第52話 魔女の部屋



『王の間』の扉はごくごく当たり前の鍵で開いた。


「どうということはないだろう?」


 気楽そうなユリウス王子の言葉通り、特に変哲の無い部屋だった。

 思っていたよりも狭く、続き部屋ですらない。ほぼ真四角な部屋にベッドとサイドテーブル、机と椅子と小さな棚、それだけが配置されている。もちろんそれぞれ年代物で立派な造りだけど、装飾はほとんどなく、質素なイメージだ。


「僕は王太子だから、ここを使ったことは無い。でも、父上は月に一度か二度、この部屋で過ごしていた」


 言いながら、まっすぐ進んで奥の壁から少し離れたところに配置された棚の前で止まる。


「ここの換気と掃除が、王の一番大事な仕事だと教えられている」


掃除? 

王様が?

同じことを思ったらしいアーサー様が、疑問を口にした。


「掃除、ですか?」

「そう。部外者は入れない、入らないというのが建前だからね。王がやるしかない」


 棚の上には香炉がひとつ置いてあった。


「換気をして、掃除をして、ここに香を焚く。祭りや建国の記念日には花を飾ることもある」

「まるでお墓参りみたいですね」


 アリス様が呟いた。

 横を見ると、アリス様は棚の向こうの壁をまっすぐに見据えている。


「そうだね。代々の王の墓所を訪れる時と同じだ」


 優しい声でそう応えてから、ユリウス王子は隣のアルバート王子の顔を見た。


「さて、アルバート、出番だよ」

「は?」

「この先に魔女の部屋があるというなら、隠し通路があるはずだ。お前の得意分野だろう?」

「……まあな」


 アルバート王子はバツが悪そうに頷く。

 なるほど? しょっちゅう城を抜け出しているみたいだし、いくらなんでも警備が緩すぎじゃ無いかと心配していたけど、隠し通路があってそこを通っていたなら納得だ。


「おい、赤毛」

「えっ」

「え、じゃない。そのへんの床を調べて繋ぎの甘そうなところを探せ」

「は!」


 このメンツを見ればそれは一番下っ端の、俺の仕事だ。

 部屋の床には表面を磨いた石材の薄い板が敷き詰められている。俺は棚の向こうの壁際、部屋の隅に行くと四つん這いになった。部屋は広いけど、結局ひとつひとつ見ていくのが早道なのだ。


「ふん、心がけは悪くない」

「そうでしょう? 自慢の護衛ですから」


 アリス様と軽口を叩いてから、アルバート王子は奥の壁を調べはじめた。コツコツ叩いているのは音の反響をきいているのだろう。とにかくはやく進めたくて、俺は床に集中することにした。仕方ないこととはいえ、王太子やアリス様、副隊長を待たせているこの時間がいたたまれない!




「二カ所か」


 それほど時間はかからなかった。気になった板材は部屋の真ん中あたりと、入り口近く。ちょっと見ただけではわからないけど、わずかに緩い気がする。


「じゃ、赤毛は入り口のほうに乗れ。アーサー、お前はこっちだ」


 迷いない指示通り同時に石材に乗ると、カチっと感触が足の裏に伝わった。アルバート王子が棚の向こうの壁をとんとんとノックしながら歩き、端っこで足を止める。


「ここだ」


 トン、と壁を叩くと、壁が切り取られたようにパタリと開いた。


「開いたぞ」


 後ろを振り向いて、子供みたいに笑う。

 いや、でもこんな仕掛けをあっさり見抜くなんてすごい特技だ。


「驚きましたわ、アルバート殿下」


 アリス様が手放しで褒めると、アルバート王子はまんざらでもないらしく得意げに胸を反らした。


「まあな。城にある抜け道の仕掛けはどれも似たような作りだし」

「そうだね。アルバートは昔からこういうのを見つけては、城を抜け出していたから」


 皮肉にもとれそうな台詞を全く嫌味無く放って、ユリウス王子は隠し扉の向こうを覗き込んだ。


「おい、気をつけろよ、ユリウス」

「大丈夫だよ。とにかく扉が閉まらないように固定して、中に入ってみようか」

「あ、ではこの棚で押さえましょうか?」


 言いながらアリス様が棚にひょいと手をかけた。

 待て待て待て、最適な提案だけど貴族のお嬢様の仕事じゃないんだよなあ。ま、アリス様ならあのくらいの棚は持ち上げるかもしれない……いや、形状的にちょっと難しいか?

 とはいえ、仕掛けの床から降りていいのかわからずまごまごしていると、アーサー様がさっさとアリス様に近づいて止めに入った。


「アリス、俺が運ぶから下がっていろ。ノエル!」

「は。はい!」


 床の仕掛けを離れても大丈夫とわかったので、俺とアーサー様で小さな棚を運んで隠し扉を閉じないように。中に入ったはいいけど扉が閉まって全員閉じ込められました、なーんて目も当てられないもんな。まあ、魔女とやらがとんでもない力を持っていたら何をやっても危険に違いないけど、何度か目にしたあの亡霊にそれほどの力があるなんてどうしても思えない。


「では、まずは俺とノエルが入って様子を見ます。殿下とアリスはそのあとに」


 そう言い置くと、アーサー様は燭台を手にあっさりと隠し扉をくぐった。通路が狭いので、俺はアーサー様のすぐ後ろに続く。ほんのすこしかび臭い、湿った空気。数歩進んで燭台で照らすと、どうやらさっきの王の間と同じくらいの広さだ。


「アーサー様、あれ」

「ああ」


 中央に、何かが置いてある。大きなテーブルかと思ったけど、数歩近づいてすぐに違うとわかった。


「寝台ですね」

「……」


 天蓋付で大きなサイズ、3人くらいは転がれそうな豪華なやつだ。けど、燭台の明かりだけでもところどころ幕が破れているのがわかる。年代物というか、かなり古いものだというのは間違い無い。


「おい、何かあったか?」


 待ちきれなくなったのだろう、アルバート王子の声が少し近くなった。振り向くと、アルバート王子とユリウス王子がアリス様をかばうようにして部屋に入ってくる。振り向いたアーサー様が一瞬諦めたような表情を浮かべた。


「あまりこちらに近づかれませんよう。何が起こるか予測できません」

「ずっと待っていても仕方ないだろ」


 押し問答の間、俺のすべきことは警戒だ。対象がはっきりしないから、今はとにかく寝台を警戒しておくしかない。一歩近づくと、天幕の隙間からようやく寝台の中が見える角度になった。


「……、」


 ようやく気付く。

 寝台は空じゃない。何かが横たわっている……ように見える。

 目を凝らすと、また一歩、また一歩と足が勝手に近づいた。

 嫌だ、いやだ、だけど、間違い無い。


「ノエル、どうかしたの?」


 背後からアリス様の声が聞こえて、ようやくはっと我に返った。

 駄目だ。王子もアリス様も、あれに近づいてはいけない。


「ダメだ、」


 朽ちた天蓋付きの寝台に横たわっているのは確かに人の形をしていた。白い頬、閉じた瞼、飾りのように散った黒い髪。ここから見る限り、少女が眠っているように見える。


 けれど、そんなわけないんだ。

 狩りに出かけるとたまに尖った枝にトカゲやカエルが刺さっている、あれを思い出した。誰がなんの目的でやったのか。否、あれは人の仕業ではない。獣や鳥が獲物をあとで食べるためとっておくのだと、教えてくれたのはじいさんだった。ひからびた、命だったもの。あれと同じ。


「近づいちゃ、いけない」


 言葉とは裏腹に、引き寄せられてしまう。

 ここは森ではない、魔女の部屋だ。魔女の部屋だというのなら、寝台に眠っているのは魔女ということになる。


「ノエル?」

「アリス様……来ちゃダメだ!」


 理屈じゃなかった。だけど、理解した。

 あれに近づいたら、あれが目を覚ましたら、もう元通りにはならない。

 確信と同等の予感で、足がすくんだ。



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