第六話:それはまるで、魔法のように

 かくして。各々おのおのが飲み物を買い終え、ハウスボールも借り終えた後。五人でのボウリングが始まる、かと思ったが。

 いきなり諒が、


「最初は見学させてほしいんだけど」


 と言い出した時には、日向ひなたが思わず「また!?」と驚愕したのは言うまでもない。

 とはいえ、


「最初は彼女にボウリングを教えるのに専念したいんだ」


 というしっかりとした理由を聞けた為、流石に納得はしたのだが。


 こうして四人で始まった最初のゲームの第一フレーム。

 最初に投げた日向ひなたは独学のフォームながら、中々に早い真っ直ぐのボールをヘッドピンに叩き込み、見事ストライク。


「いえーい! どう? すごい? すごい?」


 先ほどまでの不機嫌さがなかったかのように、皆とハイタッチをしながら嬉しそうに自慢する彼女に、周囲の空気もなごやかになる。


 次に続いたのはあおい

 諒達に教わったという彼もまた、中々しっかりとしたフォームでストレートボールを綺麗に投げ入れ、結果はスペア。


 その後の香純かすみも、流石に諒と同じ父を持つだけあり、かなり綺麗なフォームでしっかりとしたボールを投げ込み、見事にスペアを叩きだした。


 そしてついに、萌絵の番がやってきたのだが……。

 最初に諒から貰ったアドバイスは特になく。


「まずは普段通り投げてみてくれる?」


 彼女が立ち上がった時にそう言われただけ。

 正直あまり自信のない萌絵は困った顔をしたが。その後に向けられた


「大丈夫。次から少しずつ直していくから」


 という彼の言葉と笑みを信じ、あまり気乗りしないまま、投球エリアのスタンスドットの上に立った。


  ──うまくいきますように……。


 ボールを胸の前に持ち、心でそんな神頼みをした後。

 第一投に挑む萌絵が動き出す。 


 小刻みな歩幅。

 ゆっくり目にボールを下ろし、あまり大きくないバックスイング。

 だが、投げるまでの歩幅と腕の動きが合わず、慌てて手を前に振り直した彼女のボールは。


「あっ!」


 小さな悲鳴と共に、やや高く宙を浮くとレーンにゴツンと落ちた。

 そしてそれは、力なくふらふらと斜めに転がり、レーン半ばでガターに落ちていく。

 それを見て顔を赤くしつつ、同時に肩を落とす萌絵。


 二投目は何とかボールを綺麗にリリースできたものの。一投目同様に力なくゆっくりレーンを転がっていったボールが倒したのは、ガターに落ちかける直前に触れた三本だけ。


 あまりに皆と違う結果に、情けない気持ちを堪え、落ち込みつつ戻ってきた彼女だったが。


「ごめんね。でも、お陰で色々分かったから。順番に直していこう」


 いの一番に目の前に立った彼の向けた優しい笑みに、少しだけ元気を取り戻すと。「うん」と小さく頷いた。


 そして、第二フレームが始まったのだが。

 日向ひなた達が投げている間、諒と萌絵が向かったのは、ハウスボールの並んだラックの一角だった。


「このコーナーに置かれているボールから、指がちゃんと抜けやすくて、かつしっかり持てる物を選んでくれる?」


 そこに並んでいたボールは、先程使っていた十一ポンドより軽い、九ポンドのボールばかり。


「え? でも日向ひなたに『ボウリングは重いボールのほうがピンが倒れるよ』って聞いたけど……」


 思わず首を傾げる彼女だったが。


「確かに重いボールを早く投げられれば理想なんだけどね。まずは騙されたと思って」


 諒はそう言って、笑顔で促した。

 好きな人がそうやって微笑んでくれるだけで、何処か信じられてしまうのは恋する乙女のさがなのか。

 萌絵は、彼の言う通りにボールを何個か軽く手に取ると、そこからしっくりくるひとつを選びだした。


 そして、萌絵の順番になったのだが。


みんなごめん。少しだけ時間貰うね」


 諒はそう皆に声を掛けた後。萌絵にボールを持たずにスタンスドットの上に立たせ、脇に一緒に並んだ。


「萌絵さん右利きだから、こんな感じに左足から先に進んで、等間隔で五歩、歩いてみてくれる?」


 諒は言葉を体現たいげんするように、やや狭い歩幅で五歩、リリースドットまでを背筋を伸ばしたままリズムよく歩いてみせる。

 萌絵はきょとんとしながらも、小さく頷き表情を引き締め、同じ歩幅とリズムで五歩、歩いてみせた。


「足開くの、きついとかないかな?」

「うん。大丈夫」

「じゃあ、一緒にもう二、三度歩いてみよっか」


 こうして、二人は何度かスタンスドットに戻ってはリリースドットまでを五歩で歩く。その姿が安定したのを確認した後。


「次も同じく五歩歩くんだけど。二歩目からこんな感じで腕を動かしてほしいんだ」


 諒が見せた動きは、二歩目から後ろにバックスイングを始め、四歩目からフォロースイングに移り、五歩目を踏み込んだタイミングでボールをリリースし、そのままフォロースルーまでする一連の動きだった。


 ボウリングらしい動きだが、彼女にとっては未知の世界。

 だが勿論。諒が隣りにいてくれるなら、頑張れる世界。


 最初は周囲の目が少し気にもなったが。気付けば彼女は恥ずかしがることを忘れ、諒と並んで同じ動きを真剣に繰り返した。


 歌のときにも感じていたが、リズム感が良いのか。三度目位にはもう、その動きとリズムが安定してくる。

 更に何度かの練習を重ね、彼は満足そうに頷くと。


「じゃあ、一旦これでボールを持って投げてみよっか。無理にどこか狙うんじゃなくて、とにかく今の動きだけ意識して」


 そんなアドバイスと共に、彼女に投球を促した。


  ──これだけ? で……できるかな?


 ボールのリターンラックから新しく変えたボールを手にし、再びスタンスドットの上に立つ。

 表情にはありありとした緊張感。

 それに気づいてか。


「気楽に投げてね。いざとなったら深呼吸して」


 諒は優しい声でアドバイスをする。

 その言葉に振り返りはせず頷き返すと。


  ──リラックスして。五歩で、投げるだけ。


 心でそう繰り返し、一度大きく深呼吸すると。彼女は習った動きの通り投球を開始した。


 二歩目からのバックスイングは、ややボールの重みで振られるも。逆にその振り子の動きが、意図せず彼女の腕の動きをしっかり歩数にシンクロさせる。

 そして、気づけば五歩目を踏み込んだ直後。自然にボールが床に付くように腕がり。そのまま押し出すようにリリースし、最後にフォロースルーまで入れると……。


「え!?」


 思わず萌絵は驚きの声を上げた。

 残念ながら、まっすぐとは行かずヘッドピンには当たらなかったが。

 今まで出したことのない早いボールがすーっとピンに向かうと。


  カコーン!


 ボウリング特有の気持ちの良いピンを倒す音が、彼女の耳に気持ちよく届いた。


「萌絵さん。いい感じだよ!」

「うっそー!? 萌絵があんな綺麗に投げたの初めて見た!」

「おにいはボウリング教えるの、本当に上手いんですから!」


 見守っているあおい日向ひなた香純かすみの三人がそれぞれに声を上げた、一投目の結果は七本。

 ヘッドピンとすぐ後ろの二番、四番ピンが残る斜め一直線の残り方は、うまくすればスペアが狙える配置だ。


 普段三本も倒せれば御の字だった萌絵にとって、その結果も驚きだったが。

 一番驚いたのは……


  ──すごく、しっくりきた……。


 そう。

 ボウリングで初めて、自然に、気持ちよく投げられたことだった。


 自身の手を信じられないと言わんばかりに見つめながら、ゆっくり振り返り戻ってきた萌絵は、出迎えた諒に。


「私、投げられた……」


 そんな当たり前のことを口にしてしまう。

 それを聞いた彼は、そんな言葉を馬鹿にすることもなく、嬉しそうに頷きだけで応えると。ふっと顔を彼女の耳元に顔を寄せ、もうひとつ、魔法の言葉を囁いた。


「え?」

「難しいかもしれないから、無理しなくてもいいけど。折角だから、ね?」


 驚いて諒を見ると、彼は未だ微笑んでいる。

 それは言葉とは裏腹に。まるで、絶対成功するからと言わんばかりに。


「……うん。やってみる」


 心の中に湧き上がる、諒に応えたいという気持ちを胸に。彼女は戻ってきたボールを手に取ると、投げる腕がスタンスドットの一番中央の点に重なる位置に立った。


  ──あの中央の三角を見たまま。最後もあれに、手を伸ばす……。



 萌絵の視線の先にあるのは、レーンに記されているスパットの一番中央の三角マーク。

 諒が告げたアドバイスは、最後まであの三角マークを見ながら投球し、最後に手を上げるときも真っ直ぐ三角マーク目掛け伸ばす事だった。


 背筋を伸ばし、じっと三角マークを見たまま。

 ゆっくりと。先程の動きをなぞるように、二投目に映った。


 先程と同じく、流れるようなフォーム。

 姿勢がしっかりとした分、多少振り子となる腕の動きは高くなるが、最後の一歩でレーンにつけようとする流れで、窮屈さもなく自然と膝を折り、腰が低くなる。

 そして。めがけたスパットに向けボールを離すと、言われた通り、それにまっすぐ腕を伸ばし、綺麗なフォロースイングで締めた。


 動きに応えるように。先程より更にボールは早くなり。しっかりと中央のスパットを通ったボールは、そのまままっすぐヘッドピンに当たり。


  カコーン!


 またも気持ち良い音を立て、残っていた三本が見事に倒された。


 スコアはスペア。

 だが。これは彼女にとても重要な意味を持つ。


「初めて……スペアが、取れた……」


 ピンが流され。新たなピンが出てくるまで。

 暫し口に手を当て呆然としながら、初めての余韻に浸っていた萌絵だったが。少しずつその実感が高まり、喜びが生まれると、ゆっくりと振り返る。

 瞬間。


「萌絵凄いじゃん! ほら! ハイタッチ!!」


 自分のことのように喜びながら満面の笑みを見せる日向ひなたを筆頭に、皆が拍手と笑顔で彼女を出迎える。

 勿論、彼女に魔法を掛けた本人も。


 それがより心の喜びを大きくし。その表情に浮かんでいた戸惑いは笑みへと変わり。

 小走りに皆の下に戻った萌絵は、日向ひなた達と嬉しそうにハイタッチを交わし、その喜びを分かち合うのだった。

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