第七話:壁に耳あり、隣に知り合い

「あの……なんか、ごめん」


 互いに羞恥心にさいなまされる中、先に口を開いたのは諒だった。


「い、幾ら何でも、いきなりこっちまでそうする必要ないよね。ご、ごめんさっきのは忘れて──」

「……です」


 我慢の限界となり、言ったことを取り消そうとしたその時。

 萌絵がぼそりと何かを呟いた気がした。


「え?」


 思わず問い返し彼女を見ると。

 顔を真っ赤にし。

 未だ恥じらいながら。

 もじもじとし。


「あの……呼んで、欲しい……です……」


 上目遣いにそう、囁いた。

 何とか彼を見ていた萌絵だったが、恥ずかしさの限界に達したのか。また視線を落とす。


 彼女の言葉に、諒は胸を撫で下ろす……ことはできなかった。

 この提案をしておいてなんだが。彼は女子の名前を呼び慣れている訳ではないのだ。

 とはいえ。同時に変わらなければならない、という意思は必死に持ち続けていた。

 だからこそ。


「あ、うん。あ、ありがとう。その……も、も……萌絵、さん……」


 緊張感を色濃く出しながらも、何とか彼女の名を呼ぶと。

 瞬間。萌絵は思わず両手で顔を覆った。


「は、恥ずかしい……」


 あっさりとかき消されそうな上擦った声に、結局諒もまた固まってしまい。

 二人は何もできぬまま、またも無駄に時間を過ごしてしまうのだった。


* * * * *


 あれから少しして。

 お互い大きく深呼吸し、少し心を落ち着けた後。萌絵がちらりと店内に掛けられた壁時計を見ると、はっとした。


「あ……。私、もう行そろそろ帰らなきゃ……」

「え?」


 疑問の声を上げる諒に、彼女は申し訳無さそうに頭を下げた。


「今日、急に両親と出かけないと行けなくなっちゃって。お昼までに家に戻らないといけないの……」


 その言葉に彼もスマートフォンで時間を見ると。気づけば時間も十一時を過ぎていた。

 緊張感と恥ずかしさばかりが続き、流石に気疲れしていた諒は、その言葉にほっとする。


「じゃあ、そろそろお開きにしようか」

「あ、待って」


 彼が席を立つ準備をしようとすると、萌絵が慌てて彼を呼び止めると、こう切り出した。


「せ、折角だから、MINEマイン交換しても、いいかな?」


 MINEとは、若者御用達のトークアプリで、メッセージから無料の音声通話まで出来る。

 一応諒もこのアプリをスマートフォンに入れてはいるが。あおい以外は香純かすみを始めとした家族しか登録されていない。


「あ、うん。いいんだけど……」


 承諾しながらも、少し困ったような顔をした諒は。


「フレンドIDの交換の仕方、教えてもらっていい、かな?」


 何とも歯がゆそうな顔で、そんな言葉を口にした。

 意外な一言に、萌絵も少しだけ驚いた顔をしたが、ふっと笑みを浮かべると。


「うん」


 嬉しそうな顔で頷いた。


 その後。萌絵が楽しそうにレクチャーを受けながら、冷や汗を掻きつつ、ぎこちない操作で何とかIDを交換し終えた後。


「じゃ。そろそろ出よっか?」

「うん。今日は、ありがとう」

「それはこっちの台詞だよ。ごめんね、時間取らせちゃって」


 二人は言葉を交わしながら、互いにコートや荷物を手に席を立つ。


「あの……春休み中に、また……逢えないかな?」

「え? あ、うん。どうせ家で暇してるから。も、萌絵さんが、良ければ」


 まったく慣れる様子もなく、緊張しながら名前を呼んだ諒は、恥ずかしさを視線を逸してごまかし。


「わかった。あ、ありがとう。りょ、諒君」


 その脇で、同じく恥じらいながら俯き、不慣れながら名を囁く萌絵。


「い、行こう」

「う、うん」


 互いに視線を交わさず。ゆっくりと席を離れ、レジで支払いを済ませた二人は、そのまま店を出て行った。


* * * * *


 窓の外。

 店の側の道で、諒に小さく手を振った萌絵が振り返ると歩き出し。

 何度か振り返った彼女に軽く手を振り返し、道の角を曲がり、その背中が見えなくなると、大仕事を成し遂げた安堵感にほっと胸を撫で下ろす諒。


 彼もまた踵を返すと店を後にする、そんな姿をガラス越しに見ながら。


「あそこまで恥ずかしがって、めっちゃ甘々な空間作っておいて友達とか。ありえなくない?」


 バリバリポテトフライを手で口に放り込み呆れる少女と。


「何か、すいません……」


 諒の代わりに謝るかのように言葉を返し、恐縮し肩をすくめる少女が、先程まで彼等のいた席の隣で向かい合わせに座っている。


 彼女達二人は、何とも奇妙な格好をしていた。


 まるで合わせたかのように白の可愛らしいコートに、丈が短いグレーのスカート。

 黒いタイツにブーツと、この時期では少し厚着に見える服装。

 顔にも互いにやや大きめのサングラス。

 そして室内なのに、白のハンチング帽を被ったまま。


 姉妹なのか。

 肌の色こそかたや色白、かたや褐色。

 だがその髪の色はどちらも金髪。


 まるで、芸能人のダメ過ぎる変装を模したような、ほぼ丸かぶりした格好の二人。

 そんな彼女達はつい一時間ほど前まで、ただの赤の他人だった。


* * * * *


 話は、諒達が『コックス』に入っていった時間まで遡る。


 店に入った二人の後ろ姿を見届けた色白の一人の少女が、サングラスを少しだけ下にずらす。

 そこから見える少女の顔を諒が見れば、はっきり驚きと戸惑いを示したであろう相手。

 

 そう。

 彼女の名は青井香純かすみ

 彼の妹である。


「ここで、おにいは……」


 緊張に生唾を飲み込んだ彼女は、兄の運命が決まるであろう瞬間に立ち会うのに気後れしそうな気持ちを、両手をぐっと握り込んで抑え込む。


 彼女は、兄の告白の行方が気になって仕方なかった。


 中学で初恋に破れた時、酷く落ち込み、そこから人との距離を置くようになった兄の姿を知っているからこそ。また傷ついてしまわないか心配なのもあったが。


 何より。物心ついた頃からずっと自分を守ってくれた、香純かすみの初恋の相手である大好きな兄に、恋人ができてしまうのかが心配でならなかったのだ。


 兄に恋人ができ、幸せになってくれたら嬉しいと思う気持ちと、心痛めながらも告白を断るのではという、たまれない気持ち。

 そして。

 初恋の相手が、別の人と結ばれてしまうのではという、不安で哀しい気持ち。


 その狭間にあるふわふわと落ち着かない心が、居ても立っても居られず、諒の跡をつけさせていたのだが。


「……よし」


 自身に気合を入れ、いざ踏み出そうとした時。


「ねえねえ?」


 突然背後から、聞き慣れない少女の声がした。


 ぎくりとし、思わず振り返った香純かすみの目に留まったのは、もうひとりの自分……ではないが。まるで鏡を見るかのような格好の、彼女より少し背の高い金髪の少女。


「なんかずっと萌絵達の事見てたみたいけど。もしかして知り合い?」


 先程諒達を見ていた彼女と同様、サングラスを下にずらし、いぶかしむようにじっと視線を向ける金髪で褐色の肌の美少女。

 それは、海原うなばら日向ひなただった。


 彼女は昨日の告白の後。萌絵に「明日は一人で頑張るから」と言われていた。

 しかし。昨日の諒の不穏さしか感じない会話から、その先がどうしても気になってしまい。これまた香純かすみ同様、こっそりと彼女をつけてきたのだが。


 その結果、目の前にいたのが自分と同じ格好で、自分が追った相手をじっと見つめる者がいたのだから、流石に放って置くわけにはいかなかった。

 大事な親友の恋路を邪魔されては、たまったものではないのだから。


 突然顔を近づけられ、二、三歩後ずさりおどおどする香純かすみ

 だが。獲物を逃さないと言わんばかりの鋭い視線を受け、諦めたように俯き、その名を名乗る。


「あ、あの……。私、青井、香純かすみって言います」

「ん? 青井って……もしかして?」

「あ、はい。その、青井諒の妹です……」


 反応に困り、たどたどしく返した矢先。


「うっそ~!? 可愛い~!」


 突然、日向ひなたのテンションがあがり、その顔が太陽のような笑顔に変わると。


「私は海原うなばら日向ひなた。よろしくね!」


 いきなり香純かすみの両手を取った日向ひなたは、お気に入りの芸能人でも見つけたかのように、ぶんぶんと腕を振り、喜びを強く感じる握手してきた。

 あまりの変貌ぶりに、香純かすみは呆気にとられてしまう。


「あ、あ、あの……」


 香純かすみが何とか必死に声を出すと。


「あ、ごめんごめ~ん!」


 日向ひなたは両手を離すと、やり過ぎたかと思わずてへっと舌を出し、ウィンクしつつ可愛らしく謝ってみせた。


「もしかして妹ちゃんも、青井君の事心配になって?」

「え、あ、はい。海原うなばら先輩も、ですか?」

「うん。だって昨日の青井君、何か煮え切らなかったし。萌絵の事傷つけそうでさ?」


 妹を前にしても、諒への本心を隠そうともしない日向ひなたの正直過ぎる言葉と不貞腐れた表情に、思わず香純かすみが少し申し訳なさそうな顔をすると。その変化に気づきはっとした日向ひなたは、慌てて平謝りをした。


「妹ちゃんごめん! 青井君、昨日の萌絵の告白でもすぐに答え返さなかったからさ。ついいらっとしちゃって」

「あ、いえ。その、気にしないでください」


 コロコロと態度を変える彼女に、香純かすみは思わず引きつったような乾いた笑みを浮かべてしまう。


「あ! やばっ!」


 と。日向ひなたがまた何かを思い出したようにはっとすると。


「早くお店入ろ? じゃないと二人の話聞き逃しちゃうしさ!」


 そう言ってサングラスを戻すと、くるりと器用に香純かすみの身体を反転させ、力強く背中を押した。


「え!? う、海原うなばら先輩!?」

「ほらほら急いで! 中で話す時はこっそりだからね!」


 まるで盾にされるかのように押し込まれ、抵抗も出来ず戸惑いながら。慌ててサングラスを直した香純かすみは、意図せずそのまま二人で店に入ることになったのだった。

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