそっと倒したんじゃダメ。勢いよく、確実に七番にピンを飛ばさないといけない。ストレートボールでは相当シビアな精度が問われるだろうし、とはいえ斜めから直線に繋ぐように当てるにも、今まで投げてきたカーブでは相当難しいだろうね」


 歴戦の猛者であろう彼の表情から笑みが消える。

 それを見た四人は、この構成の難しさを感じ取り、思わずまた諒に不安な視線を向けた。


 彼もまた、この配置の難しさをはっきりと理解していた。

 マイボールを拭いた後も、しばしその場に立ったまま。じっとピンを見つめ、脳内で攻略を考えていく。


  ──あれじゃないとダメ、か……。


 導き出した答えに必要な技術。

 その難易度に、少しだけ心が緊張した。

 だが。苦手意識が生んだその緊張感を、本人はその時点で自覚できていない。


 だからこそ。

 僅かな心の乱れが、動きを狂わせた。


 一投目。

 彼は普段とは違うスタンスドットの中央の点の上に立つ。

 その違いだけで、周囲は今までと違う難易度に挑む空気をひしひしと感じる。


 諒はそのまま、己の脳内にイメージした軌道に向け、投げ込んだのだが。

 今までと変わらないように見えるフォームで投げ込まれたボールは……。


「あっ……」


 萌絵の希望が消える呟きと同じように、ボールは殆ど曲がる事なく、ガターに消えていく。


 同時に起こる観客達の落胆。

 そして。振り返った諒の顔にも、今まで見せなかった悔しそうな表情がにじんでいた。


「いかんな……」

「えっ?」


 ぽつりと木根が呟いた一言に、思わず日向ひなたが声を上げると。


「あれは集中力が切れた顔だ。流石に緊張したか……」


 渋い顔で見つめる先の彼は。

 戻ってきたボールを拭きながら、顔をしかめ、苦しげで迷った顔をしている。


  ──諒君……。


 その表情に、萌絵の心が苦しくなる。

 自分は何もできないのか。自分は見ているだけなのか。


 ただ、遊びなだけのはずなのに。

 気づけばまるで、優勝のかかる選手を見守るかのような心境に変わっていた。


 そしてそれは観客も同じ。

 今の失敗に皆が落胆し。しかし、最後のチャンスに激を飛ばす。

 それはもう、本当にひとつの競技を見守る仲間のようでもあった。


 そんな異様な空気にも。己の緊張感にも気づかず。

 俯いたままの諒が、長いため息を漏らし。覚悟を決めてボールを持とうとした、その時。


「こら! 諒君!!」


 ギャラリー達も驚くほどの大声が、ボウリング場に響いた。

 観客が驚き声を失い。さすがの諒も心にその声が届き。

 諒が、皆が視線を向けると。そこには……立ち上がった、日向ひなたがいた。


「な〜に辛気臭い顔してるの? 凄いのここまでた沢山見せてくれたんだからさ~。最後まで楽しんでいこ? でさ。成功したらハイタッチ。失敗しても、ハイタッチ。それでいいじゃん。ね?」


 彼女はまるで、カラオケを香純かすみと歌い終えた時のような、満足げで、楽しげな、彼にとって意外過ぎる表情を見せていた。

 ボウリング場が一気に静まり返る中。


たいで構え、技で放ち、心を打つ、だよね?」


 普段通りの笑顔で、あおいも立ち上がりそう口にすれば。


「初めてここまで来たんだから、失敗したって仕方ないよ。それだったら、海原うなばら先輩の言う通り、最後まで楽しんで挑もう?」


 香純かすみも立ち上がり、両手に拳を握り、ファイト! と言わんばかりのポーズを取る。

 そして萌絵もまた、すっと立ち上がると。


「頑張って!!」


 両手を口に当て、必死に、大きな声で叫んだ。


 瞬間。

 観客も沸いた。


「そうだそうだ! 最後くらい楽しんで投げろ!」

「ついでに倒してくれたら嬉しいけどな!」

「確かに!」

「お兄ちゃーん、がんばれー!!」


 様々な世代の、色々な声が感情の渦となり、諒を包み込む。

 今までは父と遊びに来た時の閉店後に、木根の厚意でこっそり遊ばせてもらっていただけの彼にとって、これほどの観客がいたことはなかった。

 勿論。今までも集中力で、それすら気にもしていなかったのだが。


 初めて感じる心を打つ声援に、彼は緊張……ではなく。ふっと優しい笑顔を浮かべると、誰に向けるでもなく小さく会釈をすると、最後のボールを手にする。


 二投目のレーンの投球エリアに立った彼の立ち位置は、やはり先程と同じスタンスドット中央の点。

 それは先程と同じコースを狙うという、はっきりとした強い意志。

 周囲が再び、祈りと期待に満ちた沈黙に包まれると。


 諒は最後の一投を、静かに。力強く投げ込んだ。

 そして、最後のボールは──。

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