第34話 お小言の時間です
「アリス様、アリス様」
なんだろう、誰かが呼んでいる。
「アリス様、起きて下さいませ」
ああ、マリーだ。
だけど身体が重い。昨日は本当に色々なことがあったから、もう少しだけベッドの中にいたいのだけど……。
「うーん……もう少し」
ころん、と寝返りを打って声に背中を向ける。
すると不意に温かいもふもふが頬に触れた。
「フニャウ」
ペロッとざらついた舌がほっぺたを舐める感触。
「ん、ブラン?」
ブラン、黒猫のブラン。真っ黒なのに名前だけが白、お兄様が拾ってきた飼い猫。
「!!」
急に大事なことを思い出して、私はがばっと身体を起こした。
そうだ、ブランだ。
昨晩はクレアと話をして、それからバタバタと帰宅して、思っていたよりも疲れていたらしく入浴の記憶もあやふやなくらいにすぐ眠ってしまった。
だからすっかり忘れていたけれど、私には大きな謎がまだまだ残されたままなのだ。
「お嬢様、お目覚めですか?」
「ええ……、おはよう、マリー」
「まあ、ブランはお嬢様を起こすのが上手ね。良い子だわ」
ベッドの上で前足を舐めていたブランが、マリーに褒められてゴロゴロと喉を鳴らす。
「お嬢様、先ほどからニコラス様とアーサー様が朝食の席でお待ちです」
「えっ、お兄様たち、帰ってきているの?」
「はい、昨日遅くに。今日も昼前にはお城に行くそうなのですが、その前にアリス様の顔を見たいと仰っていて」
なるほど、それでマリーが起こしにきてくれたのね。
もちろん私もお兄様たちと話したい、話さなければいけないことがたくさんある。
「すぐに準備をして行くわ。マリーはお兄様たちに少しまって欲しいと伝えてきてくれる?」
「かしこまりました。では、また後ほどお手伝いに参ります」
マリーが頭を下げて部屋を出て行くのを見送り、私はブランの顔をのぞき込んだ。
「ねえブラン、あなた昨日、お城にいたでしょう?」
「ニャ」
「私を助けてくれたわよね?」
「ニャン?」
「……あなた一体、何者なの?」
「フニャーン」
うーん、不毛だ。
でもあれは絶対、間違い無くブランだった……はず。暗殺者の攻撃から私をかばって、相手の顔に一撃をくらわせていた。ああ、猫の言葉が話せたら良いのに!
「まあいいわ。とりあえずあなたも一緒に行きましょう。朝食のチーズを分けてあげる」
「ニャーン」
通じているのかいないのか、ブランは嬉しそうに尻尾を揺らした。
「お待たせいたしました、お兄様!」
食堂では、すっかり朝食の準備が整っていた。当然ニコラス兄様もアーサー様も席についている。私についてきたブランは、日の当たる窓際でくるりと丸くなった。
「やあアリス、おはよう」
「よく眠れたか?」
二人ともまるでなにごともなかったかのように通常のテンションを装っているけれど、そこはかとなく微妙な空気である。
「はい、お兄様。お二人のほうがお疲れでしょうに、私が寝坊してお恥ずかしいですわ」
アンナがやってきて、私のカップにお茶を注いでくれた。
丸いパンとポーチドエッグ、それからチーズとベーコンという定番のメニューだ。
「アンナ、少し内輪の話があるんだ。私が呼ぶまでは席を外してもらえるかな」
「はい、旦那様。それでは失礼いたします。ご用があるときはベルを鳴らしてくださいませ」
こういうとき空気を読むのは心得たもので、アンナは一礼をして部屋を出て行った。
あああ、アンナ……行っちゃった!
さて、これできょうだい水入らずである。
使用人たちを信頼していないわけではないけれど、昨日の舞踏会の話はおおっぴらにできないものね。だけどこう、今のお兄様たちの感じ、なんだかやばい気がする。
「さて、どこから話そうか」
と、ニコラス兄様が切り出した。
「順を追うなら俺からが良いでしょう」
と、すぐにアーサー様が応える。
ほら、やっぱりあらかじめシナリオができてる感じじゃない? こういうときの兄たちは本当に良い連携を見せるのだ。『こういうとき』というのはつまり、私にお小言を言いたい時なんだよね……。
ああもう、きっと色々バレているけれど、今はそれを気にしている場合ではありませんわ。きちんと情報を共有して対策をたてなければ。
「まず、シャンデリアについて。あれを吊っていた鎖は、直前に全て新しい、丈夫な物に取り替えた。作業も複数人で行っていたからその時点で細工をするのは無理だ」
「あ、それはノエルにも聞きましたわ」
それなのにシャンデリアは落ちた。
あれが無ければ会場の混乱はなく、“暗殺者”の侵入は不可能だっただろう。
そもそもお兄様たちは暗殺者についてどこまで掴んでいるのかしら。それがわからないので不用意に発言できない。エミリア様に擬態してバルコニーで暗殺者を待ち受けていたことがバレたら絶対に怒られそう。まあ、既に薄々気付かれている可能性も大なのですけど。
「しかし、シャンデリアは落ちた」
その声は固い。
「調べたところ、鎖は二基とも、ぶっつり切れていた。あの切り口は劣化とか錆ではない」
「私もその報告は受けたよ。ありえない話だ」
「騎士団からの報告はもう一つある」
アーサー様の視線がほぼ水平に移動して、私を捉える。
「シャンデリアが落ちて騒ぎが起きる寸前、中庭で不審な人物が数名目撃されている。各自がそれを追っている間に大広間であの騒ぎが起きた」
仲間がいたってこと?
でも、とりあえず中庭にいた騎士たちが無事だったことにほっとする。
「騎士たちが戻ってきた直後、バルコニーから何者かが飛び降りてきたそうだ。だが、残念ながらこれも取り逃している」
うわあ、やっぱりバレてる、絶対バレてる!
アーサー様は私をじっと見たけれど追求されることはなく、呼吸ひとつぶんの間を置いてからニコラス兄様へと視線を動かす。
「今のところ俺から出せる情報は以上だ。では、兄上」
「うん」
軽く頷いて、今度はニコラス兄様が口を開いた。
「私は宰相にこき使われていたからね。広間や中庭のことはさっぱりわからない。ただ、朝方になって西側の堀に死体が上がった」
「死体!?」
思わずそう聞き返すと、ニコラス兄様が眉をハの字にして小さく頷く。
「食事時にする話ではないと思ったけれど、今は時間が惜しい。すまないね、アリス」
「いえ、それは大丈夫です。でも、死体なんて……」
「衣服は全身黒。それに、右目にから頬にかけて何かに引っかかれたような傷があった」
まるで打ち合わせでもしていたかのように、二人の視線が私に集中した。
「――さて」
あああ、やっぱりバレてる、間違い無く色々とバレている、空気が重い!
それなのにニコラス兄様がにこにこしているのがこわーい!
「最後は君が話す番だよ、アリス」
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