第46話 猫の兄上



『やれやれ』


 黒猫が首を伸ばすと同時に聞き慣れた声が飛び込んできて、思わず部屋を見回した。


「お兄様……?」


 間違えるわけが無い。

 絶対にニコラス兄様の声だ。だけど、もちろんここに兄様はいない。小屋にいる全員の視線が、スローモーションで黒猫に集まる。注目を浴びてブランはピクピクとヒゲを震わせた。


『助かったよ、ご老体。私としたことが少しばかりアレを見くびっていた』


 おじいさんのほうへせいいっぱい首を伸ばし、ブランが可愛らしく口を動かす。

 すると何故かニコラス兄様の声が聞こえる。

 ああ、脳がバグりそう!!


 だけどおじいさんはほっほと笑って目を細めた。


「なあに、咄嗟に逃げられただけでもたいしたもんじゃ」

『どうにか自我を保っていられるレベルだけどニャ』


 にゃ?

 ……にゃ?

 っていうか、これ、やっぱり……、

 あまりに非現実的な可能性が浮かんで、そんなはずない、でもやっぱり、と逡巡している間に一歩後ろからうわずった声が聞こえた。


「ね、ね、ねっ、猫が……っ!」


 あ、少し落ち着いたかも。

 自分より動揺している人がいると冷静になれることってあるよね。


「ブランが喋った!!」


 百点満点の反応をしたのは、もちろん“主人公”のノエルだった。まさに思う壺だ。


 思う壺。えっと、でも誰の?

 この世界がゲームを模したのか、ゲームがこの世界を模したのか、ふとそんな疑問が頭に浮かんで現実が遠くなる。


 ――どうして私はここにいるの?


 ふとその疑問が浮かんだとき、今朝の夢がフラッシュバックして目眩がした。もしかしたら相当混乱しているのかもしれない。一歩よろめいた私を、すかさずノエルが支えてくれた。


「アリス様、どうか後ろに!」

「……ノエル、」

「喋る猫ですよ! 魔物のたぐいかもしれません!!」


 油断なく身構えたノエルの声で、我に返る。

 そう、今は漠然とした疑問より目の前の黒猫だ。


「心配は要らない」


 ノエルとは裏腹に落ち着き払った様子のアーサー様が、つかつかと前に出て黒猫の首根っこを掴む。そのまま持ち上げると、ブランが抗議するようににゃあと一声鳴いた。しかしアーサー様は眉一つ動かさない。


「ずいぶんと縮みましたね、兄上」

『……お前はホント、面白みのない弟だニャア』

「にゃあ?」

『いや違う違う、どうも身体に引っ張られて良くないな』


 アーサー様が真顔で『にゃあ?』って言うの面白すぎるし、首根っこを捕まれたブランがイヤイヤをするように顔を揺らしているのも可愛い――、ってそうじゃなくて。


「このさい語尾はにゃあでもかまいませんが」


 と、アーサー様はしごく冷静な声で言った。


「どういうことなのか説明していただけますか――、猫の兄上」






 お兄様が倒れたと思ったら猫になっていた件について。


『簡単に言うと、この黒猫は私の分身みたいなものなんだ』


 と、前足で顔を撫でながらブランが言った。

 可愛いけれど、ブランからニコラス兄様の声が出るのはとてもシュールだ。


『ある程度距離があっても、意識を共有できる。ま、猫だからやれることは限られているけどね』

「なるほど、情報収集には良さそうだ」

「あっ、じゃあ、舞踏会でアリス様を助けたのも!?」

『どっちも正解』


 使い魔とか式神みたいなものかな、と思いついて定義の曖昧さに気付く。どこからきた知識か覚えていないけれど、黒猫のイメージが使い魔にしっくり来ることだけは間違い無い。


「じゃあやっぱり、お兄様は魔法が使えるの?」


 魔女の一族の男性は魔法を使えない。そう言っていたのは当のニコラス兄様だ。

 黒猫は耳をピクピクさせながら、少し情けなさそうに顔をこちらに向けた。


『いや、残念ながらこれしか能が無い。割と便利だけどね』

「今まで黙っていたのは何故ですか?」

『知られたくなかったからだよ、アーサー』


 グル、と黒猫の喉が鳴った。


『こんなことにならなければ、話すつもりもなかった』

「俺のためだというなら、お門違いです」

『そう言うと思ったよ。だから今打ち明けただろう』

「遅すぎると言っているのです」


 あ、これはアーサー様、マジで怒ってるかも。

 だけど本気の兄弟喧嘩は私の心臓に悪いのでお止め下さい。こういうとき、フォローを入れるタイミングは身についている。


「ニコラス兄様はアーサー様が奥方様の出自をご存じないと思っていたのですわ」


 伝承の魔女の末裔なんて、普通ならば笑い話になりそうだ。だけど、騎士団所属となれば、影響があるかもしれない。なにしろ大昔、この地を治めていたという魔女と王家のご先祖様は敵対していたのだ。


「だから言い出せなかったのすわ。ね、お兄様」


 そう問いかけると黒猫はヒクヒク髭を震わせた。肯定も否定もしないので、言葉を続ける。


「でも、アーサー様はとっくにご存じでした」

『……うん、まさか父上がアーサーに話しているとは思わなかったよ』

「なるほど、あの時もどこかで俺たちの話を聞いていたわけだ」

『聞いていたというか聞こえていた、が正しいけどね』


 瞬き3回ぶんほどの沈黙。

 それからアーサー様が、小さく息を吐いた。


「わかりました、この話は後まわしです」


 幾分声が柔らかくなってはいるけど、後で話すことは忘れないだろう。


「今俺が知りたいのは、何故兄上が猫なのか、亡霊とやらと魔女に関係があるのか、そしてこの老人は何者なのか、その3点です」


 それでも切り替えたらしく、気になっているところを簡潔にまとめて下さるアーサー様、流石ですわ。質問を受けて、黒猫が小さく首を傾げた。


『あのまま城にいたら、あの亡霊に乗っ取られそうだった。だから咄嗟に猫のほうに避難して、体は屋敷に運んでもらった。城で倒れたんだ、仕事も大手を振って休めるしさ』

「亡霊に乗っ取られる?」

『喰われる、といってもいい……亡霊と魔女が関係あるのかといえば、ある。あれは魔女そのものだ』

「魔女そのもの?」

『で――、その辺りの話は私よりもご老体のほうが詳しいはずだ』


 黒猫がすらすら疑問に答えると、全員の視線が小屋の主、つまり塔の番人のおじいさんに向けられた。


『猫の喉では長い話が辛くてね。あとの説明をお願いできるかな、ご老体』

「ふむ、こうなっては仕方ありませんなあ」


 おじいさんは笑みを浮かべたまま、お天気の話みたいなテンションで頷いた。


「お若い方には退屈な話でしょうが、順を追って説明しますかの」

「……老人、あなたは何者だ?」

「ほっほ、そう、まずはそこからですな」


 大真面目なアーサー様の問いかけに、おじいさんは肩を揺らして可笑しそうに笑う。


「見ての通り儂は塔の番人――、ですが陛下からいただいた肩書きじゃ、”宮廷魔導士“ということになっておりますな」




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