第八話:不安な未来より、温かい今

 こうして。香純かすみ日向ひなたは、ずっと諒達二人の様子を伺っていたのだが。


 彼の友達宣言に、メニューを派手に倒したのは、肩透かしを食らった日向ひなた

 慌ててお互いテーブルに張り付くように身体を伏せ、周囲から身を隠して気づかれないようにするのに必死になったものの。あの答えに彼女は相当不満だったようで。


「べっつにさ~、恋人になってから色々知るのだって面白いと思うんだけど。さっきのやり取りなんて、ほとんどカップルじゃん」


 納得いかないと言わんばかりに片足を組み、頬杖を突き。大きなため息を漏らす。

 嘆きを聞きながら、確かにそういう恋愛もあるだろうなと香純かすみも思う。

 だが。


「おにい、ちゃん。昔、告白して失恋してるから、きっと臆病になってるんです」


 きちっと向かい合い座っている彼女は、サングラスを外しテーブルに置くと、そう言って兄を擁護した。

 サングラスをずらし、日向ひなたがちらりと彼女を見る。

 その顔は擁護している割に、何処か元気がない。


  ──あ……。


 日向ひなたはその表情にピンと来ると、自身もサングラスを外しテーブルに置き。


「ごめん! 妹ちゃんいるのに、また青井君が酷いみたいに言っちゃって!」


 今度はまるで神社で柏手かしわでを打つかのように、両手をぱんっと顔の前で合わせると、本気で済まなそうに謝る。

 あまりに大きいリアクションに、香純かすみは目を丸くするも。


海原うなばら先輩って、正直者ですよね」


 そう言って、くすりと笑みを浮かべた。


「あまり気にしないでください。私もちょっと、おにい……ちゃん、ちょっと優柔不断じゃないかなって、思ったんで」


 彼女の言葉を聞き、日向ひなたはすぐに表情を変えると。


「やっぱり? そう思うよね~?」


 まるで強い味方を付けたかのように、一気に前のめりになり。


「は、はい。おにい、ちゃん、らしいですけどね」


 またもその勢いに気圧けおされ、香純かすみは苦笑してしまう。


 と。そんな会話をしていく中。

 ふと日向ひなたは、少しだけ何かを考える素振りをすると、じ~っと彼女を見る。


「あ、あの。何か……顔に付いてますか?」


 先程までとは違う圧を感じ、より困ったような顔をする香純かすみに。


「そういえばさ。さっきから青井君の事、何か呼びづらそうにしてるよね?」

「え?」

「だって普通、って、さらっと言えそうだけど?」

「あ……」


 図星であった。

 彼女は普段、同級生相手でも兄のことは『おにい』と呼んでいる。

 だが、流石に諒のクラスメイトにまでそんな言い方はできないと、必死に言い換えていたのだが。これが本当に慣れないでいた。


「妹ちゃんは普段、どう呼んでるの?」

「えっと……おにい、です……」


 改めて質問され、少し恥ずかしそうにする香純かすみに。


「どうりで。だったらそう呼びなよ」


 さらりと納得した日向ひなたは、うんうんと頷き笑顔を見せた。


「え? でも……兄の同級生の前で、何か自分が兄を敬ってないみたいになるのは……」

「いいのいいの! それだけ仲が良いって事。まったくもう。妹ちゃんはこんな所でもいちいち可愛いんだから」

「いや、その。可愛くは、ないです……」


 色々気を遣う香純かすみを笑い飛ばし、あっけらかんと話す日向ひなたのストレートな物言いは彼女に恥じらいを生み。それを楽しそうに日向ひなたが見つめる。


「そんな事ないって~。妹ちゃんファッションもあたしと同じ『SUNSUN』ファッションでアゲアゲだし、めっちゃ可愛いよ? そういえば妹ちゃんは、彼氏とかいないの?」

「え? あ、その……はい……」

「うっそ~!? ありえないんだけど! この可愛さなら絶対中学デビューでしょ!? あ。もしかして、好きな人いるけど告白できないとか?」

「あ、その、えっと……」


 またも始まる日向ひなたのマシンガントークに、彼女は困り果てその場で縮こまると、答えを隠すようにドリンクバーから取ってきていたオレンジジュースを口にする。


  ──これは、もしかして~?


 ある意味、兄妹きょうだい揃って素直過ぎる反応に、日向ひなたは思わずにんまりすると。


「それだったらさ。MINE交換しよ?」


 突然そんな提案をしてきた。

 あまりの展開にきょとんとする香純かすみに。


「青井君と萌絵の事も気になるけど、折角だし妹ちゃんの恋も叶ったほうがいいじゃん? 百戦錬磨のあたしに掛かれば、きっと香純かすみちゃんもうまくいくって! だから連絡取り合お? ね?」


 嬉しそうに話した日向ひなたは、早速コートのポケットからスマートフォンを取り出し、MINEを弄りだす。

 あまりの展開に、彼女は断る選択も与えられず。結局MINEのIDを交換することになったのだった。


「青井君へのアドバイスから妹ちゃんのファッション相談、そして恋愛相談まで。何時でも受け付けてるからね。あ、勿論こっちからも何かあったらメッセージ送るから!」


 嬉しそうに笑う褐色の少女に。


「あの、その……ありがとう、ございます」


 恐縮するように硬い笑みを返す色白の少女。


 あまりに怒涛の展開ばかりが続く日向ひなたとの時間。

 だが、この時ばかりは香純かすみも、少しだけ彼女に感謝していた。


 兄の事を落ち着いて考えずに済んだのだから。


* * * * *


 そのまま店で少し早い昼食を終えた後、二人は店を出た。


「すいません。お昼までご馳走にまでなっちゃって……」

「いいのいいの! こっちこそ妹ちゃんと話すの超楽しかったし。今度は一緒にカラオケでも行こ?」

「はい。是非」


 未だ慣れはしないものの。少しは日向ひなたのペースを掴み始めた香純かすみは、彼女の誘いの言葉に笑みを浮かべる。


 確かに大変ではあったが、諒と萌絵の話だけじゃなく、ファッションや互いの私生活など。色々な話をしていくにつれ、日向ひなたの明るさが彼女にも元気を与え、楽しいひと時となっていたのも事実。

 だからこそ、彼女の誘いに素直に答えを返せていた。


「それじゃ、まったね~!」


 大きく手を振るご機嫌な日向ひなたに小さく手を振り返した香純かすみは、彼女が背を向けて歩き出したのを見て、自分も振り返り、反対方向に歩き出す。


 独りになり。

 日差しの柔らかい温かさを感じる中、すっと頬を撫でる肌寒い風を感じた時。


 香純かすみはひとつ、ため息を漏らした。

 心が落ち着き、思い出したのは諒と萌絵の事。


 兄は、友達として彼女と接することを決めた。

 それはまだ二人が恋人ではないのだと、改めてほっとできる出来事。


 だが同時に。

 それはこの先、二人が恋人になるのかもしれない。そんな不安な出来事。


  ──おにい、やっぱり優しすぎるよ……。


 とぼとぼと歩く彼女は、唇を噛む。


 妹に優しい兄。

 それは同時に、皆に優しい兄でもあった。


 あそこで萌絵を振ってくれていたら。

 そんな酷い事を考えてしまい、香純かすみは思わず歩みを止め、首を振る。


 そして同時に改めて痛感する。

 兄に対する自身の想いを。


  ──諦めないと、ダメなのかな……。


 思い詰める心を振り払うように、彼女は独り、また歩き出した。

 まるで、心がここにないかのように。彼女は虚ろな目で。ただ、ゆっくりと。


 もう春なのに、寒さばかりが心を吹き抜ける中。

 どこまで歩いたか。


 それは春風のように。

 心をふっと、撫でた。


「あれ? 香純かすみ?」


 突然掛けられた声にはっとすると。

 気づけば彼女は家の側のコンビニ近くまでやってきていた。


 そして。向かい側、家の方からやってきたのは、少し驚いた顔をした諒。


「おにい……」


 香純かすみのぼんやりとした力ない呟きに、諒は少し戸惑いを見せる。


  ──母さんが何処か出かけたって言ってたけど……。


 勿論何処に行ったかなど知らない。

 だが。あまりに元気のない妹に、次第に心配する気持ちを強くする。


「何か、あったのか?」


 素直に尋ねる諒に。


「……おにいってほんと、目ざといんだから」


 彼女はそんな言葉と共に無理矢理笑みを作る。

 と。釣られるように。


分かりやすすぎるだけだよ」


 兄は昨晩のお返しとばかりに、呆れた笑みを返した。

 しかし。その先は、あの時と香純かすみとは異なる。


「そうそう。ちょっとコンビニ行く途中だったんだけどさ。お前も家帰るだけなら、一緒に付き合えよ」

「え? 何で?」

「甘いもんでも食べたら元気出るだろ? たまには奢ってやるよ」


 諒は敢えて彼女の気落ちした理由を尋ねようとはせず、そう言って笑うと。香純かすみの肩をぽんっと叩き、そのまま向きを変え、コンビニの入り口に向け歩き出す。


  ──おにい……。


 香純かすみは、兄がこんな優しさを向けるのを、何度も経験してきた。


 彼は傷ついた妹が自ら話そうとしないなら、その傷に触れようとはしない。

 だが。それでも傷を癒やし、忘れさせようとはする。

 今そこにあるのは、昔から変わらぬそんな優しい兄の姿。


 春風のような優しさが、胸につかえていた鬱々とした気持ちを少しだけ和らげ。哀しみに震えていた心を温かくする。


 好きな人が優しくしてくれる。

 それが。今はただ、嬉しかった。


「ん? どうした? 真っ直ぐ帰りたかったか?」


 付いてくる気配を感じられなかったせいか。

 足を止め振り返った諒に。


「私が付いていかないとコンビニも行けないとか。おにいは本っ当に、寂しがり屋なんだから」


 両手を上げ呆れた顔をした彼女は、ツインテールをなびかせながら小走りに駆け出すと、兄の腕に勢いよく自分の腕を絡ませ抱きつく。


「お、おい!?」


 突然の事に目を丸くする諒に。


「折角だから、気が変わらない内に奢ってもらおっと」


 彼を見上げながら、香純かすみは悪戯っぽく笑った。


「まったく。現金だよなあ」

「あ、そんな事言うんだ?」


 またも呆れるように笑った諒の歩みに合わせ、腕を組んだ二人はゆっくりと歩き出す。


「じゃあ今日は、バーゲンダッツのマカダミアナッツとストロベリーと、それから~」

「ちょ!? 待て待て待て待て! お前どんだけ買い込む気だよ!?」

「あれ? この程度で私が元気になると思ってる?」

「……お前、もう十分元気だろ?」

「何言ってるの? 食べてから元気になるんじゃない。覚悟してよね、おにい!」


 言わなきゃ良かったという顔をする諒に、笑顔でウィンクをする香純かすみ


 普段から仲の良い兄妹きょうだいらしい軽快な会話を交わしながら。二人はそのまま、少し温かくなった陽気の中、コンビニへと去っていった。

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