第51話 代わる
「……エル、ノエル」
「ん」
はっと気付くと、目の前に心配そうなアリスの顔。やっぱり今日も可愛いな……いや、そうじゃなくて! あれ、俺、もしかして寝てたのか? むしろ気絶? ここんとこ全然眠れてなかったから……って言い訳にもならない!
「すっ、すみません!」
「急に動かなくなるから心配しちゃった。大丈夫?」
「平気です! ていうか俺、寝ていました?」
ここ数日あまりといえばあまりの急展開だったとはいえ、騎士たるもの、護衛についているお嬢様の傍で寝るとかありえない失態だ。アホすぎる。油断が過ぎる。オーウェン伯爵家、というかアリスお嬢様の大らかさ俺は甘えている。
「一瞬ぼんやりしていただけよ、疲れているのね」
ほら、咎めもせずそう言って笑ってくれるからさ。
けど、ほんの少しぎこちないのは、アリス様だって緊張しているのかもしれない。
なんだか妙に胸が騒いだ。自分で言うのもなんだけど、こういう時のカンが外れたことはないから困る。アリス様はいつだって前向きで明るくてタフだ。悔しいことに剣の腕前だって俺より上かもしれない。
だけど、だからこそ少し目を離したら勝手に突っ走っていきそうな危なっかしさがある。しっかりしろよ、俺。
「すみません……もう平気です。俺、ちゃんとアリス様を守りますから」
「ええ、頼りにしているわ」
「だから、いつかみたいに無茶はしないでくださいよ」
舞踏会を思い出して、またひやっといやな感じがした。
目の前のお嬢様は、家族のためなら自分の身を危険に晒すことだって躊躇はない。
「大丈夫、今夜は危ないことなんてないわ」
「……」
「アーサー兄様も宮廷魔導士のおじいさんも、王子様たちも協力してくれるのですもの」
アリス様は暗い窓の外を見てからにっこり笑った。
「ほら、もうお城よ」
つられて外を見ると、ちょうど城門をくぐるところだ。普段ならたいてい御者として前を見渡せるのに、今は窓で切り取られた景色が少し不安になる。建国の勇者といにしえの魔女の話なんて、ずっと遠い昔のことで、ばあちゃんが寝る前に聞かせてくれたおとぎ話だ。
悪い魔女を倒して、正しい国を作った英雄の話。
それがさ、勇者の子孫は王家で魔女の子孫が伯爵家の兄弟なんて、すぐに信じられるわけがないだろ。いや、本当にそれ本当なのか? 俺、騙されてないか?
「ね、ノエルはどう思ったか、教えてくれる?」
「え?」
「魔女と勇者の話」
心を見透かすような青い瞳。
遮りたくて目を閉じた一瞬、空に溶ける青い小鳥のイメージが鮮明に浮かんだ。
なんだこれ、いつの記憶だっけ?
よく知っているような気もするし、まったく知らない景色かもしれない。
「やっぱり具合でも悪い?」
「……いえ」
取り繕ってもしかたないので、目を開けた。こういうときは素直に応えるしかない。
「俺、まだじいさんの話を全部信じてるわけじゃないですけど」
「そうねえ、すぐに飲み込める話ではないもの」
「でも、あれがホントだとしたら、悪いのは魔女じゃないと思います」
「……」
アリス様はじっと俺を見詰めてから、ひとつ息を吐いた。
「よかった」
「よかった?」
よくわからない。けど、何か胸がざわざわする。
「あなたがいてくれて、本当によかったわ」
まるで最後みたいだ、と感じた。
別れの台詞みたいに聞こえて、だから胸が騒いで、止めようとした――、止めようとした?
「この話、さっきしませんでしたか?」
「え、何の話?」
“あなたがいてくれてよかった”
そう、その次は――、
「――“お兄様たちのこと、よろしくね”って」
確かにそんな話をしていた気がする。
けれどアリス様はきょとんとした顔で首を傾げた。誤魔化しているようには見えない。それでも聞き覚えがあるってことは、未来の俺に、俺たちに何かあったのかもしれないなと気付いて心臓がきゅっとなる。
「そんなこと言ったかしら? でも、言ったとしたら撤回します」
「撤回ですか?」
頼られたら頼られたで不安だけど、撤回されるのはちょっと寂しい。そんなふうに考えたのが顔に出たのか、アリス様はゆるゆると首を振る。
「勘違いしないで。ノエルが頼りないからとかじゃないの」
励ますようにそう言うと、遠くを見る瞳がひとつ瞬いた。
「そんな重いお願いを軽率にするべきじゃないなって――、それこそ、“呪い”になってしまうでしょ?」
城に着くと、通用口で待っていた侍従らしい老人がアリス様と俺を先導してくれた。誰もいない細い廊下を歩き、番人に守られたいくつかのドアを通過して居住区へと進む。公務が行われる外廷から王族の住む内廷に入ると廊下は広くなり、壁と床の色合いが少しだけ暖かくなったような気がした。
「来たな」
部屋に到着すると、アルバート王子がにこりともせずに出迎えてくれた。ちょっと尊大で大雑把なところはあるけど、気取らない方なので最近は慣れてきてる。けど、それよりも、だ。
「やあ、よく来たね」
と、部屋の奥から王太子が現れたので、思わず背筋が伸びた。アルバート王子には免疫ができたけど、ユリウス王子はまだまだ100倍くらい遠い。なにせ王太子だし。次期国王だし。うわ、やっぱ緊張する。
「ユリウス王子」
と、隣でアリス様が優雅に礼をとったので、俺も一歩下がってどうにか騎士らしく敬礼した。
「おいでになるとは知らず、失礼いたしました」
「ああ、畏まらなくていい。今日はアーサーに無理を言って仲間に入れてもらったのだから」
押さえた声で、でも高揚を隠して切れていない。ユリウス王子は大人っぽいイメージだったから意外だ。
「おおよその話はアルバートから聞いたよ。なかなか面白い物語だが、クラティア王国の王太子としては看過できない」
そりゃ、建国の勇者はすなわち王家の先祖にあたるんだから気になって当然ですよね。だけど、傍らのアーサー様は諦めたように唇をへの字に結んでいる。
「危険かもしれないからって、俺もアーサーも止めたんだけどさ」
アルバート王子は呆れたように、王太子をちらりと見た。
「けど、魔女の部屋はおそらく王の部屋の奥にある。あそこに入る鍵が必要だ。でもって、父上が静養中な今、鍵は兄上が持っている。人質に取られたらこっちが折れるしかないだろ」
「人質とは、人聞きが悪い」
ユリウス王子は悪びれもせずニコニコ笑っている。
「王家の成り立ちに関わることなら、僕も当事者だよ。興味もあるし、責任もある」
「とか言って兄上は面白そうなことに混ざりたいだけだろ。王太子としての自覚が足りないんじゃないか?」
「面白そうなんて言うと語弊があるね。弟が魔女の末裔と対峙しようというのに、兄の僕が何もしないで待っているなんて道理は無い」
「はいはい、屁理屈じゃ兄上には叶いません」
「屁理屈ではなく、理屈だよ」
仲良さそうだなあ。普通に兄弟みたいだ。いや、兄弟だけどさ。
「それでアルバート、魔女に会えたとして、対策はあるのかい?」
「あー、それはたぶん」
「たぶん?」
「宮廷魔導士のじいさんには、“誓約”を破棄しろって言われてる」
「どうやって?」
「俺が知るわけないだろ。でも、魔女の部屋へ行けばきっとわかるって――、じいさん、そう言ってたよな、アリス」
ユリウス王子の質問攻めに辟易したのか、アルバート王子がアリス様に話を振った。アリス様は少しも動じず、はい、と小さく頷く。
「宮廷魔導士様は今はここには来られないみたいです。でも、ちゃんと私たちを見守って下さいますわ」
「見守るってどこからだよ……と言いたいとこだけど、ニコラスの件があるからな。信じるしかないか」
アルバート王子が目配せすると、ユリウス王子は口元に手を当ててアーサー様とアリス様を順番に長め、目を細めた。
「ああ、ニコラスは猫になっているんだっけ? 一度この目で見てみたいな」
「ユリウス王子」
「おっと、失礼。そんな場合ではなかった。確認したいことがある」
むしろ面白がっているみたいな調子だった王太子が、真面目な顔を作ってアリス様を見据えた。
「本来王の間に入ることができるのは、王と王太子だけだ」
一転して、おごそかな声。
「女性の入室は禁忌と伝えられている。代々王妃すら入室を許されていないし、僕の知る限り女性が入ったことはない――アリス嬢、君はどうする?」
「行きます」
躊躇とか怯えとか一切無い、予想通りの即答。ユリウス王子はひとつ瞬きをして、それでももう一度少し優しい声で問いかけた。
「何が起こるかわからないよ? 魔女は嫉妬深いみたいだし」
「お恐れながら、自分の身くらいは自分で守れますわ。平気です」
妹の言葉に何が言いたげなアーサー様を制して、アルバート王子が一歩ユリウス王子の肩に手を置く。
「ユリウス、こいつはあの亡霊が見えるんだ。そっちの赤毛の護衛も」
「……なるほど、驚いた」
本当に目を見開いてから、ユリウス王子は小さく頷いた。
「ならば理由があるのだろう、一緒に行くことに異存はないよ。アーサー、君はそれでいいのかな?」
「……今更、止めて聞くような妹ではありません」
まったくその通りだと思います、副隊長。
兄の言葉に、アリス様は少し不満げに唇を尖らせた。こんな時だけど、あまりにも可愛い。
「アーサー様、その言い方は少し……、誤解を呼ぶと思いますわ」
「事実だろう」
応えるアーサー様は仏頂面のままだ。2人のやりとりが可笑しかったのかユリウス様がクスっと笑った。
「なるほど、了解した――では、皆で魔女の部屋とやらに乗り込むとしようか」
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