第49話 魔女の名前
お城から迎えが来たのは日が暮れてからだった。
もちろん御者付き、しかも王家の紋章が入ったフリーパス仕様の馬車ということは、アーサー様が王子のどちらかにうまく話をつけてくれたのだろう。
ニコラス兄様(の身体)から目を離さないこと、今夜は物置には近づかないことをアンナに念押しして、私とノエルは馬車に乗り込んだ。猫のお兄様にはちょっと気の毒だけど、水と食料は差し入れたし一晩くらいは平気だろう。ニコラス兄様がお城に来て身体を乗っ取られたら国家の危機だもの、致し方ない。
普段は御者を務めることが多いノエルは、向かいの椅子で緊張気味に揺られている。
「大丈夫、ノエル?」
「え?」
「ごめんなさいね、おかしなことに巻き込んでしまって」
今更ながらそう思った。
ノエルは騎士見習いで、本来ならお城の宿舎で仕事に励んでいるはずだった。もしかしたらこの現実では面倒事にかかわらず、寄り道せずに騎士の道を歩む可能性だってあったのだ。
だけどノエルはきょとんとして、それからニコっと人なつっこく笑う。
「いえ、それは全然。むしろ役得だなって思ってるくらいで」
「役得って?」
「ヒヤヒヤすることもありますけど、アリス様の護衛は楽しいですから」
ヒヤヒヤ――、は、まあそう言われても仕方ない。
「私も、あなたがいてくれて本当によかったわ」
だって、本来なら物語の主人公だったのだ。
少しくらいの無理が通る、免罪符のようなもの。彼には間違い無く特別な力がある。ずっと彼の存在を利用している自覚があるから、今はそれが少し後ろめたい。
「ノエル」
「はい」
「これからもお兄様たちのこと、よろしくね?」
ほんの軽い気持ちだったのに、ノエルはなんだか難しい顔をした。
じっと私の顔を見てから、重く口を開く。
「そういう言い方、やめたほうがいいです。っていうか、やめてください」
「え? ええと、何かおかしかったかしら」
「ええ――、いえ」
よくわからなくてノエルの顔を見上げると、頷きかけて、それから思い直したように首を振る。どっちなのかわからない。
「すみません……でもなんだか、」
迷っている声だ。視線がゆらゆらと泳いで、それから伏し目がちになる。
「なんだか?」
「このところ、アリス様がヘンだから」
「ヘンってどういう意味?」
ええ~、ヘンって何、ヘンって。そういうことをお嬢様に言っちゃう?
不満が顔に出ていたのだろう、ノエル君は慌てて首を振った。
「いえ、言い方が悪かったです! どう言えばいいのかな……アリス様がまるで」
早口でそこまで話すと、ノエルはピタリと動きを止めた。唇は「で」の形のまま、すうっと目から光が消える。
「ノエル?」
何が起こったのかわからずただじっと見つめていると、ノエルはゆっくりひとつ瞬きをした。
「ねえノエル、大丈夫?」
おそるおそる伸ばした手が彼に触れる直前だ。
『…………お嬢さん』
そう言って、スイッチを切り替えたように目に力が戻る。
だけど私はすぐに声を出すことができなかった。だって、この話しかたはまるで。
『驚かせてすまんの、お嬢さん』
と、“ノエル”の声が言った。だけど目の前にいるのがノエルではないことは明白だ。
『やれやれ、どうやらうまくいったようじゃ』
この喋り方の癖は間違い無い。
「おじいさん?」
『そう、儂じゃ。驚かせてすまんの』
塔の番人、もとい宮廷魔導士。
なるほどおじいさんもたぶん“魔女の一族”だもの、ニコラス兄様のように何かの身体を“乗っ取る”ことができても、そりゃ不思議じゃないけど、でも……。
「どうして、……どうしてノエルに?」
『この若者もお嬢さんと同じ……、それ以上に特殊な存在のようじゃ、存在の揺らぎが大きい、つまり、つけいる隙があった。心当たりがあるかな?』
「ええ、それは、……はい」
ノエルはいわゆる“デフォルト”に近いけど、主人公はキャラメイクが可能。揺らぎがあるといえばその通りかもしれない。私が頷くと、おじいさんも小さく頷いた。そういえば、まだ名前も聞いていないなと気付く。だけど私がそれを問うよりもはやく、おじいさんが言葉を続けた。
『伯爵同様、今は儂も城へは近づけんからの』
「え、それじゃ私たち、どうすれば?」
正直、城についてからのことはおじいさんに頼るしか無いと思っていたのでびっくりだ。魔女の亡霊と対峙したとして、私とノエルとアーサー様、それに王子様では何をしたら良いのかわからない。
『簡単な話じゃよ』
ノエルの顔で私をじっと見据えて、おじいさんはゆっくりと唇を動かした。
何故かわからないけれど、背筋がぞわぞわする。
『お前さんは知っておるはずじゃ。それを託されてここにいる』
「託されて……?」
チカっと頭の中で誰かの面影が浮かんだ。
“お願い”
おねがい?
ええと、
何だっけ??
『じゃがの、お嬢さんはお嬢さんじゃ。儂は今のお前さんに何も強要したくはない』
「……」
『だから聞いておこうか。お嬢さん、ニコラス・オーウェンを、兄たちを、救いたいかね?』
宮廷魔導士のおじいさんは、ノエルの声でそう言った。
返事はひとつに決まっている。私の命に替えても、どんなことをしても兄様たちを守るって決めているのだもの。
「ええ、もちろんです」
『……お前さんの存在と引き換えだとしても?』
存在、と言われて私は口を噤んだ。『命』ではなく『存在』と言われた意味を考えたのだ。ああ、思い出さなきゃいけない。思い出したらきっと何もかもおしまい、それでも。
「私は必ず兄様たちを助けます」
兄様たちが争わないように。
ニコラス兄様がニコラス兄様のまま生きられるように。
『そうか』
ノエル越しにじっと私を見つめたまま、おじいさんはゆっくりとこちらへ手を伸ばした。
『ではあれに触れて、魔女の名を呼ぶといい』
「魔女の、名前?」
でも、そんなの知らない。
『そう、それで相殺される』
指先が私の額に触れた。
じんわりと熱を持って、忘れていた、封じられていたものがあふれ出す。
溢れ出す。
自分が何者だったのか。
「あ、ああ……、」
『すまんの、お嬢さん。イーディスを許してやってくれ』
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