第48話 生き写しの王子



「だがの、まだやりようはある」


 重くなった空気をやわらげるように、おじいさんが明るい声を出した。


「話を聞くと、あれは誰かの悪意を借りることでしか力をふるえないようじゃ」

「なるほど」


 頷いたのはアーサー様だ。


「だから王妃や宰相の傍によく現れるというわけだ」


 王家を継ぐ者、つまりユリウス様への悪意に引き寄せられているということかあ。だけど王妃がユリウス王子を憎めば憎むほど、きっと魔女は力をつける。魔女が力をつけて誓いが破られてしまったら、王太子どころの話ではなくなってしまうだろう。


「しかも王家に直接攻撃はできんようじゃ。伯爵殿、あんたの身体が無事でよかった」


 返事をするかわりに、黒猫の兄様は『にゃ?』、と短く鳴いた。


「あんたは一族の血を引き、魔力を受け継いでおる。あれにとってはその身体は喉から手が出るほど欲しかろう」

『うん、実際乗っ取られるところだったよ』


 と、黒猫が自分の身体を眺めた。猫の身体はやっぱりちょっぴり不服らしく、尻尾がパタパタとテーブルを叩いている。


『だけど私は男だし、能力だってごくごく限定的だ。満足できる身体とは思えないけどね』

「魔女の一族はあれを警戒して城には近づかん。田舎からのこのこやってきて毎日働いておるお前さんは格好の獲物だったのじゃろ」

『ニャ、これは辛辣だ』

「ほっほ、知らなかったのだから仕方ない……お前さんの母親は――イーディスは、一族でも突出した魔力を持っておった」


 突然奥方様の名前が出たせいか、黒猫のニコラス兄様はヒゲを震わせ、アーサー様はついと目を細めておじいさんを睨んだ。


『ではご老体、あなたはやはり一族の……』

「まあまあ、そのあたりの話は後でよかろう。今は魔女をどうするかが先決じゃ」


 おじいさんも魔女の関係者だろうとはなんとなく予測していたので、驚きはなかった。なかったはず。だけど誰も口を開かない。

 じっとブランを見つめていたノエルが、やがておじいさんの顔を見上げた。


「もしも、もしもですよ? ニコラス様が身体を乗っ取られたら、どうなるんですか?」


 問われたおじいさんは、ノエルの視線を受け止めてまぶしいものを見るような顔をした。


「さあの、誓いを乗り越えるには新しい身体が必要なのかもしれん」

「誓いが破れたら、どうするんでしょう?」

「……自分を裏切り、利用し、それで繁栄した国を、魔女がどう思っているか想像できんかの?」

「――いえ」


 この場において唯一の部外者、物語の中心にありながら傍観者でもあり、観測者でもある。彼は“主人公”だから、だからこそ蚊帳の外だ。

 ノエルがかぶりを振ると、アーサー様がゆっくりとこちらへ首を巡らせて私を見る。


“ゲームのニコラスが、何故王家を憎んでいたのか”


 ああ――次兄が口にしたその疑問の答えが、ようやく私にもわかった。

 前世で遊んだゲームの――“クラティア戦記”のニコラスは、たぶんとっくに”魔女“に乗っ取られていたのだ。あれはきっと、復讐の物語だった。一族の血を引いているとは言え、魔女と王家の真実すら知らなかった“ニコラス・オーウェン”にとっては災難でしかなかっただろう。


 だけど、今、この現実ではニコラス兄様はニコラス兄様だ。

 大丈夫、まだ間に合う。間に合わせてお兄様を守って見せますとも。きっと私はそのためにここにいる。


「でも……それじゃ、どうすればいいんでしょう」


 と、ノエルが呟いた。


「さあて、そこがなかなか難しい。……お前さんはあれが見えるのじゃな?」

「お城の亡霊なら、うん、見えますけど」


 見えないほうが不思議、という表情だ。ノエルは王家とは関係無いし、魔女の一族でもない。それでも見えるのはやっぱり主人公だからなのかしら。私にも見えるけど、転生者だからってこと?


「不思議なことじゃ。じゃが、お前さんにはお前さんの役割があるのじゃろうて」

「えっ」

「ようやく魔女の呪縛を解き放つ時が来たのかもしれん」


 ほんの少し寂しそうにそう言って、おじいさんはぐるりと全員の顔を見渡した。ニコラス兄様(猫)、アーサー様、ノエル、そして最後に私。


「それにはまず、魔女の本拠地へ乗り込まねば。それと、どうあっても王子の協力が必要じゃ」

「王子? ユリウス王子ですか?」

「どちらでも良いが……、いや、アルバート王子が適任かのう」


 アルバート王子? 王太子ではなく、どうして第二王子??

 そう考えながら見上げると、おじいさんは少し眉を下げて口元を緩めた。


「アルバート王子の顔はの、くだんの勇者に生き写しなんじゃよ」





 アルバート王子は建国の勇者に生き写し。


 どうしてそんなことを知っているの、とかそういう疑問はは煙に巻かれてしまった。

 まずはアルバート王子に話を伝えなくてははじまらないというわけで、屋敷へ戻って作戦会議である。終始蚊帳の外気味だったノエルに駆け足で事情を説明すると、彼は黙って最後まで聞いてから、不安そうにアーサー様を見た。


「あの、副隊長は城で働いていて大丈夫なんでしょうか」

「俺か?」


 問われたアーサー様が一瞬きょとんとした顔で聞き返す。


「だって、ニコラス様は魔女の亡霊に猫にされてしまったでしょう?」


 うん、別に猫にされたわけじゃないけどね。

 ほとんど事情を知らないノエルがいきなりあんな話を聞かされて、全部を正しく理解しろというのは無理だ。


「兄上は魔法使いとしての素質があったから狙われた。俺にはそっちの素養は全然無い、安心しろ」

「本当ですか?」

「くどい」


 素っ気なく突き放したけれど、私にはわかる。アーサー様ったら部下に心配されて照れていらっしゃいますよね? ね?


『愛想の無い弟で悪いね、ノエル』


 と、椅子の上にちょこんと座った黒猫のほうのお兄様が喉を鳴らした。


『アーサーはこれでも照れているんだ。あまり誰かに心配される機会がない弟だからね』

「は、はあ……、安全でしたらいいんです。出過ぎたことを言ってすみません」


 ぺこりとノエルが頭を下げると、アーサー様はちょっときまり悪そうに眉を下げる。あらら、本当に照れているのかしら、珍しーい……。


「とにかく、俺はこれから城に行ってなんとか王子に話をつける。あとはあの老人の指示に従うしか無い。ノエル、アリスのことを頼んだぞ」

「は、はい! もちろんです!」

『大丈夫、私もいるからね。アーサーも気をつけて』

「……」


 得意げにヒゲをぴくぴくさせて黒猫がそう言うと、アーサー様は無表情のままその様子をじっと見つめた。


『ん、どうした? アリスのことは任せておきなさい』


 黒猫のニコラス兄様が可愛らしく首を傾げると、アーサー様は躊躇泣くその首根っこをひょいと掴んだ。


『おい、アーサー?』


 予想外だったのか、手足をぱたぱた動かす黒猫が可愛すぎてニコニコしてしまう。

 だけどアーサー様は無言のままでつかつかと歩き始めた。


『アーサー、こら、どこへ行くんだ?』


 黒猫にそう問われて立ち止まると、くるりと私を振り向く。


「アリス、兄上にはしばらく物置で大人しくしていてもらおう」

「え?」

「どうせお前について城に行くと言い出すに決まっているからな」

「……そうですわね」


 今、ニコラス兄様が城へ行くのは自殺行為だ。だけど私が行くことになったら、どんな手段を使ってもついて来るだろう。だって、ニコラス兄様ですもの。


『ちょ、ちょっと待てアーサー、物置!?』


 ようやく何をされるのか悟ったらしい黒猫がじたばたと手足を動かすけど時既に遅し。


「アンナには物置に誰も近づけないように言っておく。お前も仏心を出すなよ、アリス」

「心得ておりますわ。ニコラス兄様のためですもの」

「俺はこのまま城へ行く。王子たちに話がついたらまた使いを寄越そう」

「お願いいたします、アーサー様」


 ペコッと頭を下げると、アーサー様は答えずわずかに口元を緩めた。


『ちょっと待てアーサー! いざという時に私が動けないのは危険だろう!!』

「兄上がちょろちょろするほうが危険です」

『アリス! アリス、アーサーに考え直すように言ってくれ、にゃっ! アリース!』


 じたばたと派手に暴れる黒猫をものともせず、アーサー様はあっさりと部屋を出て行った。残された私とノエルは、思わず顔を見合わせる。


「本当に良いんですか、あれ」

「仕方ないわ、自由にしておいたら絶対ついてきてしまうもの」


 ノエルはちょっと考えてから大真面目な顔で頷いた。


「それは、間違い無いですよね」




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