第15話 ワークマン・リレー

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」


「あー、ちょっとな。聞きたいことがあるんだけど」

 聞こえてきた声はしわがれていて、かなり年齢の高い人物のように思えた。


「はい、どのようなことでしょうか?」

 美智子は優しい声色で聞き返す。


「あのー、セックス保険のな、なんだ、契約満了の通知が届いてな」

 電話口の老人は手に持った書類を見ながらなのか、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。


「契約満了ですね。おめでとうございます。今後もご契約は継続されるご予定はございますか?」

 美智子がそう問いかけると先方の老人がカッカッカと喉を鳴らして笑った。


「いやいや、おれみたいなお爺ちゃんにはもう必要なかろうて。とりあえず満了の祝い金だけもらいたいんだが」


 嫌味の無い老人の明るい声に、美智子も思わず笑みをこぼす。


「はい。それではお名前と生年月日をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「はいはい。名前がハラダ、コウジね。原っぱに田んぼ、幸せに治めるで幸治ね。で、誕生日が昭和二十七年、三月八日ね」


 ――原田幸治。現在六十八歳か。


「はい。原田様ですね。それでは近々こちらの担当が手続きのご説明に参りますのでそれまでお待ち頂ければと思います」

「あー、はいはい。わざわざありがとね。そんじゃ、お願いしますね」


 電話が切れると、美智子は原田の顧客情報に【契約満了の手続き説明にて訪問希望】と入力してから、上書き保存をした。


 ******


 後日、原田の家を訪れた三上みかみはちゃぶ台の上に書類を広げ原田に手続きの方法を説明している。

 原田の家は東京の郊外にある昔ながらの一軒家だった。八畳ほどの和室の居間の中心にちゃぶ台が置かれており、ふすまの向こうにはこじんまりとした中庭と縁側があった。


 説明も一通り終わったところで「茶でも飲んでいかんか」と原田に誘われ、三上は笑顔でそれを快諾した。


 原田に勧められ、三上が縁側に座って待っていると原田が湯飲みと羊羹ようかんを盆に乗せて運んできた。動きこそ早くはなかったが、原田は年の割にはしっかりとした足取りで盆を三上の隣に置き、自身もそのまま縁側に腰掛けた。


 季節は夏から秋に移り変わるちょうど境目で、日当たりのいい縁側に座っていると強い日差しでじわっと汗がにじみ出てくるが、時折吹いてくる風は冷たく、爽やかに肌を撫でてくるとても気持ちのいい気候であった。


 原田から湯飲みを受け取った三上はまだ湯気の立つそれに息を吹きかけ、火傷に気を付けながらゆっくりと口をつけた。その様子を目を細めて眺めていた原田も、同じように湯飲みを傾け中庭に目を移した。


「いま、こちらにはお一人でお住まいなんですか?」

 静寂を断ち切るように、何気なく三上が原田に声をかけた。


「あぁ、そうだよ。嫁さんはもう十年も前に亡くなってね。ガンだったよ。娘も嫁に行ってたまにしか帰ってこないからな」

「そうですか」


 三上も中庭を眺めながら、ずずずとお茶を啜る。


「へへ。だからこうやって誰かと話するのは楽しいんだよ。すまんね。無理に引き止めちゃったみたいで」

「いえいえ、今日はもう会社に戻るだけですから」


 三上はもともと下がり気味の眉をさらに下げながら笑顔で応える。


「そうかい。へへ。そいでも、アンタも大変な仕事だな。こうやって客んとこ行ってよ。……仕事は楽しいかい?」

 原田の問いかけに、三上はお茶を一口飲んでから、「ええ、まぁ」と答えた。その返答には少しの躊躇ためらいが感じられた。


 実際、三上は最近少しだけ仕事の疲れを感じていた。調査員の仕事は心を擦り減らすような内容が多い。対面で顧客や相手方と話をするのは想像以上のストレスが蓄積される。


 そんな中での原田の問いかけに、三上は無意識のうちに先ほどのような返事をしてしまっていた。


「まぁな、嫌なこともあるだろうよ。おれもな、引退するまでは仕事一筋で生きてきてな、嫁さんには苦労かけたと思うよ。でもよ、おれらんときは頑張れば頑張っただけ結果が出る時代だったんだ。その点、アンタらみたいな若い子たちは可哀想だと思うよ。頑張れば結果が出る時代でもないもんな」


 そう言って原田は切り分けられた羊羹を一つつまむと、ぽいっと口の中に放り込んだ。


「はは。まぁ、そうかもしれませんね」

 三上も原田に差し出された羊羹を会釈をしてから一つ掴む。


「それにしても、セックスの免許だなんてよ。おれらが若い頃には想像も出来なかったよこんなもん」

「そうですよね」

「しかもよ、車の免許みたいに返納出来るならまだしも、セックスの免許は特に返さなくていいんだとよ。おかしくねぇか? なんだかよ。いくつになっても国に管理されてるような気分でよ。おれは気持ちが悪いよ」


 原田が顔をしかめながら虫を払うように手を振る。


「さすがにこの年になって、もう使うことはねぇだろうけどよ。いや、まぁ、いくつになっても現役のやつもいるだろうけどよ。おれからしてみりゃほっといてくれって感じだよ。自由に愛し合えないなんてよ。この国はいつからこんな風になっちまったんだよ」

「そうですねぇ」


 原田の言葉に、三上が当たり障りのない相槌を打つ。


「だから、今回は良い区切りになったよ。保険のよ。契約が終わって、なんだかすっきりした気分だよ。もう気にしなくてよくなったんだ。あんちゃんには悪いけどな。ほんとは契約してやればあんちゃんの成績になるんだろ?」

「えぇ。でも、お客様のご希望が第一ですから」

「優しい男だな、あんちゃん。そんなんで営業できるのか? ……いや、これ以上はやめとこう。説教するために茶に誘ったわけじゃねえんだからよ」


 そう言って原田が白髪頭をぽりぽりと掻いた。三上はそんな原田をみて少し微笑む。


「優しくなんかないですよ。仕事を円滑に進めるために、嘘……ではないですが、上手に話を持っていくことだってあります」


 三上は少しだけ俯いて、ぼんやりと自身の持つ湯飲みに焦点を当てる。


「そんなもんは仕方ねえよ。仕事なんだからよ。でも、そういうこと考えてるあんちゃんはやっぱり優しいよ」

「……ありがとうございます」


 原田の言葉に、三上は俯いたままの状態で少し笑みを零し、お礼を言った。


「なんでもな、一生懸命やることだよ、あんちゃん。手ぇ抜いてたら絶対バレるぞ。誰かにじゃない、自分にだ。どんどん自分が嫌いになっていくからよ。後悔することだってなんべんもあるわ。でもな、あんちゃん。一生懸命やるんだよ。どんな仕事でもよ。金のための仕事じゃなくてよ。人生をよ、生きるための仕事だよ」

 原田も自身の人生に重ね合わせて思うことがあるのか、徐々にその口調が熱を帯びてきた。熱く、まっすぐな言葉に当てられて、三上も心のどこかで微かに火が灯ったように感じていた。

「一生懸命、……生きるための仕事を」


 三上は無意識のうちに、握りしめた自身の拳を見つめていた。

 あの頃、ボロボロになるまで打ち込んだその拳を。


「ありがとうございます。……一生懸命、どこか忘れていた言葉かもしれません」

「礼なんかいらねぇよ。こんな爺さんの話に付き合ってくれてよ。こっちが礼を言うほうだ」


 原田は照れ臭そうに手を振って笑顔を作った。


「それじゃあ、すいません、そろそろ」

 三上は断りを入れてから頭を下げ、腰を上げた。


「おお、ありがとな。ほんで、書類頼むな」

 原田の言葉に三上は頷き、カバンを手に取った。


「また何かございましたらご連絡させて頂きますね。何もなければ、来月には原田様の口座にお振込みさせて頂きますので」

 玄関で靴を履いた三上が去り際に振り返りそう告げる。


「話相手が出来るなら、何かあったほうが嬉しいかもな」

 原田のその言葉に、三上はふっと笑みをこぼしお辞儀をしてから玄関の扉を開けた。


 原田の家を出た三上は立ち止まって空を見上げる。沈みかけた太陽が空にオレンジと紺色のグラデーションを作っていた。


 三上は持っていたカバンを地面に置いてからファイテイングポーズをとり、しゅっしゅとその場で二回ほど、シャドーボクシングを行った。

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