こちら月光生命セックス保険コールセンターです。

飛鳥休暇

第1話 セックス保険コールセンター

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」


 松島まつしま美智子みちこは、いままで何度言ったか分からない定型句を口にする。

 この言葉だけなら、気を失っていてもひとりでに口から出てくるだろう。


「あのー、実は、先日セックスをした女性から訴えると言われまして……」


 若い男性の声がヘッドホンから聞こえてくる。

 憔悴しているのか、かすれて、小さな声だ。


「はい、それではまずは、お客様のお名前と生年月日をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「……ササキです。ササキアキラ。平成十年六月十四日」

「……はい。ササキアキラ様ですね。相手方の訴えとはどういったものでしょう?」

「あのー、こちらとしては同意の上だったと思ってたんですけど、強要されたって言われて……」


 ――ベーシックなセックス同意アンマッチ案件か。


 美智子はササキの話を聞きながらパソコンに入力していく。


「それでは、事故が起きた日時や状況などを詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」


  *******


 向こうの電話が切れたのを確認し、美智子はヘッドホンを外し息を吐いた。


「みっちゃん、お疲れ。お昼休憩いこ?」


 後ろから肩を叩かれ振り返ると、ショートボブを栗色に染めた女性――同僚の早苗さなえが笑顔を見せていた。


「早苗、お疲れぇ。今日は何にしよっか?」と言いながら、美智子はデスクについている【離席】のボタンを押した。 

 

 ――セックス免許制


 二〇二〇年現在、この法律が制定されてから、すでに十五年の時が経っていた。

 高まる少子高齢化の問題や、性差別の問題、性犯罪・ハラスメントへの対策として打ち出されたこの政策に、世論は真っ二つに分かれた。

 しかし、当時の与党の強行採決により可決されたこの法案により、十八歳以上の成人は性交するにあたり、必ずこの免許を取得しなければならないということになった。

 もし免許をもたずに性交した場合などは「無免許セックス」ということで厳しく罰せられることとなる。

 そして、免許制になったことで新たな問題・訴訟沙汰が起こるようになり、そこに目を付けた保険会社がこぞって打ち出したのがこの「セックス保険」だ。


「んで、さっきのは?」


 いきつけのカフェで早苗がサーモンと野菜をたっぷり挟んだベーグルをかじりながら美智子に問いかける。


「んー? 普通の合意アンマッチだったよ」


 美智子はトマトがごろごろと入ったスープを啜りながら答えた。


「なるほど。じゃあ、午後からは先方の保険会社への連絡か」


 早苗は口についたクリームを拭うためのナプキンを手に取る。


「あーあ、私、いつまでこんなことしてるのかなぁ」


 美智子は手に持ったスプーンをぷらぷらと遊ばせながらため息をついた。


「なぁに? みっちゃん。悩み事? まさか辞めるつもりじゃないでしょうね?」


「辞めはしないけど、なんかねー。この仕事に就いてもう三年目だけど、毎日まいにちセックス、セックス。うら若き乙女がこんなことでいいのかなーって」


「あはは。なによ、箱入り娘じゃあるまいし。それにうちの部署、お給料だけはいいでしょ? 他のOLはこんなに貰ってないよ?」

 と早苗が買ったばかりのブランド物のサイフをわざとらしく見せつけてくる。


「わかってるって。ちょっと愚痴っただけ」

 美智子はそう言うとごまかすように伸びをしてから、食器を乗せたトレイを持って席を立った。



 セックス保険はその性質上、かなり秘匿性の高い個人情報を扱うこととなる。なので、美智子たちの働く部署は対外的には「コールセンター」と名乗ってはいるが、実際は「顧客対応課」というセクションであり、そこで働くもの全員が保険会社の正社員である。

 なので実際は電話の応対業務のみならず、情報の管理・入力作業、報告書の作成等々、通常の会社員と同じような業務も美智子たちは行っているのだ。


  *******


「はい、ですので、ササキ様が同意書を取らなかった落ち度はあるかと思いますが、マツイ様がササキ様のご自宅に一人で訪れられたのは事実ですし、さらに、その、ササキ様がおっしゃるには、マツイ様はかなり性欲を煽るような下着を着ていらっしゃったと――」


 先方の保険会社の担当と話しながら、美智子は分が悪いと感じていた。

 実際、同意書にサインがないままのセックスは、違法だ。

 かと言って逮捕されたり拘留されたりするようなものではなく、軽い罰金刑ですまされる。

 厄介なのは、今回のように相手から訴えられるケースだ。

 その場合、訴えられたほうがなにもしなければ、多額の賠償金を請求されることとなる。

 しかし、同意書とはその名の通り「お互いが同意の上」という証明だ。

 なので、同意書がないセックスが行われた場合、――明らかな事件性がない限りは――一方がすべて悪くなるケースはほとんどなく、その行為の主たる原因がどちらかを精査したうえで、賠償の有無やその金額が決定される。


 そして、美智子たちの仕事は契約者の代わりに先方と連絡を取り、円満な解決、もしくは賠償額の軽減を交渉するといったものだ。


 ――だけど。


 美智子はパソコンに表示されているカルテ――【顧客情報及び案件記載書】――を確認し、心の中でため息をつく。

 このササキという男、端的に言えば「女の子をナンパして家に連れ込み酒を飲ませてコトに及んだ」とのこと。

 こういったケースでは誘った側の賠償額が多めに請求されることがほとんどだ。

 なので、美智子に出来ることはここからどれだけ減額出来るかの交渉。それこそが美智子たちセックス保険担当の腕の見せ所だ。


「……はい、はい。それでは今一度お互いの主張を確認しまして、……はい。ありがとうございます」


 電話を切ってから、今度はしっかりとしたため息を吐いた美智子の耳に、新たなコール音が鳴り響く。

 美智子は両手をぐっと握り、気合を入れなおす。


 ――さぁて、お次はどんなセックスでしょうか?


「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」

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