第20話 Fly to the moonⅠ
「え? イベント企画部の応援ですか?」
課長の落合に呼び出された美智子が大きな声で聞き返す。
「そう。今度の日曜日にある婚活イベントのヘルプに入って欲しいって話だ」
落合が薄くなった髪を撫でつけながら言う。
「なんでまた急に」
美智子が顔しかめながらそう言うが、落合はデスクに座って書類に目を落とすばかりで美智子と目線を合わせようともしない。
「今月に入って二人。イベント企画部の人間が出産休暇を取ることになったらしくてね。人手が足らないみたいなんだよ」
「だからってなんで私なんですか? イベント関係なら早苗のほうが人当りもいいし適任だと思いますが」
「あぁ、まぁ、そういう見方もあるね。でも彼女には別の仕事をお願いしているから。ちゃんと振り替え休日も取らせてやるから、今回は頼まれてくれないか」
一向に目を合わせようとしない落合に対して美智子は内心いらだちを覚えたが、しぶしぶといった形でそれを受け入れた。
――日曜日。
美智子はホテルの宴会場の前にいた。
目の前のテーブルには白紙の名札のようなものが並べられており、美智子の手元には参加者の一覧が記載されたリストがあった。
「じゃあ、松島さん。もう少ししたら参加者がここに来ると思うから、リストで名前を確認した後、ネームプレートを手渡してあげてちょうだいね」
横からそう声を掛けてきたのはイベント企画部の
社内でもベテランの域に入る年配の女性で、ふくよかな体系をしており、しかしそのせいか年の割には肌のハリがある人当りのよさそうな人物である。
「悪いわねぇ、急に出てもらうことになって」
相沢が申し訳なさそうに言う。その言葉には一切裏がなさそうに思えた。この相沢という人間は、良くも悪くも「お人好しのおばさん」といった感じの人なのだ。
「いえ。代わりに今度平日に休みを貰えたので映画でも観に行こうと思ってます」
美智子が笑顔でそう返すと、相沢もその顔をくしゃっと潰すように笑った。
「そう言ってもらえるとこっちも助かるわ。松島さんはセックス保険の顧客対応課だったわよね? 大変な仕事でしょう?」
「いえ、もう慣れましたから」
「そう? 私も昔は外交員として働いてたから良く分かるんだけど、ほんとに色んなお客さんがいるからねぇ」
過去の出来事を思い出したのか、相沢はアゴに手をやってため息をついた。
「私らのときはまだ医療保険とか死亡保険とか、そんなんばっかりだったでしょ? セックス保険なんて絶対に相手がいるもんだからねぇ。顧客対応課は良くやってると思うわよ、ほんとに」
「ふふふ。そう言って頂けるとこれからも頑張れそうな気がします」
「うん。大変だろうけどこれからも頑張ってね」
相沢が美智子に向けて両手で小さくガッツポーツを作る。その所作だけを見ていると可愛らしい中学生のようにも見え、美智子も思わず笑顔になる。
そんな二人の前に一人の女性が近付いてきた。
メガネを掛け、リクルートスーツのような服を着た女性だ。
「……あの、受付ってここでいいですか?」
女性の手には会社から郵送していた案内状が握られていた。
「あ、はい! こちらで大丈夫ですよ。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
美智子が尋ねると、目の前の女性が恐る恐るといった様子で名前を告げた。
美智子はリストにチェックをしてから、女性にネームプレートを手渡す。緊張しているのか、女性の手は微かに震えているように見えた。
「中に入って頂きますと控室がございますので、そちらでプロフィールカードとそちらのネームプレートの記入をお願い致します。中にも係の者がおりますので、ご不明な点がございましたら遠慮なくお聞き下さい」
美智子が手で中に入るよう誘導すると、女性は黙ってそれに従い会場内へと入っていった。
「さぁ、ここから忙しくなるわよぉ」
女性が入っていくのを確認してから、相沢がなぜか楽しそうに呟いた。
その後は相沢の言った通り、参加者が続々と受付に現れたので、美智子は休む間もなく案内を続けた。
そうして受付の時間が過ぎた頃、会場内から陽気なBGMが流れてきた。
「そろそろ始まるわね。今のところ来てないのはお一人だけか。じゃあ、松島さん、私は先に入っておくからあと十五分くらいしたらここの片づけお願い出来るかしら?」
相沢がテーブルの下に置いてあるダンボール箱を指さした。
「はい。わかりました」
「で、遅刻した人がいたらそのまま中に通してあげて。片づけが終わったら松島さんも中に入ってきてちょうだい。マッチングパーティーなんて見るの初めてでしょ?」
「ええ。初めてです」
「じゃあいい経験にもなるわよ。アナタの今後の仕事にも参考になるかもしれないわね」
そう言うと相沢は目配せをして会場内に入っていった。
残された美智子も、そろそろ片づけを始めようかと思ったその時だった。
ドタドタと美智子のほうに駆けてくる音がしたので顔を上げると一人の男性が急ぎ足で近づいて来ていた。
「あの、ハァハァ、すいません、まだ大丈夫ですか?」
額には薄っすら汗が滲み、息を切らしながら男性が言う。
体格は細身で、お世辞にも高級とは言えないようなよれたスーツに身を包んだ男性は、走って来たせいかせっかくセットしたであろう髪も乱れていた。
「はい。大丈夫ですよ。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
美智子が笑顔で答えると、男性は安堵したような表情で名前を告げた。
「タカクラハジメです」
「タカクラ、ハジメ様ですね」
美智子がリストに目を落として名前にチェックをするが、一瞬、その名前に引っかかりを覚える。
――
「あのー?」
動きが止まった美智子を怪訝な表情で見つめる男性に対し、美智子は慌てて言葉を続ける。
「あ、申し訳ございません。それではこちらのネームプレートと、中でプロフィールカードにご記入をお願い致します」
そう言って美智子が名札を渡すと、男性は早足で会場へと入って行った。
中から「タカクラさん! 待ってたわよ! 急いで急いで!」という相沢の声が聞こえてきた。
「……タカクラ、ハジメ」
美智子はリストをもう一度見て、確信した。
受付を片付けた後、中に入った美智子は会場内を見渡す。
そこでは、まるでイス取りゲームさながら円形に並べられたイスに参加者が座っていた。
イスは二重の円を描いており、内側の円に女性が、外側の円には男性が座って互いのプロフィールカードを見ながら会話をしていた。
このマッチングパーティーは月光生命が運営しているマッチングサービスの会員のみが参加できるもので、そのマッチングサービスの運営部署が相沢の所属する「イベント企画部」というわけだ。
「松島さん、こっちこっち」
呼びかけられたほうを見ると、相沢が手招きしていた。
「スケジュール表、もう一度確認しておいてね。今はここ。最初の【自己紹介タイム】ね。このあとフリータイムに入るから参加者は隣の会場に移動するわ。で、フリータイムが私たちの腕の見せ所。なかなか話しかけられない参加者を見つけたらさりげなく話しかけて上手に会話に参加させてあげてちょうだい」
そう言って相沢が肩をポンポンと叩いてくる。
「えぇ……。そんなこと私に出来るでしょうか?」
「出来る出来ないじゃない。……やるのよ」
その瞬間、相沢の目がぎらりと光ったような気がして、美智子は少しだけ身震いをした。
「分かりました。やってみます」
美智子の返答に、相沢が笑顔で頷いた。
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